緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

原嘉寿子作曲「ギターのためのプレリュード、アリアとトッカータ」を聴く

2015-02-01 00:44:25 | ギター
2月5日の夕刊に作曲家の原嘉寿子さんの訃報が出ていた。
亡くなったのは昨年の11月末だとのことだ。
原嘉寿子さんと言えば10年以上前だったか、東京国際ギターコンクールの本選課題曲に彼女の唯一のギター曲が選出された時に初めて知ったのである。
この時に彼女が作曲家の原博の妻であることが分かった。
原博についてはこれまで何度か触れてきたが、1970年代の現代ギター誌で楽曲分析を担当され、ギターオリジナル曲も2曲作曲した。「無視された聴衆」の著者でもある。
原嘉寿子(以下敬称略)のギター曲を初めてきいたのが先の東京国際ギターコンクール本選であり、確かこの時はトーマス・ツヴィエルハが優勝した年だったと思う。
曲名は「ギターのためのプレリュード、アリアとトッカータ」で1971年に作曲された。
日本的情緒漂う美しい曲を期待していたが、全く裏切られた。恐ろしく不気味な不協和音を多用した無調の典型的な現代音楽であった。
この頃私は未だ現代音楽に少し抵抗感を持っていたが、この「ギターのためのプレリュード、アリアとトッカータ」や、その後の東京国際ギターコンクールの本選課題曲となった、野呂武男のコンポジションⅠ「永遠回帰」を聴いて現代音楽に目覚めた。
「ギターのためのプレリュード、アリアとトッカータ」は不況和音を多用しているが、リズムは難解でなく、現代音楽の中でも理解しやすい方である。
Ⅰ.プレリュードはAllegretto giocosoの速度指定であるが、1小節でメトロノーム66の指定はかなり速い速度だ。この速度で軽快にしかも随所にアクセントを付けなければならないので弾くのは大変だ。上声部の旋律も浮かび上がらせなくてはならない。



Poco andanteに入る少し前に、無調からやや正調らしき音調が顔を出す部分があるが、ここで難しい押さえが出てくる。
1フレット5弦と4弦を左人差し指のセヒーリャ(Cejilla)で押弦し、3弦を開放にするのであるが、4指が1弦の4フレットを押さえるので、上手く押さえないと3弦の開放が鳴らない。しかも速い速度の中で押さえなければならないのである。



Poco andanteで少し速度が落ち、sentimentaleと指示された単旋律でテヌートのかかった音はアポヤンドで雑味を取り除き、不気味さを強調したい。ハイポジホンで同じ音型が出てくるが、この部分の旋律も同様である。



再びAllegrettoの速度に戻るが、ここからますます不気味さが増してくる。現代音楽が嫌いな人が絶対に聴きたくないような典型的な不協和音の連続で、中間部のソの開放弦がもたつくことなく、また爪の雑音がしないように注意を払う必要があるが、しかもこの音の連続が終結部の前までずっと続く。



この部分は聴く者に無意識に寒気を感じさせるほどの荒涼感を表現できれば良いのではないか。冒頭からずっとこのソ(3弦開放)がこのプレリュードのポイントのような気がする。
終結部手前の激しいアクセントのついた和音の後に、上昇スケールを経て終る。
Ⅱ.アリアはAndante con motoという速度指定であるが、不気味なうえに暗さが加わり、しだいに邪悪な感情に変遷していくような過程を表現したかのうような和音が特徴的な楽章だ。



しかし恐ろしく不気味さを感じる和音だ。
今の時代にこのアリアのような曲を人前で突然演奏でもしたら、聴く人はこの奏者は精神的に少しおかしいところがあるのではないかと思うかもしれない。こんな曲を現代で聴くことは、コンクールの課題曲にでも選ばれなければ皆無であろう。この曲の楽譜(ギタルラ社版)も買った時は、何十年も誰も買わずに譜庫に眠っていて茶色く変色していた。誰かがこの曲に興味を示して、譜庫の中から取り出して陽の目を見させてくれるのをじっと待ち続けていたかのようだった。1960年代から1970年代にかけてはこのような曲はかなり作曲されていた。
Piu mossoで速度が上がり、躍動するようなリズムを刻み5連符の直後、意表を突くような強い和音が現れる。この和音の挿入が何を意図したものか、その解釈に考えあぐねるが、予想もしていなかったことに突然驚愕するような気持ちが感じられる。この和音の表現はとても難しいと思う。上手く弾かないとパロディをやっているとも受け止められかねない。



再び最初の主題に戻り、agitatoからアクセントを付けながらクレッシェンドし、何かに追いつめられるような印象を感じるが、クレッシェンドの直後に、3弦ミフラットのテヌートの音が浮かび上がり、この音がまた不気味だ。
学生時代に住んでいた家賃1万円の築50年以上は経っていたと思われる超おんぼろアパートの暗い廊下に一つだけ吊り下げられていたオレンジ色の小さな裸電球を思い出す。
最後はこれまでとは少し違う何とも表現し難い不協和音の連続で終わる。
Ⅲ.トッカータ、Allegro energicoはかなり速い速度が要求される。しかもエネルギッシュで歯切れのある強いアクセントのある音を出さなければならない。次のような音型の単旋律の音は、粒を揃えて太く芯のある音で弾く必要があると感じられる。



とても躍動感のあるリズムが続く。このような部分を聴くと何か邪悪さが勝ち誇っている様を見るような感じを受ける。
強いアクセントのついた技巧を要する下降スケールの後に、何かを次第に追いつめていくような展開に移り、少し速度を緩めた後に再び冒頭の音型が繰り返される。
そしてUn poco meno mossoで速度が落ち、5弦と6弦の重音を伴奏にしながら、暗いうめくような旋律が奏でられた後、昔どこかで同じような感じの曲を聴いたような和音とリズムが現れ、最初のテンポに戻るが、下記のような重音の連続はスムーズに流れるように弾くことは相当の練習が必要だと思われる。



最初の主題が繰り返され、演奏困難な下降重音の後に、次第に激しさを増す不気味な強いラスゲアードが繰り返され、最後は意表を突くタンボーラで曲を終える。



しかし難易度の高い曲である。もちろん私はこの曲を通しで弾けているわけではない。ゆっくりとした速度でプレリュードやアリアを譜面を見ながら弾く程度に留まっている。
器楽やオーケストラなど幅広く作曲を手掛ける、いわゆる作曲専門の方はこのような演奏困難な曲を作る傾向があるが、これは楽器の性能よりも音楽を優先にしているからではないか。
近年のギター界は、作曲専門の方の曲よりも、ギタリスト兼作曲家の曲が好まれ、多くの曲が演奏されている。
このようなギタリスト兼作曲家の曲の中にも親しみやすいいい曲があり、自分も普段演奏しているので否定するつもりはないが、このような曲はあくまでも「ギター曲」という範疇にとどまっているように感じられ、自分には少し物足りなさを感じる。つまり親しみやすいギターという楽器が先にあって、その楽器に求めるニーズにふさわしい曲を作ろうとするからだ。
しかし作曲専門の方はまず楽器を念頭におくものの、曲から入っていく。その曲づくりは、楽器の種類や編成を超えた領域でイメージされ、作られるような気がする。
この「ギターのためのプレリュード、アリアとトッカータ」は演奏困難な曲であるが、ギタリストではないから表現できた様々な要素、例えば音楽形式、リズム、和声の使い方など、作曲を専門に勉強し、職業にしてきた方ならではのレベルの高さを感じさせられる。

この曲は現代音楽が陥りがちな形式面への偏りは感じられない。寧ろ感情的なものに満ち溢れている。
この曲から自分がイメージするのは、栄光の追求(野心的)、邪悪さ、嘲笑、見下し、切迫、あせり、厭世、驚愕、攻撃、優越感、暗黒、欺瞞といったものか。どれも負の感情ばかりあるが、多かれ少なかれ人間である以上誰でも持ち得る感情でもある。
夫の原博はこの曲を聴いてどう思ったかわからないが、音楽を通しての感情表現が、必ずしも心地よく、高尚で、感動的なものばかりではなく、負の感情も表現できることを教えてくれる。
一般受けしないが、このような音楽は貴重な存在であり、この曲に関しては作曲者の力の入れ方も伝わってくる。当たり前であるが、こういう音楽は簡単につくれるものではない。
音楽に対する受け止めかたは人により様々であるが、私にとってはこの原嘉寿子のギター曲が、現代音楽に対する認識を大きく変えてくれたことは間違いない。
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アセンシオ作曲「ディプソ」を聴く

2015-02-01 00:44:25 | ギター
久しぶりにギター曲を聴いた。新しい録音ではなく古い録音である。
アンドレス・セゴビア(1893~1987)が恐らく最後に残したであろうレコードでの録音である。
アメリカのデッカというレーベルとの契約を終え、マドリッドで1973年の5月と12月にセゴビアが80歳のときに録音されたものである。



第1集の録音は20代半ばにCDで再発されたものを聴いた。しかしこの時は、アラビア風奇想曲などの演奏を聴いて、往時の技巧が衰えていたことから、いささかがっかりし、それ以降繰り返し聴くことは無かった。
今から3年程前に約25年ぶりにこのCDを聴いたのであるが、20代に聴いた時とは全く違う印象を受けた。
何が違っていたかと言うと、「音」が、彼の最盛期の頃よりも進化していることに気が付いて驚いたからである。
技巧は最盛期よりも衰えてはいたが、「音」は最盛期の録音で聴く音よりも、鋭く、芯が強く、密度が高くなっていた。
この音を聴くと、チェロの巨匠フルニエに「セゴビアから多くのものを学んだ」と言わしめた理由がわかるような気がする。
繰り返しになるが、セゴビアの音は、芯が強く、密度が高く、多彩で、様々な人間的感情が詰まった音なのである。
この録音の第2集の中に、ビセンテ・アセンシオ(1908~1979)の「ディプソ」という曲がある。
アセンシオと言えば、ナルシソ・イエペスが10代の頃に学んだバレンシア音楽院の教授であり、イエペスとの関係が深いが、セゴビアがこのアセンシオの曲を弾いていることに意外性を感じた。
CDの解説では、、この曲がエルネスト・ビテッティに捧げられた曲であると書いてあるが、楽譜ではセゴビアへの献呈となっている。
「ディプソ」は「SUITE MISTICA(神秘的な(神秘の)組曲」という組曲の中の第2曲目であるが、単独で演奏されている。
このセゴビアの演奏を聴いて、この曲が弾きたくなり楽譜を入手したが、全て弾き終わるに至っていない。
速度はLento、静かで穏やかな曲想であるが、和声などはアセンシオ独特のものである。
ディプソは「神は渇く」と訳すのであろうか。スペイン語辞書にも出てこない。いずれにしても神秘性の感じられる曲であり、このような曲をセゴビアが録音で取り上げたのも珍しいことである。





譜面を見ながら演奏を聴いてみると、和音に楽譜に書いていない音を追加していたり、実音をハーモニックスで弾いているのがわかる。
原曲と最も異なるのは一番最後の小節のハーモニックスをピツィカートで弾いている箇所であるが、セゴビアの演奏で、原曲を変更することはよくあることだが、基本的には楽譜に忠実に弾いている。
楽譜に忠実とは紙面に書いてあることに機械的に正確に演奏することではなく、作曲者の意図や、感情の流れが理解できているということである。

クラシック・ギター界は1970年代まではセゴビアの演奏、セゴビアの音(セゴビア・トーンと言う)を目指して練習に励むことが主流であった。
1980年代に入り、セゴビアの生演奏が聴けなくなったのを境に、ギターの演奏法、とくにタッチ(音の出し方)、表現する音が変わった。
アポヤンド奏法は廃れ、アルアイレ奏法が主流となり、アルアイレでしか弾かない奏者も多く出現した。
その動きに連動して、楽器も軽いタッチでも大きな音が出せるものが主流となるに至った。
しかしこの変化から30年以上経過したが、ギター音楽はつまらなくなった。イエペスやブリームが録音しなくなってから、聴きたい録音は殆どないといっていい。
このセゴビアの「ディプソ」を聴いて思うのは、聴きたくなくなった理由が、「ギターのもつ音に魅力が無くなってしまった」、ということにあることに気付く。
昨今は電気処理され増幅され、人工的な味付けはされているが、無機的な気の抜けたような音の演奏が多い。
そういう演奏を聴くと、楽器から魅力ある音を最大限に引き出すことを放棄してしまったように思える。
20代前半の頃、深夜にバルエコが弾く、ヴィラ・ロボスの「ブラジル民謡組曲」を聴いて、その感情の入っていない均一な無機的な音、楽譜に忠実ではあるが、何も伝わってくるものが無い演奏に、愕然としたことがある。
その時の場面は妙に記憶に残っているのであるが、やはりクラシックギターの最大の魅力は他の楽器には無い、「音」の魅力であり、この「音」の追求をまず第一に考えるべきと思うのである。
そして第2には、魅力あるクラシック・ギター曲の開拓である。
これについては別の機会に意見を述べたいと思う。
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