9月から始めた講習が思いのほか大変で、昨日は社会人マンドリンクラブの練習日であったのだが、朝から夜まで講習や実践ワークなどで時間を取られてしまい参加できなかった。次回の練習日も出席が危ういが、そろそろ顔を出さないといけないとも思う。
今日は年1回の人間ドック受診で午後は半休にした。
人間ドックでは胃カメラを飲んだ。
胃カメラを飲み始めてからもう10年になる。
今回の胃カメラは細いものに進化していたが、昔の胃カメラは、直径が人差し指くらい(1cmくらい)で、太く、黒く、かつ硬いものだった。
そしてその黒いチューブの先端にやけに明るい豆電球が付いているのである。
まず胃内視鏡検査は、のどの局部麻酔から始まる。
他の診療室に比べて暗く、不安をかき立てられるような部屋に連れていかれ、粗末な丸イスに座らせられる。
そして紙コップ4分の1ほどの量の乳白色をした変な味のする液体をゴクンと飲むように指示される。
次にのどを局部麻酔するための透明な液状のゼリーのようなものを注射器で口の中に注入される。
そしてそのヌメッとしたゼリーをしばらく口の中にとどめておくよう言われる。
口の中がだんだんとしびれてくる。
3分程たったらそのゼリーをゴクンと飲みこむ。
次に肩に注射される。刺された瞬間はさほどど痛くないが、次第にじんわりと突き刺すような痛みが襲ってくる。
そうして5分程たってから、看護婦から「すぐおわりますからね~」などとやさしく声をかけられると、ベットに横向きに寝かされ、口元にステンレス(アルマイト?)の楕円形をした器を置かれて、その上に紙が大量に敷かれる。
準備が整ったら、医者が部屋に入ってきて、前回の検査結果の確認やピロリ菌の除去の経験の有無などを聞かれる。
そしていよいよ1年で最も恐ろしい儀式(?)が始まる。
ぜりーをたっぷり塗られた樹脂製のマウスピースを口にはめられ、先端がやけにまぶしく、太く、硬いチューブが徐々に、ゆっくりと、ゆっくりと口の中に侵入していく。
チューブが口の中に半分ほど入ったところで吐き気が催してくる。
そして次に最も恐ろしい難関が待ち受けている。
口とのどは丁度直角、L字状になっているので、チューブの先端がまずのどの奥にぶつかる。
その瞬間、物凄い吐き気に襲われる。酒を飲み過ぎてゲロを吐くどころの苦しみなんてものでない。
次にのどにぶつかったチューブがのどをこするようにして、今度は食道方面に向かってL字状に折れ曲がり、胃方面に向かって進んで行く。
このL字状カーブを通過するときが最も苦しいのだ。
猛烈な吐き気と絶え間ない咳が出て、よだれや涙が垂れ流しになる。
悲しくて涙が出ているのはない。
ステンレス容器と大量の紙が顔の脇に置かれたのはそのためだ。
この難関を通り過ぎると少し楽になる。
チューブの側面が食道をこすりながらスイスイと胃に向かって進入していく。
このとき食道が荒れていたら、物凄い咳に襲われる。
しばらくすると弁のようなものが見え、そこを通ると壁がヒダヒダ状の空間となる。胃の中に入ったのだ。
異次元のような景観だ。
5年ほどまえから患者もいっしょにモニターを見ながら食道や胃の中を瞬時に見られるようになった。
苦しみにもがきながら私の胃や食堂を見ていくのである。
しかし苦しいけど自分の胃の中を見てみるのも結構面白いものだ。
そして医者がモニターを見ながら沈着冷静にいろいろと解説してくれる。
最後に十二指腸に入っていって観察が終ったら、今度はチューブをスルスルと引き抜いていくだけだ。
時間にして7,8分くらいか。
今まで10回ほど飲んだが、悪夢のような時間だ。
しかし今回、医者から意外なことを言われた。10年やってこんなことを言われたのは初めて。
「きれいな胃なので、胃液が逆流したら荒れやすい? ガンになりにくい胃の状態なので、次回は2年に1回でもいい」
本当か?。
コーヒーや酒を飲んだらチクチク痛むのに意外にもダメージは少なかったようだ。
もしかすると、かゆみ対策プロジェクトの代替案の一つとして、野菜スープを毎日食べたおかげか?。
家に帰ってきて久しぶりに平日休暇の午後を過ごす。
やっと記事を書ける時間ができたので、久しぶりに経済、政治分野へのぼやきでも書こうと思い立った。
1.貧困層への政府の対応について
ここ数年、非正規雇用者、シングルマザー、年金生活者などの貧困層(こういう言い方が正しいとは思わない)に対して、政府はもっと支援して手を差し伸べるべきだとする新聞への投稿を頻繁に目にするようになった。
中には富裕層からたくさんの税金を徴収し、それを貧困層に分配すべきだとする考え方をする方もいる。
このような投稿を読むと、富裕層はさほど努力もしないで要領よくやっていい思いをしているのに対し、富裕層は低賃金に耐えながらもあくせく真面目に働いているけど報われない、といった昔の貴族と奴隷、厳しい身分制度があった封建時代に見られた差別が投稿者の裏の考え方、前提条件としてあるのが透けて見えてくる。
では果たして富裕層など稼いでいる人は楽してお金を得ているのであろうか。貧困層は低収入だけど真面目に努力していると言えるのだろうか。
生活保護を受給しているのに、朝から酒を飲み、喫茶店でモーニングセットを食べパチンコをするような人もいる。
私は今の日本ほどに、生まれながらの身分制度など全くなく、自由で、機会均等で、努力した分だけ報われる国というのはそう無いと思っている。
小学校(旧制)しか出ていなくても総理大臣にまで上り詰めた人がいる。
学歴が無くても、生育過程が極貧であっても大富豪となった人はごまんといる。
同様に大学を出ていなくても弁護士や会計士などになった方もたくさんいる。
今の日本は、努力と強い意志があればいくらでも貧困から抜け出せるチャンス、機会が常に与えられている。
本当に努力している人は政府に不満を言わない。
不満を言う人の何倍も働いているし、それに見合う収入も得ている。
つまり、今の日本社会での労働収入というのは、努力に比例して得られる構造となっているのだ。
理不尽な身分制度があった時代とは違う。
不満を言う人はかなりの確率で努力していない。
自分で道を切り開く人は人に依存しないし、それ故に不平不満がない。
一方、政府のやれることには限界がある。
経済が落ち目になっているのに、諸先進諸国よりもはるかに低い消費税率でこれだけのサービスをしているのは正直言って驚異と言える。
その代償として1,000兆円を超える借金大国となってしまった。この借金をどうやって返していくのか。
不満を言う人は、政府が何でもできると錯覚している。
もし政府にものを申すのであれば、税金の使い方だ。
今、無駄と言わざるをえない公共事業に多額の国費が投入されている。リニア新幹線や北海道新幹線、それから今後カジノなどの建設にも投入されようとしている。費用体効果などない。
国防費もしかり。
この無駄な支出を止めて、まず財政の健全化に取り組むべきであろう。
2.日中の科学力
昨日の朝刊の社説「ノーベル賞と日中の科学力」を読んだ。
この社説によると、科学技術の分野での論文数がここ数年、中国において飛躍的に増加しており、米国と肩を並べるほどに躍進しているという。
また中国は大学や企業の研究費や、海外への留学生の数も急増しているという。
翻って日本はどうかというと、大学や公的機関の研究費は横ばい、留学生の送り出しは主要国で最も少ないという。
研究発表、研究論文も右肩下がりだという。
ここ数年のあいだに日本はノーベル賞で、日本としてはかなりの数の受賞があったが、これはかつて日本が世界で躍進し、主要国の仲間入りを果たした頃の研究がもとになっており、現在の日本の成果によるものではない。
ノーベル賞は業績をあげてから受賞するまで30年かかると言われている。
あと30年たったら中国人の受賞者であふれかえっているだろう。
そもそも中国は、鄧小平時代の政策により1980年代初めから日本などの企業の生産拠点を誘致し、その技術を学ばせてもらい、安価な労働力を背景に急成長してきた。
そしてバブルの崩壊がこの動きを一層加速させた。
日本がバブル崩壊後の債権処理に追われている間に、中国は着々と技術力を諸外国から取り入れ築き上げていった。
日本がやっと気づいたときには中国は日本を抜いて世界第2位の経済大国にまでのしあがり、その後の勢いはとどまることは知らず、経済だけでなく、軍事、政治面においてもその強大となった力をふるい続けている。
かつて世界市場を席捲したソニー、松下、東芝、シャープなどの電気機器のブランド力が急速に低下している。
同時に、高い品質力を誇っていたこれらのブランド製品の品質が現在、著しく低下している。
生産拠点を海外に移したこと、コスト競争の激化が背景にあると思われるが、日本製品が高い品質力を誇っていた時代に行われていた品質管理活動(QC)などはバブル崩壊を境に衰退し、品質よりもコストを優先したものづくりにシフトしたことがブランド力の低下を招いたのではないかと思われる。
今日本人の検査に対する見方が昔と全然変わってきている。
すなわち、規定値から外れていても合格とする、検査データを改ざんする、検査項目の一部を省略する、といったことが平然と行われるようになった。
昔のものづくりの魂ともいう日本の誇るべきものが失われてしまっている。
鋳物の伝統で有名の某県のメーカーでも、コストを下げるために混ぜ物をするくらいにまで堕落した。
ソニー、パナソニックなどのブランド名も、あと10年、20年後には世の中で忘れ去られているかもしれない。
日本は通信、医療などの分野で後れをとっているし、製造業は自動車産業でなんとか維持できているようなもので、電気自動車の普及にともない自動車業界も今ほどの世界シェアは保てないと見ている。
そうなったとき、日本はどうなっているのか。
遅れを取り戻そうと思ってもどうすることもできないまで追い込まれているのではないか。
開発力もない、資源もない、外国に出稼ぎに行かないと収入を得られなくなる時代になっているかもしれない。
そうならないためにどうするのか。
さまざまな角度からのアプローチが必要であろうが、まずは今の子供たちの教育を強化することだ。
土曜日の授業の復活も必要だと思う。
あとは大学や研究機関への研究費の支援増だ。
短期的な無駄なことに国費を使わないで、もっと将来的に見据えてお金を投資していく。
だいたい今の日本に将来のビジョンがない。
どういう国にしていくか、という議論が全然ない。
与党を引きずり降ろすためと、スクープを報道して株を上げたいだけしか考えない人たちのために、モリ・カケ・サクラなど低レベルなことに莫大な時間を浪費してきたことを何とも思っていないのか、と疑ってしまう。
自分も将来、日本が駄目にならないようにするために、微力ではあるが、自分なりのあることを始動した。
今本気で考えないと、日本は間違いなく世界で置いてきぼりになってしまうと思う。
今日は年1回の人間ドック受診で午後は半休にした。
人間ドックでは胃カメラを飲んだ。
胃カメラを飲み始めてからもう10年になる。
今回の胃カメラは細いものに進化していたが、昔の胃カメラは、直径が人差し指くらい(1cmくらい)で、太く、黒く、かつ硬いものだった。
そしてその黒いチューブの先端にやけに明るい豆電球が付いているのである。
まず胃内視鏡検査は、のどの局部麻酔から始まる。
他の診療室に比べて暗く、不安をかき立てられるような部屋に連れていかれ、粗末な丸イスに座らせられる。
そして紙コップ4分の1ほどの量の乳白色をした変な味のする液体をゴクンと飲むように指示される。
次にのどを局部麻酔するための透明な液状のゼリーのようなものを注射器で口の中に注入される。
そしてそのヌメッとしたゼリーをしばらく口の中にとどめておくよう言われる。
口の中がだんだんとしびれてくる。
3分程たったらそのゼリーをゴクンと飲みこむ。
次に肩に注射される。刺された瞬間はさほどど痛くないが、次第にじんわりと突き刺すような痛みが襲ってくる。
そうして5分程たってから、看護婦から「すぐおわりますからね~」などとやさしく声をかけられると、ベットに横向きに寝かされ、口元にステンレス(アルマイト?)の楕円形をした器を置かれて、その上に紙が大量に敷かれる。
準備が整ったら、医者が部屋に入ってきて、前回の検査結果の確認やピロリ菌の除去の経験の有無などを聞かれる。
そしていよいよ1年で最も恐ろしい儀式(?)が始まる。
ぜりーをたっぷり塗られた樹脂製のマウスピースを口にはめられ、先端がやけにまぶしく、太く、硬いチューブが徐々に、ゆっくりと、ゆっくりと口の中に侵入していく。
チューブが口の中に半分ほど入ったところで吐き気が催してくる。
そして次に最も恐ろしい難関が待ち受けている。
口とのどは丁度直角、L字状になっているので、チューブの先端がまずのどの奥にぶつかる。
その瞬間、物凄い吐き気に襲われる。酒を飲み過ぎてゲロを吐くどころの苦しみなんてものでない。
次にのどにぶつかったチューブがのどをこするようにして、今度は食道方面に向かってL字状に折れ曲がり、胃方面に向かって進んで行く。
このL字状カーブを通過するときが最も苦しいのだ。
猛烈な吐き気と絶え間ない咳が出て、よだれや涙が垂れ流しになる。
悲しくて涙が出ているのはない。
ステンレス容器と大量の紙が顔の脇に置かれたのはそのためだ。
この難関を通り過ぎると少し楽になる。
チューブの側面が食道をこすりながらスイスイと胃に向かって進入していく。
このとき食道が荒れていたら、物凄い咳に襲われる。
しばらくすると弁のようなものが見え、そこを通ると壁がヒダヒダ状の空間となる。胃の中に入ったのだ。
異次元のような景観だ。
5年ほどまえから患者もいっしょにモニターを見ながら食道や胃の中を瞬時に見られるようになった。
苦しみにもがきながら私の胃や食堂を見ていくのである。
しかし苦しいけど自分の胃の中を見てみるのも結構面白いものだ。
そして医者がモニターを見ながら沈着冷静にいろいろと解説してくれる。
最後に十二指腸に入っていって観察が終ったら、今度はチューブをスルスルと引き抜いていくだけだ。
時間にして7,8分くらいか。
今まで10回ほど飲んだが、悪夢のような時間だ。
しかし今回、医者から意外なことを言われた。10年やってこんなことを言われたのは初めて。
「きれいな胃なので、胃液が逆流したら荒れやすい? ガンになりにくい胃の状態なので、次回は2年に1回でもいい」
本当か?。
コーヒーや酒を飲んだらチクチク痛むのに意外にもダメージは少なかったようだ。
もしかすると、かゆみ対策プロジェクトの代替案の一つとして、野菜スープを毎日食べたおかげか?。
家に帰ってきて久しぶりに平日休暇の午後を過ごす。
やっと記事を書ける時間ができたので、久しぶりに経済、政治分野へのぼやきでも書こうと思い立った。
1.貧困層への政府の対応について
ここ数年、非正規雇用者、シングルマザー、年金生活者などの貧困層(こういう言い方が正しいとは思わない)に対して、政府はもっと支援して手を差し伸べるべきだとする新聞への投稿を頻繁に目にするようになった。
中には富裕層からたくさんの税金を徴収し、それを貧困層に分配すべきだとする考え方をする方もいる。
このような投稿を読むと、富裕層はさほど努力もしないで要領よくやっていい思いをしているのに対し、富裕層は低賃金に耐えながらもあくせく真面目に働いているけど報われない、といった昔の貴族と奴隷、厳しい身分制度があった封建時代に見られた差別が投稿者の裏の考え方、前提条件としてあるのが透けて見えてくる。
では果たして富裕層など稼いでいる人は楽してお金を得ているのであろうか。貧困層は低収入だけど真面目に努力していると言えるのだろうか。
生活保護を受給しているのに、朝から酒を飲み、喫茶店でモーニングセットを食べパチンコをするような人もいる。
私は今の日本ほどに、生まれながらの身分制度など全くなく、自由で、機会均等で、努力した分だけ報われる国というのはそう無いと思っている。
小学校(旧制)しか出ていなくても総理大臣にまで上り詰めた人がいる。
学歴が無くても、生育過程が極貧であっても大富豪となった人はごまんといる。
同様に大学を出ていなくても弁護士や会計士などになった方もたくさんいる。
今の日本は、努力と強い意志があればいくらでも貧困から抜け出せるチャンス、機会が常に与えられている。
本当に努力している人は政府に不満を言わない。
不満を言う人の何倍も働いているし、それに見合う収入も得ている。
つまり、今の日本社会での労働収入というのは、努力に比例して得られる構造となっているのだ。
理不尽な身分制度があった時代とは違う。
不満を言う人はかなりの確率で努力していない。
自分で道を切り開く人は人に依存しないし、それ故に不平不満がない。
一方、政府のやれることには限界がある。
経済が落ち目になっているのに、諸先進諸国よりもはるかに低い消費税率でこれだけのサービスをしているのは正直言って驚異と言える。
その代償として1,000兆円を超える借金大国となってしまった。この借金をどうやって返していくのか。
不満を言う人は、政府が何でもできると錯覚している。
もし政府にものを申すのであれば、税金の使い方だ。
今、無駄と言わざるをえない公共事業に多額の国費が投入されている。リニア新幹線や北海道新幹線、それから今後カジノなどの建設にも投入されようとしている。費用体効果などない。
国防費もしかり。
この無駄な支出を止めて、まず財政の健全化に取り組むべきであろう。
2.日中の科学力
昨日の朝刊の社説「ノーベル賞と日中の科学力」を読んだ。
この社説によると、科学技術の分野での論文数がここ数年、中国において飛躍的に増加しており、米国と肩を並べるほどに躍進しているという。
また中国は大学や企業の研究費や、海外への留学生の数も急増しているという。
翻って日本はどうかというと、大学や公的機関の研究費は横ばい、留学生の送り出しは主要国で最も少ないという。
研究発表、研究論文も右肩下がりだという。
ここ数年のあいだに日本はノーベル賞で、日本としてはかなりの数の受賞があったが、これはかつて日本が世界で躍進し、主要国の仲間入りを果たした頃の研究がもとになっており、現在の日本の成果によるものではない。
ノーベル賞は業績をあげてから受賞するまで30年かかると言われている。
あと30年たったら中国人の受賞者であふれかえっているだろう。
そもそも中国は、鄧小平時代の政策により1980年代初めから日本などの企業の生産拠点を誘致し、その技術を学ばせてもらい、安価な労働力を背景に急成長してきた。
そしてバブルの崩壊がこの動きを一層加速させた。
日本がバブル崩壊後の債権処理に追われている間に、中国は着々と技術力を諸外国から取り入れ築き上げていった。
日本がやっと気づいたときには中国は日本を抜いて世界第2位の経済大国にまでのしあがり、その後の勢いはとどまることは知らず、経済だけでなく、軍事、政治面においてもその強大となった力をふるい続けている。
かつて世界市場を席捲したソニー、松下、東芝、シャープなどの電気機器のブランド力が急速に低下している。
同時に、高い品質力を誇っていたこれらのブランド製品の品質が現在、著しく低下している。
生産拠点を海外に移したこと、コスト競争の激化が背景にあると思われるが、日本製品が高い品質力を誇っていた時代に行われていた品質管理活動(QC)などはバブル崩壊を境に衰退し、品質よりもコストを優先したものづくりにシフトしたことがブランド力の低下を招いたのではないかと思われる。
今日本人の検査に対する見方が昔と全然変わってきている。
すなわち、規定値から外れていても合格とする、検査データを改ざんする、検査項目の一部を省略する、といったことが平然と行われるようになった。
昔のものづくりの魂ともいう日本の誇るべきものが失われてしまっている。
鋳物の伝統で有名の某県のメーカーでも、コストを下げるために混ぜ物をするくらいにまで堕落した。
ソニー、パナソニックなどのブランド名も、あと10年、20年後には世の中で忘れ去られているかもしれない。
日本は通信、医療などの分野で後れをとっているし、製造業は自動車産業でなんとか維持できているようなもので、電気自動車の普及にともない自動車業界も今ほどの世界シェアは保てないと見ている。
そうなったとき、日本はどうなっているのか。
遅れを取り戻そうと思ってもどうすることもできないまで追い込まれているのではないか。
開発力もない、資源もない、外国に出稼ぎに行かないと収入を得られなくなる時代になっているかもしれない。
そうならないためにどうするのか。
さまざまな角度からのアプローチが必要であろうが、まずは今の子供たちの教育を強化することだ。
土曜日の授業の復活も必要だと思う。
あとは大学や研究機関への研究費の支援増だ。
短期的な無駄なことに国費を使わないで、もっと将来的に見据えてお金を投資していく。
だいたい今の日本に将来のビジョンがない。
どういう国にしていくか、という議論が全然ない。
与党を引きずり降ろすためと、スクープを報道して株を上げたいだけしか考えない人たちのために、モリ・カケ・サクラなど低レベルなことに莫大な時間を浪費してきたことを何とも思っていないのか、と疑ってしまう。
自分も将来、日本が駄目にならないようにするために、微力ではあるが、自分なりのあることを始動した。
今本気で考えないと、日本は間違いなく世界で置いてきぼりになってしまうと思う。
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