作詞:谷川俊太郎、作曲:武満徹の反戦歌で、「死んだ男の残したものは」という曲がある。
反戦歌としては寺島尚彦作詞作曲の「さとうきび畑」とともに不朽の名曲といえる。
この曲は1964年にベトナム戦争反対の集会のために作られたという。
作詞した谷川俊太郎は武満徹に作曲を依頼したが、たった1日で作曲されたと言われている。武満徹が35歳ごろのことだ。
この詩も曲も聴くと心突き刺さってくるようだ。何度も聴くと大きな感情がストレートに伝わってくるに違いない。
しかし悲しい歌だ。
人類の歴史を振り返ると、平和と戦いの繰り返しである。今は平和でもいつかは戦いの時代になるのであろう。
戦いで失ったものに対する悲しみが風化し、人々は物質欲に支配され、領土や資源を我が物にしようとする。
物質欲に支配されている人間、人を傷つけ搾取しようとする人間は、例外なく、心が苦しい。心が虚しい。間違いなく幸せではない。
最近、新聞の読者投稿欄で、やたら安倍首相をサンドバックのごとく標的にして、集団的自衛権や、安全保障政策、戦後70年談話などを批判する意見が目立つ。
しかしこのような投稿者たちは、世界で軍事力を増強し、領土や資源の拡大を実行したり、武力を背景にした非道な行動に出ている国や集団に、そのふるまいの無意味さ、無益さ、巻き込まれた人々の悲しみを、決して直接問おうとしていない。
この「死んだ男の残したものは」は2人の若き男たちが、全身全霊で平和の尊さを願って世界の人々の心に届くよう作り上げたものに違いない。
それだけにこの詩も曲も普通の曲と比べ、桁違いに感情エネルギーに満ちている。
この曲は初め独唱曲として作曲され、伴奏などは無かったようだが、後で作曲家の林光がピアノ伴奏付の混声合唱曲に編曲した。
その後で武満徹自身が無伴奏の合唱曲に編曲した。
(作曲者自身の編曲による無伴奏合唱曲の演奏)

(林光編曲、ピアノ伴奏付合唱曲の演奏)

(独唱での演奏)
反戦歌としては寺島尚彦作詞作曲の「さとうきび畑」とともに不朽の名曲といえる。
この曲は1964年にベトナム戦争反対の集会のために作られたという。
作詞した谷川俊太郎は武満徹に作曲を依頼したが、たった1日で作曲されたと言われている。武満徹が35歳ごろのことだ。
この詩も曲も聴くと心突き刺さってくるようだ。何度も聴くと大きな感情がストレートに伝わってくるに違いない。
しかし悲しい歌だ。
人類の歴史を振り返ると、平和と戦いの繰り返しである。今は平和でもいつかは戦いの時代になるのであろう。
戦いで失ったものに対する悲しみが風化し、人々は物質欲に支配され、領土や資源を我が物にしようとする。
物質欲に支配されている人間、人を傷つけ搾取しようとする人間は、例外なく、心が苦しい。心が虚しい。間違いなく幸せではない。
最近、新聞の読者投稿欄で、やたら安倍首相をサンドバックのごとく標的にして、集団的自衛権や、安全保障政策、戦後70年談話などを批判する意見が目立つ。
しかしこのような投稿者たちは、世界で軍事力を増強し、領土や資源の拡大を実行したり、武力を背景にした非道な行動に出ている国や集団に、そのふるまいの無意味さ、無益さ、巻き込まれた人々の悲しみを、決して直接問おうとしていない。
この「死んだ男の残したものは」は2人の若き男たちが、全身全霊で平和の尊さを願って世界の人々の心に届くよう作り上げたものに違いない。
それだけにこの詩も曲も普通の曲と比べ、桁違いに感情エネルギーに満ちている。
この曲は初め独唱曲として作曲され、伴奏などは無かったようだが、後で作曲家の林光がピアノ伴奏付の混声合唱曲に編曲した。
その後で武満徹自身が無伴奏の合唱曲に編曲した。
(作曲者自身の編曲による無伴奏合唱曲の演奏)

(林光編曲、ピアノ伴奏付合唱曲の演奏)

(独唱での演奏)

https://www.youtube.com/watch?v=PaXN4dH-zuk
紹介した「死んだ男の残したものは」をお聴き下さりありがとうございました。
「さとうきび畑」を聴くときもそうなのですが、この「死んだ男の残したものは」も知らず知らずのうちに感情が刺激されます。
リンクで紹介下さった本田路津子さんの演奏も、何度も聴かせていただきました。ありがとうございます。この演奏もいい演奏ですね。
今回記事にしたこの曲は、合唱曲「きょうの陽に」という曲を検索しているなかで、偶然見つけました。いい曲に出会うのも運があるのだと思いました。