緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

NLPで対人恐怖症は改善されるのか(6)

2023-08-27 00:13:08 | 心理
B. 自己否定と強迫的衝動を原因とする恐怖の解決に向けて

Ⅱ 恐怖感情の肯定 過去から現在までの生き様の肯定

恒常的な恐怖の原因を前回の記事で取り上げた。
常に恐怖を感じることは苦しい。経験した人でないと分からないと言っていい。対人恐怖者の殆ど全ての人が、一刻でも早くこの辛い恐怖を無くして幸福になることを渇望する。
あまりにも辛く苦しいため、藁をもすがるという心境であろう。
そのため精神科で薬を処方してもらったり、速効性を謳う魔法のような心理療法に飛びつく。しかしこの試みはまず失敗に終わる。
何故か。その理由を考えてみたい。

まず最も重要なことは、これらの解決しようとする行動の背景にある動機が、恐怖を憎む、拒否する、排除しようとする点にあることである。
恐怖を無くしたい、消したいと願うことは、今目の前に危険があろうがなかろうがまさに恐怖を感じているありのままの実際の自分を否定していることと同じことなのである。
「こんなお前では物凄く嫌だ。早く目の前から消えろ。いなくなってしまえ。」と言っているのに等しいのである。
そうすると、その否定されたありのままの実際の自分は、恐怖を感じている自分を理解してもらおうとますます激しく抵抗してくるのではないだろうか。痛みを分かってもらおうと泣き叫ぶ小さな子供に、「そんなことくらいで泣くな」、と言うとますます激しく泣き叫ぶのと同じことなのだ。
このジレンマに気付かず、恐怖を無くすという視点、動機で解決しようとしている限り、一生、苦しみ続けることになるであろう。

このジレンマを解決するためには、前回の記事に書いたように、この苦しみを持つに至った自らの生き様を受容し、いたわり、肯定してあげる以外に方法は無い。
ボロボロに傷ついた自分を、「辛かったね、怖かったね」、とその自分が本当に望んでいることを言ってあげるのである。
これは本当の気持ちでないと通じない。
心理学に本に書いてあったから試してみた、といったような、実は恐怖を無くしたいという本当の動機が隠されていたとしたら上手く行かない。
しかし、自分の今までの生き様を振り返り、その壮絶さが真に理解できたならば、恐怖を無くそうという、気持ちは起きなくなると思う。
逆に、恐怖のままでいいんだ、という心境になるのではないだろうか。これだけ恐ろしい体験をしたんだから、24時間、誰に対して恐怖を感じて当たり前なんだ、当然のことなんだ、という感じ方に変わるのではないかと思う。

また、恐怖があると人から変に思われる、嫌われる、相手にしてもらえない、という感じ方にも注目する。意識していても、意識できていなかったとしても、この感じ方に常に支配されていると、苦しみから抜け出すことは出来ない。
意外に、対人恐怖症の人に対し、殆どの人が何とも思っていないのである。もしかすると気の毒だと思ってくれる優しい人もいるのである。
極く稀に、対人恐怖を奇異に思ったり、馬鹿にする人がいるが、そのような人は間違いなく心の病んだ人なのである。そのような人は対人恐怖症者でなくても人を馬鹿にすることで、かろうじて心のバランスを維持して生きようとする後ろ向きのつまらない弱い人間に過ぎないのである。

「対人恐怖は自分の人格とは無関係だ。単に外に現れている反応に過ぎない」、「対人恐怖で何が悪い」、「俺は対人恐怖でもいい。今までの人生で対人恐怖になるべくしてなってしまったのだ。そういう自分を今すぐに変えようと思っても出来ない。もうこれで生きていくしかない」、といった感じ方をしてみて欲しい。
恐怖は感じていても、同時で別の感情として、何か「地についたような安心感」ような感情が起きてくるはずである。
恐怖があったら人は受け入れてくれない、馬鹿にされると思って、必死に恐怖を克服しようするふるまいを続けているときに感じる避けがたい大きな不安感とは天と地ほどの差があることに気が付くに違いない。
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