この1週間余り、中田喜直作曲、サトウハチロー作詞の「小さい秋みつけた」を聴き続けていた。
7、80回くらいは聴いただろうか。
季節は夏が終わり秋に入ろうとしている。北海道など北国はもう秋の気配がしているに違いない。
私の住んでいる所は、夜になると秋の虫の鳴き声が盛んに聞こえてくる。
文学や芸術などの分野で「不朽の名作」という評価を目にすることがあるが、この「小さい秋みつけた」はこの言葉に最もふさわしいものだと思う。
曲と詩の相性、ピアノ伴奏と歌との相性などは言うまでもなく、最も素晴らしいのは、日本人の心に深く染み入る旋律である。
しかし現代の日本では、もはやこのような素朴で日本人の感性を刺激する曲は生れることはなくなった。
この「小さい秋みつけた」は1955年の作曲である。
この曲を好きになったのは中学1年生のときだ。
たぶんNHKの「みんなのうた」という番組で流れていたのだと思う。
合唱大会でこの曲を歌いたいとクラスのみんなに提案した。
この曲のピアノ伴奏をしたくて、全くピアノなど弾けないのに姉に教えてもらって弾こうと無謀なことをした思い出がある。
ギターを弾くようになる半年ほど前のことだった。
30代半ばで何故かこの曲を無性に聴きたくなり、CDを探した。
鮫島有美子や伊藤京子のCDを手に入れて何度も聴いた。
歌詞を聴くうちに、第二番目の「お部屋は北向き くもりのガラス」、「うつろな目の色 とかしたミルク」という箇所が気になった。
調べてみたが、北向きの部屋、くもりガラスのある部屋はその昔、結核などの病人にあてがわれた部屋であり、この詩の主人公である「誰かさん」は病室から外を見ようとくもりガラスに映った自分の虚ろな目を見たということになろうか。
「とかしたミルク」とはこの「うつろな目の色」の比喩なのであろうか。
あれこれ頭の中で詩の解釈をするより、まずはこの素朴で美しい曲や詩をシャワーのように浴び続ける方がいい。
理屈抜きに、この曲や詩から伝わってくるものに心をまかせた方がいいに決まっている。
この曲のベスト盤を探しているが、意外にも音源は少ない。
オリジナルのピアノ伴奏付で女声のものはごくわずかである。
よく知られているのがボニー・ジャックスのものであるが、私はピアノ伴奏付で女声にこだわる。
今まで鮫島有美子や伊藤京子の録音、とくに伊藤京子の演奏に親しんできた。
最近、稲村なおこの演奏(といっても他奏者とのごく一部分)をYoutubeで聴いて、いいなと思って彼女のCDを買って聴いた。
今日、土居裕子の演奏に出会ったが、伴奏が良くない。テンポも速すぎ。しかし土居裕子の歌声は一番この曲に合っていると思った。
大人の女性の母性を感じさせる歌声。
張りのある、艶やかな音色である。とても強い生命力を感じる。
この音源は日本コロンビアの「ほわほわおんがく」というCDで聴けるが、ニコニコ動画でも聴ける。
この曲の伴奏はオリジナルのピアノ伴奏が最もいい。
このピアノ伴奏はとても優れていると思う。
とくに2番目と3番目の間に挿入されるフォルテの間奏が素晴らしい。
この「小さい秋みつけた」は日本が世界に誇れる数少ない曲のひとつだ。
きっと外国の人が聴いても静かな感動を覚えるに違いない。
「小さい秋みつけた」のような素朴で、聴きものの心に深く入ってくる音楽を、子供のころからたくさん聴く必要があると思う。
子供の頃にグリムやアンデルセンなどの童話を読んだように。
この「小さい秋みつけた」を聴いて何も感じなかったとしたら、心はかなり麻痺しているのではないか。
競争社会を勝ち抜き、巨万の富を築き、飽食の日々を送っても、このような素朴なものに感じるものが何もなければ、生きている実感は何も感じられないに違いない。
味噌汁一杯の味に安堵と安らぎを感じ、秋の虫の鳴き声に静かに耳を傾けている方がいい。
ちいさい秋みつけた 作詞:サトウハチロー
だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口ぶえ もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
おへやは北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉赤くて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
7、80回くらいは聴いただろうか。
季節は夏が終わり秋に入ろうとしている。北海道など北国はもう秋の気配がしているに違いない。
私の住んでいる所は、夜になると秋の虫の鳴き声が盛んに聞こえてくる。
文学や芸術などの分野で「不朽の名作」という評価を目にすることがあるが、この「小さい秋みつけた」はこの言葉に最もふさわしいものだと思う。
曲と詩の相性、ピアノ伴奏と歌との相性などは言うまでもなく、最も素晴らしいのは、日本人の心に深く染み入る旋律である。
しかし現代の日本では、もはやこのような素朴で日本人の感性を刺激する曲は生れることはなくなった。
この「小さい秋みつけた」は1955年の作曲である。
この曲を好きになったのは中学1年生のときだ。
たぶんNHKの「みんなのうた」という番組で流れていたのだと思う。
合唱大会でこの曲を歌いたいとクラスのみんなに提案した。
この曲のピアノ伴奏をしたくて、全くピアノなど弾けないのに姉に教えてもらって弾こうと無謀なことをした思い出がある。
ギターを弾くようになる半年ほど前のことだった。
30代半ばで何故かこの曲を無性に聴きたくなり、CDを探した。
鮫島有美子や伊藤京子のCDを手に入れて何度も聴いた。
歌詞を聴くうちに、第二番目の「お部屋は北向き くもりのガラス」、「うつろな目の色 とかしたミルク」という箇所が気になった。
調べてみたが、北向きの部屋、くもりガラスのある部屋はその昔、結核などの病人にあてがわれた部屋であり、この詩の主人公である「誰かさん」は病室から外を見ようとくもりガラスに映った自分の虚ろな目を見たということになろうか。
「とかしたミルク」とはこの「うつろな目の色」の比喩なのであろうか。
あれこれ頭の中で詩の解釈をするより、まずはこの素朴で美しい曲や詩をシャワーのように浴び続ける方がいい。
理屈抜きに、この曲や詩から伝わってくるものに心をまかせた方がいいに決まっている。
この曲のベスト盤を探しているが、意外にも音源は少ない。
オリジナルのピアノ伴奏付で女声のものはごくわずかである。
よく知られているのがボニー・ジャックスのものであるが、私はピアノ伴奏付で女声にこだわる。
今まで鮫島有美子や伊藤京子の録音、とくに伊藤京子の演奏に親しんできた。
最近、稲村なおこの演奏(といっても他奏者とのごく一部分)をYoutubeで聴いて、いいなと思って彼女のCDを買って聴いた。
今日、土居裕子の演奏に出会ったが、伴奏が良くない。テンポも速すぎ。しかし土居裕子の歌声は一番この曲に合っていると思った。
大人の女性の母性を感じさせる歌声。
張りのある、艶やかな音色である。とても強い生命力を感じる。
この音源は日本コロンビアの「ほわほわおんがく」というCDで聴けるが、ニコニコ動画でも聴ける。
この曲の伴奏はオリジナルのピアノ伴奏が最もいい。
このピアノ伴奏はとても優れていると思う。
とくに2番目と3番目の間に挿入されるフォルテの間奏が素晴らしい。
この「小さい秋みつけた」は日本が世界に誇れる数少ない曲のひとつだ。
きっと外国の人が聴いても静かな感動を覚えるに違いない。
「小さい秋みつけた」のような素朴で、聴きものの心に深く入ってくる音楽を、子供のころからたくさん聴く必要があると思う。
子供の頃にグリムやアンデルセンなどの童話を読んだように。
この「小さい秋みつけた」を聴いて何も感じなかったとしたら、心はかなり麻痺しているのではないか。
競争社会を勝ち抜き、巨万の富を築き、飽食の日々を送っても、このような素朴なものに感じるものが何もなければ、生きている実感は何も感じられないに違いない。
味噌汁一杯の味に安堵と安らぎを感じ、秋の虫の鳴き声に静かに耳を傾けている方がいい。
ちいさい秋みつけた 作詞:サトウハチロー
だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口ぶえ もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
おへやは北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉赤くて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
「小さい秋みつけた」いいですね。
ここしばらく大好きなギター練習で随分と落ち込んで
いました。
親指巻込み癖の矯正が全くうまく行かずアルペジオ
さえ弾けない状況になってしまいました。
そこで最近童謡の”かあさんの歌”を練習始めた
ばかりでした。
これまでの講師が亡くなられ講師が代わられて
すべてをリセットして最初から始めましょうと言われ
取組み始めたばかりです。
まだまだ諦めずにギターは続けたいと思います。
親指の状態がなかなか回復しないのですね。
ギターを思うように弾けないことは辛いことだとお察しします。
亡くなられた講師は、長野文憲さんですね。
現代ギターに訃報が出ていました。
10年ほど前に、大手楽器店主催の展示会に招かれているのを見たことがありました。
先日、ギターを弾き始めた頃に放映していたNHKギターを弾こうのテキストを古本で手に入れ、40年ぶりに懐かしい思いでテキストの練習曲を弾いてみました。
ごく初歩の練習曲(アグアドやカルカッシ)でもとても勉強になる要素を持っているものですね。
改めてやさしい練習曲の重要性を感じさせられました。
今度、久しぶりにギターのことを記事にしようと思っています。
仕事が忙しく、なかなかギターを手に取る時間が確保できなくなっていますが、そのような中でギター練習法で考えるところがあり、記事で書きたいと思っています。
Tommyさんのブログも時々拝読させていただいております。
またご意見いただけると嬉しいですね。