こんばんは。
前回のブログでは私の最も好きなギター曲の1つである宍戸睦郎さんの
「ギターのためのプレリュードとトッカータ」を紹介しましたが、youtube
の演奏を貼り付けたところ、パソコンが異常な状態になり(大きな音がした
り、gooが強制終了したり)、結局貼り付けされませんでした。
私のお粗末な演奏を拒んだのかも。
さて今日は邦人作曲のギター曲で素晴らしい曲を紹介したいと思います。
邦人作曲家のギター曲に始めて取り組んだのは、大学2年生のときで、
伊福部昭さんの「古代日本旋法による踏歌」だったのですが、日本の遠い
「ふるさと」を感じさせる素晴らしい曲だったんですね。伊福部さんのギター
曲については別の機会に話そうと思いますが。この「古代日本旋法による
踏歌」を弾いて以来、長い間邦人作曲家の曲とは無縁の状態でした。
でも無意識のうちに日本人のもつ根源的なものを感じさせる音楽を聴きたい、
弾きたいという強い欲求があったのだと思います。10年くらい前だった
か、ギターの雑誌である現代ギターの古いバックバンバーで「挽歌」という
曲がいい曲だという記事があったのをふと思い出したのです。
そっそく楽譜を探したところ、東京目白のギタルラ社でピースが出版されて
いることが分かりました。すぐに弾きたくなり、直接ギタルラ社で楽譜を
見つけ買いました。購入したときたまたまギタルラ社の社長がいて、この
「ギターのための挽歌」はものすごくいい曲であること、作曲者の原博さん
は数年前に亡くなられたことなど教えてくれました。
曲は寂しく悲しい曲です。挽歌とは葬送のときに歌われる曲です。当然といえば
当然ですが、前半は親しかった人の死を悲しむ曲想であり、中間部は長調に転じ
故人との楽しかったときの思い出、幸せなときを回想するが、それも長くは続か
ず再び悲しみの気持ちに引き戻され、冒頭の主題が繰り返され悲しみがクライ
マックスを迎えて、最後はしずかに終わっていきます。
なんかものすごく悲痛な感じがしますが、他のギター曲にはない独特のものが
あります。膨大な数のギター曲のなかでもこの曲は貴重だし、間違いなく名曲だ
と思います。
この曲は宍戸睦郎さんの「ギターのためのプレリュードとトッカータ」と同じ
1969年に作曲されていますが、もともとこの曲は前年に作曲されたギター
三重奏のための「ギターアンサンブルのための組曲」の中の三番目の曲として
作曲されていたんです。それを独奏曲用にしたのですね。
この曲は東京国際コンクールの本選課題曲にも選ばれました。このときのコン
クールを聴きに行きたかったのですが、いつも土日開催なのに、このときだけ
は何故か月火開催。主催者が間違って前の年のカレンダーでも見てホールを
予約したんですかね。何やっているんだか。せっかく楽しみにしていたのに、
聴きにいけませんでした。仕事を休んでも行きたかったのですが無理でした。
この挽歌は形式的にはヨーロッパの音楽形式を採っていると思われますが、
音楽の深いところに日本的なものを感じます。日本の1960年代以前にあった
ものを感じさせてくれます。
さて、原博さんの奥さんも作曲家なんですね。原嘉寿子さんといってオペラの
作曲が多いようです。原嘉寿子さんには、唯一クラシックギターのために作曲
した曲「ギターのためのプレリュード、アリアとトッカータ」があります。
今私はこの曲を練習中です。この曲は先の宍戸さんや原博さんのギター曲と
は全然ちがうものがあります。はっきりいって現代曲です。不協和音を多用
し、何を主張したいのか分かりにくい面がありますが、結構魅力的な曲です。
第二楽章のアリアは不気味な不協和音が続きますが、それはそれで個性のある
曲であると感じています。
この曲も東京国際ギターコンクール本選課題曲に選ばれました。
コンクール参加者の殆どがこの曲がうまく弾けていませんでした。
ただ一人優勝者のトーマス・ツアヴィエルハさんだけが素晴らしい演奏だった
ように記憶しています。
前回のブログでは私の最も好きなギター曲の1つである宍戸睦郎さんの
「ギターのためのプレリュードとトッカータ」を紹介しましたが、youtube
の演奏を貼り付けたところ、パソコンが異常な状態になり(大きな音がした
り、gooが強制終了したり)、結局貼り付けされませんでした。
私のお粗末な演奏を拒んだのかも。
さて今日は邦人作曲のギター曲で素晴らしい曲を紹介したいと思います。
邦人作曲家のギター曲に始めて取り組んだのは、大学2年生のときで、
伊福部昭さんの「古代日本旋法による踏歌」だったのですが、日本の遠い
「ふるさと」を感じさせる素晴らしい曲だったんですね。伊福部さんのギター
曲については別の機会に話そうと思いますが。この「古代日本旋法による
踏歌」を弾いて以来、長い間邦人作曲家の曲とは無縁の状態でした。
でも無意識のうちに日本人のもつ根源的なものを感じさせる音楽を聴きたい、
弾きたいという強い欲求があったのだと思います。10年くらい前だった
か、ギターの雑誌である現代ギターの古いバックバンバーで「挽歌」という
曲がいい曲だという記事があったのをふと思い出したのです。
そっそく楽譜を探したところ、東京目白のギタルラ社でピースが出版されて
いることが分かりました。すぐに弾きたくなり、直接ギタルラ社で楽譜を
見つけ買いました。購入したときたまたまギタルラ社の社長がいて、この
「ギターのための挽歌」はものすごくいい曲であること、作曲者の原博さん
は数年前に亡くなられたことなど教えてくれました。
曲は寂しく悲しい曲です。挽歌とは葬送のときに歌われる曲です。当然といえば
当然ですが、前半は親しかった人の死を悲しむ曲想であり、中間部は長調に転じ
故人との楽しかったときの思い出、幸せなときを回想するが、それも長くは続か
ず再び悲しみの気持ちに引き戻され、冒頭の主題が繰り返され悲しみがクライ
マックスを迎えて、最後はしずかに終わっていきます。
なんかものすごく悲痛な感じがしますが、他のギター曲にはない独特のものが
あります。膨大な数のギター曲のなかでもこの曲は貴重だし、間違いなく名曲だ
と思います。
この曲は宍戸睦郎さんの「ギターのためのプレリュードとトッカータ」と同じ
1969年に作曲されていますが、もともとこの曲は前年に作曲されたギター
三重奏のための「ギターアンサンブルのための組曲」の中の三番目の曲として
作曲されていたんです。それを独奏曲用にしたのですね。
この曲は東京国際コンクールの本選課題曲にも選ばれました。このときのコン
クールを聴きに行きたかったのですが、いつも土日開催なのに、このときだけ
は何故か月火開催。主催者が間違って前の年のカレンダーでも見てホールを
予約したんですかね。何やっているんだか。せっかく楽しみにしていたのに、
聴きにいけませんでした。仕事を休んでも行きたかったのですが無理でした。
この挽歌は形式的にはヨーロッパの音楽形式を採っていると思われますが、
音楽の深いところに日本的なものを感じます。日本の1960年代以前にあった
ものを感じさせてくれます。
さて、原博さんの奥さんも作曲家なんですね。原嘉寿子さんといってオペラの
作曲が多いようです。原嘉寿子さんには、唯一クラシックギターのために作曲
した曲「ギターのためのプレリュード、アリアとトッカータ」があります。
今私はこの曲を練習中です。この曲は先の宍戸さんや原博さんのギター曲と
は全然ちがうものがあります。はっきりいって現代曲です。不協和音を多用
し、何を主張したいのか分かりにくい面がありますが、結構魅力的な曲です。
第二楽章のアリアは不気味な不協和音が続きますが、それはそれで個性のある
曲であると感じています。
この曲も東京国際ギターコンクール本選課題曲に選ばれました。
コンクール参加者の殆どがこの曲がうまく弾けていませんでした。
ただ一人優勝者のトーマス・ツアヴィエルハさんだけが素晴らしい演奏だった
ように記憶しています。
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