緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ演奏「ベートーヴェン・ピアノソナタ第32番(1961年録音)」を聴く

2021-08-14 22:08:08 | ピアノ
今年の5月だったであろうか、たまたまタワーレコードで、「ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ全集~仏ディアパゾン誌のジャーナリストの選曲による名録音集」というCDを見かけて興味をそそられた。
早速購入したが、やっと聴くことができたのが今日だった。



商品の解説を読むと次のような紹介文が書かれていた。

フランスで最も権威のある世界有数のクラシック音楽専門誌「ディアパゾン(Diapason)」の自主レーベルから登場する看板シリーズ、同誌のジャーナリストが選曲、選定を行うボックス・セット・シリーズの第21弾は、往年の世界的巨匠たちの名演を集めたベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ全集」!
「1曲=1名/1録音」を基本としつつも、第8番、第12番、第14番、第18番、第23番、第26番、第29番、第30番、第32番の9曲では複数の演奏を収録するなど、20世紀の巨匠たちの名演を聴き比べることができる豪華な構成となっています。

意外だったのは、マリヤ・グリンベルクの録音が3曲選出されていたことだ。
ただ残念だったのは、32番の選出にマリヤ・グリンベルクの1961年の録音(原盤メロディア、国内盤はトリトン(廃盤)が無かったことだ。

第32番で選ばれていたのはマリヤ・ユージナ(1958年録音)とアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1961年)、エリー・ナイ(1936年録音、1楽章のみ)の3人。
マリヤ・ユージナの録音はトリトンやベネチアの復刻版で既に聴いていたが、ミケランジェリの1961年録音は初めて聴いた。

ベートーヴェンのピアノソナタに本格的にのめり込んだのは、思えば今から10年ほど前に、第32番をミケランジェリの1990年のライブ録音で聴いたのがきっかけであった(それまで第14番の聴き比べはけっこうやっていたが)。



ただこの1990年のライブ演奏はミケランジェリの最晩年の頃の演奏で、かなり衰えの感じるものであった・
しかし彼のもっといい演奏が他にあるに違いないと思って、次に聴いたのが1988年のライブ録音。



この演奏に衝撃を受けた時のことは忘れられない。
以来、この第32番や第31番の最高の演奏を求めて、夥しい数の演奏を聴くことになる。
まもなくしてミケランジェリのスタジオ録音(1965年)やライブ演奏(ビデオ、1962年)も聴いた。
そして次に最も、恐らくすべての音楽の中で最も衝撃的と言っていくらいの演奏との出会いがあった。
それは先述のマリヤ・グリンベルクの1961年の録音であった(メロディアから出た全集での録音、1966年録音版とは異なる)。

結局、この第32番の演奏に関しては、ミケランジェリとグリンベリク以外に自分を満足させる演奏を見つけ出すことはできなかった。
今回聴いた1961年録音版は、10月1日にロンドンで録音されたスタジオ録音のようだ(同年のBBCホールでのライブ録音とは異なる)。
聴いてみた感じでは1965年のデッカ版に技巧面でも音楽面でも近い演奏だが、録音状態は良くない。
1965年版とわずかな相違しかないように思えるが、第2楽章アリエッタの演奏においては1961年の方が気持ちが強く動かされたように感じた。
とくに次の難しい変奏(この部分をまともに聴けるのはミケランジェリとグリンベリクだけ)、そして最後のクライマクスの部分は1961年の方が集中力と感情エネルギーの強さをより一層感じた。





ピアノソナタ第32番は、ベートーヴェンが晩年自分の人生を振り返り、心が張り裂け、もがき苦しむほどの苦悩を味わった時期と、その精神的苦悩を受け入れ、乗り越えることで得られた平安の境地を表現したものに他ならないと思う。
だから生半可な技巧や解釈、奏者の人生体験の未熟さでは太刀打ちできない曲なのである。
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