緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

印象に残った本(2017)

2017-12-28 22:00:14 | 読書
大の読書好きというわけではないが、本はほぼ継続して読む方だ。
今年に読んだ本で印象に残ったものを挙げてみたい。

まず読んだ本で主だったものとして、

①海市  福永武彦著
②風土  福永武彦著
③堕落  高橋和巳著
④もう一つの絆  高橋和巳著
⑤白く塗りたる墓  高橋和巳著
⑥死ぬほど読書  丹羽宇一郎著
⑦誘惑者  高橋たか子著
⑧帳簿組織  沼田嘉穂著
⑨定年後  楠木新著
⑩「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪  小川榮太郎著

この中で特に印象に残ったものは、次の3冊だった。

⑦誘惑者  高橋たか子著
⑧帳簿組織  沼田嘉穂著
⑩「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪  小川榮太郎著

⑦は物凄く暗く、なんとも後味の悪い本であった。



でも非常にインパクトのあった本。恐らくストーリーは一生忘れられないであろう。
著者の高橋たか子さんは高橋和巳の妻で作家でもあった。
高橋和巳ががんで亡くなるまで影で支えた。
彼女がどれだけ強い忍耐で夫を支えたかは、「高橋和巳の思い出」、「高橋和巳という人」という著作を読めば分かる。
高橋たか子が高橋和巳のことをどれだけ深く尊敬していたことも行間から伝わってくる。
高橋和巳の小説は暗いのだが、高橋たか子の著作はもっと暗い印象を持った。
その最たるものが「誘惑者」であろう。
主人公である京大の女子学生が、高等学校時代同級生だった2人の親友の自殺を幇助するのであるが、自殺しようとする親友が躊躇しているのに、自らが完全に実行に移すよう誘導していく主人公人身が、それまではっきりと意識できなかった自らの本質(=悪魔)が最後に浮き彫りにされ、自覚される。
人間の深層心理に潜む恐ろしさを描いた小説なので、多感な若い方には勧められない。

下の写真は結婚して間もない頃の高橋夫妻。



この表情からこの小説の内容をイメージし難いが、「誘惑者」はもっと後年、夫が亡くなってから書かれたものである。

次に⑧であるが、この本の感想は以前記事にした。



著者の学問に対する情熱を強く感じる名著。
大学の学者が企業における実務にここまで踏み込んで調査し、まとめ上げた学術書をこれまで読んだことはない。
企業に長年勤めて実務を経験しないと書けないほどの内容だ。
単なる帳票の紹介ではなく、当時は殆ど取り上げられなかったであろう内部統制制度を常に関連させて説明しているところが素晴らしい。
大きな会社では2008年からj-soxによる監査が義務付けられ、社内の監査部門による独立評価(内部監査)と公認会計士による外部監査が行われるようになったが、50年近く前の著作にもかかわらず、その制度の原型が読みとれる。

⑩は11月末のリフレッシュ休暇で九州から帰る時に空港での待ち時間でたまたま立ち読みした本で後で近くの書店で買って読んだ本。



ビジネス書など滅多に読まないが、これは結構面白かった。
モリ・カケ問題は今年前半に盛んに報道され、国会でも騒がれたが、今一つ分からなかった。
以前、購読してい新聞の読者投稿欄で、女子高校生がモリ・カケ問題を国会で審議するはおかしいのではないか、もっと政治家は他にやるべき大きなことがあるのに、こんなことに莫大な時間を消費してていいのか、と訴えいたのが強く記憶に残っている。
私も同じような感じを持っていた。
しかし後日、年輩の方がこの意見をたしなめるような投稿をしていたが、残念だ。
私はこの問題はずーっと変だなと感じていた。
何で報道関係者は事実を捻じ曲げてまでもスクープを出そうとするのか。
そんなに「賞」や「名誉」といったものが欲しいのだろうか。
「賞」に対する渇望、執念の凄まじさを感じさせられる。
自分に大きな価値を感じたいからであろう。
しかし正道を外れて得たものは、それ自身が身の破滅への入り口となる。
この本で徹底的に批判された新聞社が26日、著者を訴えるため裁判を起こしたようだ。
しかしこの新聞でこの訴えたという記事は今のところ目にした記憶は無い。
そもそもモリ・カケ問題すら、ずっと記事になっていない。
この著作の言っていることが偽りでれば堂々と記事で書けいいのに書いていないということは、オープンに出来ない理由があるのではないか。
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斎藤秀雄の指揮法(タタキ)

2017-12-28 20:59:16 | マンドリン合奏
合奏の重要なポイントは当たり前と言われるかもしれないが「音のズレを無くす」、「押さえ間違いを無くす」の2つだと思う。
合奏の生演奏や録音を聴いて思うのは、いつもこの2つの重要性だ。
この2つを達成できていない演奏を聴くと、聴き手は演奏者の練習不足を意識的、無意識的に知覚する。
折角いい演奏をしていてもこれらが目立ってしまうとかなり興ざめしてしまうものだ。

「押さえ間違いを無くす」ためには個人の練習に依存するが、「音のズレを無くす」ためには個人の練習だけでは達成できない。
いくらリズムを正確に刻み、テンポを正確に測れる能力があっても、音楽は機械でコントロールしていくわけではなく、人間がコントロールしていくわけだから、作品をコントロールする役割を担う指揮者の存在と責任は大きい。

私が学生時代に所属していたマンドリンクラブの指揮は、リズムやテンポが分かりやすかった。
難しい入りやリズムの時には指揮者の指揮棒が唯一の頼りであった。
学生時代の演奏を思い出すと、とにかく良く指揮を見たものだ。
学生のような素人が指揮を見ずして音を合わせることはまず出来ない。
学生時代の指揮者の指揮の特色は「打点」が明確だったことだ。
指揮棒が振り下ろされ、そして振り下ろされた最も下の地点が視覚的に明確に分かる指揮法だった。

この指揮法が何というメソッドに基づいていることなど当時は全く関心が無かったが、今から5年ほど前に学生時代に演奏した時の大量の楽譜が実家の物置から偶然発見され、家に持ち帰って1つ1つ過去を懐かしみながら見ていった中に、当時の先輩が書いてくれた指揮法の簡単な解説が見つかった。
その資料を25年ぶりに見たが、学生時代のマンドリンクラブの指揮が「斎藤秀雄」の指揮法をベースとしていることが記載されていた。



ここで初めて斎藤秀雄のメソッドを知る。
そして彼の超ロングセラーである「指揮法教程」(音楽之友社、初版1956年)を古本で買った。





斎藤秀雄と言えば、クラシックファンなら誰でも知っている、小澤征爾、堤剛、秋山和慶などの大家を育てた指揮者、チェリスト、教育者である。
意外なことに最初に手にした楽器はマンドリンであり、マンドリンオーケストラを組織したこともあったという。
「サイトウ・キネン・オーケストラ」という楽団を聞いたことがある人は多いと思うが、小澤征爾、秋山和慶が中心になって、斎藤秀雄の教え子たちで結成されたオーケストラだ。

斎藤秀雄は教育者として大変厳しかったようだ。
購読している新聞で今、弟子の秋山和慶氏のエッセイが連載されているが、今日の記事では、斎藤秀雄の指揮法について触れていたので、一部紹介させていただく。
『そうして指揮の基本動作を七つに絞りました。有名なのが「タタキ」です。上から手を落とし、跳ね返らせる。その瞬間に生まれる「点」に、楽員たちが反応して音を出すわけです。皆の心をそろえるため、自ら「無心」になる。技術はそのためにある。先生の教えはこれにつきます。』
『小澤征爾さんが1959年、日本人で初めて仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝したとき、先生に「タタキ」は最大の武器である」って電報を打ってこられたのですが、先生、それはそれはうれしそうでした。』




「タタキ」が生み出す打点に演奏者たちが反応して音を出す、この瞬間の気持ちの高揚というのは、合奏経験者でないと分からないと思う。
何か目に見えない潜在的な不思議な力が生み出されて、その力に導かれるようにみんな物凄い高い集中力で音を合わせようとする。
人それぞれに芽生えたこの精神的エネルギーがきっと何倍にも増幅されて、聴き手の心の奥底まで貫くのだと思う。

学生マンドリンオーケストラの中には、この一生にそう何度もあるはずのない貴重な瞬間を体験する機会を創り出そうとしていない団体もあるように思う。
片手間にやるというスタンスであれば必然的にそうなるのであろうが、若い時に先に書いたような体験をしたことで、その後、何十年かの人生の重要な局面で救いの力を与えてくれることがあることをいいたい。
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