緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

武満徹作曲「遮られない休息」を聴く

2017-07-30 22:32:21 | ピアノ
武満徹のピアノ曲はシンプルな構成のものが多いが、初期、中期の作品は難解で理解するのに苦労する。
ピアノ作品の中でも「遮られない休息」(第1曲:1952年、第2、第3曲:1959年)という曲は装飾、形式といったものが何もない、感覚が全てのような曲だ。

この曲は瀧口修造氏の「遮られない休息」という詩を題材に作曲された。
瀧口修造氏については未だ殆ど何も知らないが、日本でシュルレアリスム(超現実主義)を広めた美術評論家、詩人であったという。

「遮られない休息」は「妖精の距離」という詩集に収められた短い詩である。
読んでみると非常に難解、何を意味しているか全くというほど分からず、理解に苦しむ。
著作権の関係で全文を記載できないが、いくつかのキーワードを下記に挙げておく。

跡絶えない翅
巨大な瓶の重さ
雪の記憶
球形の鏡

武満徹の「遮られない休息」は短い3曲からなる。

第1曲:ゆっくりと悲しく、話しかけるように
第2曲:静かに残酷な響きで
第3曲:愛のうた

全て無調の暗い曲だ。
理解するのに多大な時間と労力を要するのが、前衛時代の音楽であり芸術である。
見たり聴いたりして瞬時に美しいとか、素晴らしいとか、感情を刺激され陶酔するようなものではない。
人間は心地よく、瞬間的に感動や癒しを与えられるものに惹き付けられるものである。

音楽のみならず、詩、文学、哲学、絵画、造形などの芸術分野で一昔前にとても難解で、従来の美の極致を追求したのとは全く価値観を別にした作品がたくさん作られた。
難解な作品は鑑賞者が一瞬で感覚的に理解し、評価することを求めていない。

分かりやすい芸術のみに親しみ、楽しむこともいいが、難解なものに挑戦して、忍耐しながら長い時間をかけて理解しようとすることも楽しめるのではないか。
一つのジャンルに凝り固まって、その狭い枠で深めていくのも一つの価値観であり、誰もそれを否定できるものではないが、その枠を一歩出て、思いもしなかった作品に触れて、何か今までと違った感じ方を体験することもあるかもしれない。

先日、仙台市の某美術館に行って、古典的手法の絵画から前衛作品まで見てきたが、前衛作品も意外に抵抗なく鑑賞できた。
前衛芸術に批判的な目を向けたり、拒絶反応を起こす人は多いが、芸術は「美しくあるべきもの」という先入観をいったん取り払い、まっさらな気持ちで対峙すれば前衛芸術も鑑賞の入り口に立てると思う。

【追記】
第3曲「愛のうた」は、武満徹の「ヴァイオリンとピアノのための 悲歌」と対をなす曲だと言われている。
この曲は和波孝禧氏の録音で聴ける。

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