緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

Josef Rheinberger作曲 Abe Regina coelorum を聴く

2017-03-12 23:41:49 | 合唱
以前買っておいた、福島県立安積女子高等学校合唱団の全日本合唱コンクールの録音集(CD3巻)を久しぶりに聴いてみた。
第Ⅰ巻と第Ⅱ巻の課題曲のみを通しで聴いた。
この学校の歴代の指揮者、渡部康夫、菅野正美、星英一の三氏による演奏だ。

1980年から2000年までの、この安積女子高等学校(のち共学化で安積黎明高等学校と改名)の黄金期の演奏を聴くことができる。
いくつかの素晴らしい演奏のうち、Josef Rheinberger作曲 Abe Regina coelorum(”Sechs Marianische Hymen”から)という曲が印象に残った。
合唱曲のうち外国人作曲家による曲は比較的多く演奏される機会は多いが、今一つなじめなかった。
しかしこの曲は幸福感を感じるいい曲だ(1999年大会、星英一指揮)。
1999年は黄金期を築いた菅野正美氏から星英一氏にバトンタッチされた年で、Nコン全国大会では、石垣りん作詞、大熊崇子作曲、「この世の中にある」の演奏も素晴らしく、当方の記事でも紹介させてもらった。

私は高校生の合唱コンクールでの賞の結果は全くというほど関心がないが、この学校が長きに渡り連続して金賞及び文部科学大臣賞を受賞した理由が、このCDを聴いて分かるような気がした。
一言でいうと、「曲のみに、歌を歌うことのみに集中して、他のことは何も考えていない」ということである。
前回のブログで「歌を歌う前に、まず日常の人間の在り方」というようなことを書いたが、技巧的なものよりも前に、歌を歌う人たちの人間的な気持ちが全てである(もちろん技巧も大事だが)。
気持ちに濁りが無く、意識的なものが無く、与えられたパートの役割の中でそれぞれが精一杯、日常の人間として感じるもの、人間本来の根本的な優しさや、明るさ、誠実さ、清らかさ、などを曲を通して自然に何も意識しないで出すのみである。
歌い手本人は全く意識していないが、聴き手にはその歌い手たちの普段の人間の在り方が伝わってくる。
野心に支配されて、歌い手たちの本来備わった美しいものを潰してしまっている演奏がいかに多いことか。
声の統一性、スケールの大きさ、ダイナミックスさ、意識され、コントロールされたこれらの評価に有利なものに支配されすぎると、歌い手たちから伝わってくるものは何も無くなってしまう。
このところのコンクールで有利なのはこのような演奏のように思うが、私からみると聴くに堪えない。


今回、このCDを聴いて、歌い手たちのこの年頃に特有の、見返りを何も求めない純粋さ、無心さ、情熱、清らかさなどを指導者がいかに自然に引き出すか、そのことの難しさを改めて感じさせられた。

福島という町は直感でいいところだと思う。
その福島へ今度の三連休に行くことになる。

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