緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

今年の抱負(2016)(中編)

2016-01-10 23:36:49 | 音楽一般
3.マンドリン・オーケストラ

今年は大学のマンドリンクラブの生演奏を随分と聴いた。
東京女子大学から始まり、獨協大学、立教大学、中央大学、日本女子大学、宇都宮大学、そして母校であった。
やはり中央大学が素晴らしかったが、昨年の私の音楽活動全般で最も記憶に残る、印象深い出来事は、OBとして29年ぶりに母校のマンドリンクラブの定期演奏会を聴きに行ったことであった。
11月の末、定期演奏会の前日に、私は30年ぶりに学生時代に住んでいた所を訪れた。
雪が積り、厚い鉛色の空の中、小雪のちらつく寒い1日であった。
成田からLCCで千歳へ降りたち、まっすぐ大学のある町に向かった.
町に着くと、最初に学生時代によく通った懐かしい小さな食堂へ向かった。
この食堂で、あの思い出のメニュー、懐かしい味を味わいたかった。
しかしその食堂は廃業していた。しばらくその食堂の近辺をうろうろした。別の場所にないか探した。
落胆した。年月の経過の長さを悟った。
その後、学生時代に住んでいた超おんぼろアパートや下宿屋を見に行った。
超おんぼろアパートは無くなっていたが下宿屋はあった。
この下宿屋から大学までの通学路を30年ぶりに辿ってみた。
途中にあった銭湯や古い下宿屋は無くなっており、その先の道がわからなくなった。
大学近くまで来た所に、「けものみち」と言われていた、道なき道があったはずだったが、無くなっていた。
昔懐かしいものの多くは失われていた。
しかしこの町の山のふもとは相変わらず静かであった。
海岸近くは大幅に観光地化され、昔の面影は無い。潤うことに逆に虚しさを感じる。観光地化されない方がずっと良かった。
この町の良さが感じられなくなってしまった。
帰りにこのすっかり変わってしまった、海岸近くのアーケード街の酒屋で、愛媛県西条市の酒蔵の「石鎚」という日本酒を買って、実家で飲んだ。
翌日、母校のマンドリンクラブの定期演奏会を聴きに行く。
母校の定期演奏会のプログラムも私の学生時代の時と比べると随分と傾向が変わった。
私の学生時代の時のメイン曲は、鈴木静一、藤掛廣幸、熊谷賢一、帰山栄治の大曲であった。
特に人気があったのが鈴木静一の曲。
当時のメンバー達は鈴木静一の曲を通して、有り余る程のエネルギーや情熱を放出していた。
今回の定期演奏会のメイン曲は藤掛廣幸の「星空のコンチェルト」であったが、1990年代に入ってからの曲だ。



藤掛氏の初期の作品であるグランド・シャコンヌやパストラル・ファンタジーとは少し趣きが異なる。
ポピュラー曲の編曲ものも多く、技巧レベルを懸念させたが、いざ演奏が始まってみるとびっくり。
上手いのだ。私の学生時代のメンバー達のレベルよりも高いかもしれない。
そして何よりも感動したのは、聴きにきてくれている聴衆に対する気遣いであった。
この町には高齢者が多いが、幅広い年代を楽しませることを第一に考えたプログラミングであることが分かった。
途中で、部長のあいさつや、トップ会による楽器紹介などは私の学生時代にはなかったこと。
この演奏会を聴いていて実に気分が良かった。
演奏会が終って小雪ちらつく帰路につく間、その感動の余韻に浸ることができた。
こういう演奏会がいい演奏会なのだ。
残念だったのは、現役時代を共にしたメンバーに一人も会えなかったこと。
30年という年月の長さを痛感する。

昨年の春に中古のマンドリンを買った。
自己流であるが、少しずつトレモロが出来るようになってきた。
このマンドリンで、鈴木静一の「火の山」や、藤掛廣幸の「星空のコンチェルト」、「スタバート・マーテル」や「詩的二章より第一章波と貝殻」などの一節を弾きたいのある。
この年末年始にマンドリンを実家に持って帰省した。
冬のボーナスで樹脂製のケースを新調した。
実家の家族の者から、このケースが最初何であるか怪訝そうな顔で見られた。
「この豆?、ピーナッツ?みたいなものは何だ」と言われた。
今年も出来るだけ多くの大学の定期演奏会に足を運びたい。

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