緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

アナログ盤が注目されている

2015-10-03 21:50:24 | 音楽一般
今日の朝刊に、世界でアナログレコードが再評価されているという記事が載っていた。



アナログレコードは1980年代の半ば過ぎまで販売されていたが、CDが普及し始めてから徐々に姿を消し、80年代の終わりには新品で販売されているのを見ることは無くなった。
私が初めてCDを手にしたのは、就職して初めての冬のボーナスが出た時、秋葉原の石丸電気で当時15万円のコンポを買った時に店で貰ったCD無料引換券と交換した、アルディ・メオラというフュージョンのギタリストのCDであった。
この時買ったコンポにオプションでレコード・プレーヤーも付けてもらったので、レコードも買って聴いた。
当時クラシックギターの他、ジャズやフュージョンも聴いていたが、クラッシクギターに関しては、セゴビアがデッカに録音した音源が確か1988年頃にCDで復刻され、第2巻を除く全てのCDと、セゴビアの肉声が入った非売品のCDを手に入れた。学生時代に買えなかったレコードが、社会人となり収入を得ることでCDとして買えたことが嬉しかった。
しかしこのセゴビアのCDを聴いていささかがっかりしたのは、音源のマスターテープが経年ですっかり老朽化した状態でCD化されたので、肝心の音が干からびたような音で再現されており、レコードで聴いた音よりもはるかに劣っていたことである。
だからクラシックの中古CDショップで意外にアナログレコードコーナーでお客をたくさん見かけるのは、古い録音を、復刻されたCDで聴くのではなく、音源が録音された時期の直後(すなわち初回プレス品)か、そんなに年数の経過していない時期に発売されたレコードを買い求めるためだと思われる。
もっとも最近はデジタル・リマスターとか言う古い老朽化したマスターテープの音源をデジタル技術でもって、録音当時の音を想定して加工して再現する方法で復刻された盤もあるので、このような音加工した盤でもいいと思う人は古い音源でもCDを買うに違いない。
しかしいかに高度な技術を使ったとしても、オリジナルの音源の録音直後の音はマスターテープから既に失われてしまっている以上、再現された音は技術者の想定の音でしかない。
だからリマスターされた音といってもそれは当時の本物の音では無いということである。
映画でも、数年前に古い邦画のリマスター版を見た時、その色合いがやけに鮮やか過ぎて、異様な不自然さを感じたことがあった。
リマスターにあまり恣意的なものが入り込むと、オリジナルの音源から遠ざかることになる。
具体的な例では、ジョン・ウィリアムの弾くアランフェス協奏曲の最初の録音、これはユージン・オーマンディと共演した1960年代の録音で、この曲のベスト盤だと私は思っているのだが、10年ほど前に日本で発売されたリマスター盤はオリジナルの音とはかなりかけ離れた音に加工されてしまったものであったために、がっかりしてしまったことがあった。そのCDは結局1度しか聴いていない。至極勿体ない。
このジョン・ウィリアムスのアランフェスはレコードで2枚、CDで3枚手に入れたが、CDは500円のスタンドで買ったものがオリジナル通りの録音で、あとの2枚は先のリマスターと、音が小さ過ぎて話にならないものだった。
だから古い録音を聴くときには、当然レコードになるが、録音直後に発売されたものの方が断然いい場合もある。
下手に復刻されたCDを聴いてその録音のせいで、せっかくの名演が名演として聴き手に認識されないこともありうる。

さて冒頭の新聞記事で近年アナログレコードが世界的に再評価され、売上枚数が増加してきている理由を、「人々が、デジタルの音に疲れているからではないか」としている。
そしてアナログ派の人々は、CDの音に不自然さを感じているとしている。
それはCDが、人間の耳に聞き取れないとして22キロヘルツ以上の音をカットしているからではないかという。
実はこのカットされた高周波こそが、自然な響きや微妙な音色を醸し出し、人に心地よさを感じさせているそうだ。
そしてアナログ盤はCDではカットされているこの高周波がそのまま収められているので、再生音の響きが自然に感じられるのだという。
しかしこれは新たに録音する音源をCDとレコードにそれぞれ録音したと仮定して、感じられる音の違いであろう。
先に述べたように古い時代の録音は録音の新鮮度という観点ではレコードの音の方が断然いい場合があるし、逆に古い(といっても1970年代)録音でもCDで再発された録音のほうがいい場合もある。
私はゲザ・アンダのショパンのワルツ集の録音(1976年)をCDとレコードで両方もっているが、この場合はCDの音の方に軍配が上がる。1970年代以降にもなるとマスターテープの品質も向上しているだろうし、劣化も抑制されているに違いないからだ。

レコードは古い時代のものになると、溝にゴミが強固に付着し、傷が付いていないのに音飛びやプチプチ、チリチリ音に悩まされる。
この溝に付着したゴミやカビを完全に取り除くことは大変なことである。
だからいくら音源が新鮮、音の響きが自然だといっても、盤の状態が悪いと聴いていられないことがある。
音飛びが頻繁に起きるレコードよりも、干からびた音源で復刻したCDの方がましだ。

あとこれは別にアナログ盤、CDの違いに関係ないのだが、最近の録音、これはYoutubeの録音を含めてなのだが、やたら電気加工された録音が氾濫しており、一体この演奏者のオリジナルの音は何なんだと、感じることが多い。
電気技術の発達に伴い、録音された音を実際の生の音以上に良く聴こえるように後加工する編集技術を施すことがスタンダードになったようだ。
昔の録音をたくさん聴いてきた方であればすぐに分かるであろうが、この電気処理で後加工された音は実に不自然で、後味が悪い。
カラオケボックスのように下手な歌でもそれなりに聴こえるように残響が強く、音が別のものに変換されているように聴こえる。
たしかクラシックギターでは、1980年代初めにジョン・ウィリアムスがアルベニスのコルドバの一部のフレーズをこのような電気処理を施して録音したが、馬鹿げたことである。
こんな録音をするくらいなら、残響の強い床が石づくりの教会などで最初から終わりまで録音したほうがはるかにいい。
ジョン・ウィリアムスはバリオス作品集の2回目の録音でも電気処理を施していたが、これを聴いて落胆したのは私だけであろうか。

先日のシルバーウィークで新宿で買った若き荘村清志のLPレコードは1972年の録音であったが、電気処理などされていない時代の生の音で録音されたものであり、その自然な音の響きに新鮮さを感じた。



この時代までは、録音といえば生の音をいかに忠実に臨場感をもって再現するか、ということが録音技術者たちの目指す目標だったのではないかと感じられる。
だからいい録音にあたると、まるで生の演奏の奏者のすぐそばで聴いているように感じる。
こういう録音がもっとも優れている。
今の技術者はいかに聴き映えが良くなるかを目指して、色々人工的な手段を使って、生の音に味付けをし、その味付けの仕方を競っているように思われてならない。昔の目指す方向とは根本的に別の方向に行ってしまったようだ。
これは自分の素顔に自信が持てず、また自分の顔を実際以上に良く見せようとして厚化粧する女性のような奏者をたくさん生み出すだけである。
昔に比べ、巨匠と言われる音楽家がいなくなってしまったのも、また神技的な音を生みだす演奏家がいなくなってしまったのも、この録音方法の根本的変化と無関係ではないであろう。
究極の音作りをする努力をしなくても、録音技術がカバーしてくれるからだ。

アナログ盤への回帰もいいが、まずは生の音を忠実に再現する昔ながらの録音技術の復活を望みたい。
先にやるべきなのはこっちの方だと思う。

技術が進歩してもそれに反していいものが失われていくこともある。録音がその一つだと思う。
私自身、かなりアナログ派である。
車はマニュアル(MT)、パワステもパワーウィンドウも付いていない。
カメラはずっと長い間、機械式シャッター、マニュアル・フォーカス、手動露出のものを使ってきた。腕時計も機械式である。
スマホは使っていない。たぶん持っても使いこなせない。
不便だけどどうしても古い時代のものに目が行く。
古い時代のものが全ていいとは言わないが、古いものには味があるものが多いし、本質を出しているものが多い。
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