世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

人生を変えたあの夏 、先生

2012年05月29日 23時22分19秒 | Weblog
晴れていたのに、夕方から急に暗くなり、天気予報はこれから豪雨が訪れることを示していた。
今日はさほど忙しくなく、普段したいことをやった。
本当、ちょっとしたこと。
あのグラフのあそこを少し変えてみたり。
あのデータのグラフをこしらえてみたり。
反面、見積もり2件をひたすら待ったり、会長の居場所がつかめず、思うようにいかないこともあり、イライラ…。

帰りにクリーニング店に寄らなければいけなかったので、図書館には行けず。
着替えて、コンビニで買った冷やし中華を食べながら、ネットを閲覧。

ふとある人の名前が浮かんで、久々にその名前を入れてみた。
中学校時代の塾の先生だ。
彼は今も地元の大きな塾で先生をやっている。
17年以上会っていないが、たまにその動向が気になるのである。

先生には数学と理科でお世話になった。
彼は私の人生に偉大な軌跡を残した。
彼及びあの塾の塾長がいなければ、今の私はいない。

あの塾に入ったのは中学校2年生の夏期講習だった。

大変優秀だった友人わかめちゃんが行っていたので私も行ってみた。
当時の私の偏差値は散々なもので、努力している割に低空飛行を遂げていた。
「これではいけない」と幼心に危機感を持ち、親に相談して、その塾に通うことを決意した。

塾長および彼の最初の授業で、私は衝撃を受けた。
ポイントを絞った教え方。
問題解説も、ただ解説するだけではなく、「じゃあ、この場合は?」と応用をきかせてくれるものだった。
偏差値は1年で20ほど上昇した。面白いように上がる成績が楽しかった。


彼は地元の国立大学教育学部の学生だった。
彼曰く男の勲章と称するリーゼントを頭上に靡かせ、バイト代を貯めて買った高級車を乗りこなし、当時まだ珍しかったワープロを使いこなす彼は私たちのいちばん身近な大人だった。
でもよく考えてみると、私たちと彼は6歳ほどしか離れていない。
今一緒に働いている吉熊上司よりも年下なのである。

一見、彼はチャラチャラしているのだが、筋は通っていた。
現在の彼も基本的には変わっていないっぽい。
髪型も元気いっぱいなリーゼントである。
なんだか安心した。

同時に、当時を思い出し、秘書検定の勉強への意欲が湧いた。
「先生だったらどうやってこれを噛み砕くのか」
今日はそんなことを頭に過らせつつ、中学生の時の自分を道連れにして、没頭。


あの塾で身に着いたことは今も活かされている。


当時の思い出の歌。
先生、この歌好きだったなあ。

B'z BLOWIN' (LIVE)



いとおかし

2012年05月29日 00時11分00秒 | Weblog
週末行われた吉熊上司の息子さんの運動会の動画を見せてもらった。
赤白帽を被ったたくさんの小学校1年生が一生懸命に踊っている姿は、いとおかし。

吉熊上司の息子さんも上手に踊っていた。
しかもお父さんそっくり!

ほんのちょっと前までは、あんなに小さかったのに。
もう、感無量。