世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

2006年07月18日 23時53分08秒 | Weblog
夕方、マイミクあやみちゃん(中学時代からのお友達)が無事、女の子を出産した。
陣痛が10分間隔になったと知った今朝から、気が気ではなかった。
痛さに悶えていただろうに、mixiを更新していたあやみちゃん。あなたらしいわ。
リアルタイムで私もお産に立ち会えた気分だよ。
出産直後のmixi日記(というか速報?)で「母子共に健康」という文字を読んだ途端、ついウルウルしてしまった。

友達の出産って、今回が初めてだ。
先月の帰省の際、あやみちゃんのお腹を触らせてもらった。
あたたかくて、柔らかかった。
でも、少し硬くて、それが生命力を示しているかのようだった。
あのお腹の中にいた子が、今日生まれた。…やっぱり凄いことだ。

中学の修学旅行、同じ班だった彼女がお母さんになる不思議を今、すごく感じている。
金閣寺の前で撮影された写真を眺めながら、ぼんやりとそう思う。
ぼんやり思うとともに、「命」って何だろうと、まるで子供のように考えてしまう。
命から命が誕生する。
それは果たして組み込まれた運命なのだろうか。
それとも、奇跡なのだろうか。
でも、今日、赤ちゃんが産まれたことは紛れも無い事実だ。
赤ちゃんは、これからどんな人生を歩むのだろう。

優しく細やかなあやみちゃんのことだ。
きっと素敵なお母さんになるに違いない。

おめでとう。
あやみちゃん。
今日はぐっすり休んでくださいまし。
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育児日誌から(昭和58年7月20日)

2006年07月18日 00時16分29秒 | Weblog
昭和58年7月20日(母の手記)
いよいよ亮子にとって嫌がっていたお泊り保育の日。
お泊り保育と聞いただけで「行くの、嫌だ。絶対行かない」と泣きながら言っていた。最終的にはまな板の鯉で、しかたなく出かけた。
5時ごろ幼稚園へ送っていって、1度帰ってきて、再び幼稚園に行ってみた。
教室の中には敷布団がひいてあった。
その布団の上でオルガンに合わせて皆で歌を歌っていた。亮子は力なく歌っているように見えた。
歌の次は花火。色々な種類の花火をやった。
亮子は、亮子より大きな男の子の後で、その隙間から覗いているだけで、前に出ようとしなかった。
寝る前のトイレの順番にしても、割り込まれていて要領が悪いんだなと思った。
何をするにも1テンポ遅れがち。
「幼稚園の生活」にも書いてあったように、ボンヤリ、おっとりしているのだ。
このまま落ちこぼれることなくうまくやっていけるのか、不安になる。

要領という言葉は、大人たちの言葉であって子供の世界にはあまり関係のない言葉なのかもしれない。
これからよね。亮子、頑張れ!

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私が通っていた正光幼稚園には、お泊り保育というイベントがあった。
読んで字の如く…幼稚園に宿泊するんである。
これがけっこう嫌だった。
苦痛以外の何者でもなかった。
はっきり言って、幼稚園での日々は地獄だった。
嫌な思い出しかない。
しかも、とても神経質な子だったので、変化した環境に適応して入眠することは困難であった。
「嫌いな幼稚園+激変した環境に馴染んでの睡眠=むりぽ」という方程式が頭をグルグル回っていた。
でもそんなことは、ずっと忘れていた。
この日記を読むまでは。

親サイドからの胸の内が細かく書かれていて、けっこうおもしろい。

色々心配かけていたんだね。
ごめんね。そして、ありがとう。

読んでたくさん笑ったあと、そう呟いた。
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「亮子、智子、政彦と私と私」

2006年07月18日 00時11分23秒 | Weblog
野暮用があり、急遽実家に帰っていた。

夕飯中、父が一冊のノートを持ってきた。
「亮子、智子、政彦と私と私」と表紙に書かれている古いノートである。
ちなみに、最後の太文字で書かれた「私」は後になって母が書き足したものである。
父が自分一人で書きながら楽しんでいた育児日誌だったのに、ある日母に乱入されて太文字「私」を書き足されたとのこと…。
内容も途中から夫婦の連絡帳に変わっている。
母の自己啓示欲がうかがえるノートだ。

父の独り言、母の独り言、互いに向けたホウレンソウ、子供がどうしたああした、など。

父は仕事が忙しくあまり家にいなかった。
限られた時間内で子供と一生懸命に向かい合ってくれたことが日記から分かった。
母は、一日中子供の相手をすることに疲れて「一人でぼんやりする時間が欲しい」などと日記内で呟いていた。「でも、今はどうすることもできないので、時間を見計らって生き甲斐を見付けていこうと思います。」とも綴られていた。環境は違うのに、今の私と同じようなことを思っていて滑稽だった。

私はもうすぐ当時の彼等の年齢に近付く。
「もしあの時、ああだったら…」という妄想を抱いて、無い子供の年齢を数えてしまうのは負け犬の特徴らしい。
私も両親のあの日記を読んで数えそうになった。
が、果たして自分の過去に、自己犠牲を伴っても守りたいというものを欲したことがあっただろうか。
答えは否。
だから、無い子は無いという概念から飛び出ることがなく、「無い」のである。
恐らく未来にも、無い。

幸い、両親もそのことを理解していてくれ、保守的な発言や勧誘は一切しない。
本当にのびのび育ててくれた。

帰り際「あれ持っていけ、これ持っていけ」と色々持たせようとする両親。
私は料理を全くしないので、食材を拒否し、ろまんちっく村のビール5本をもらった。

あの二人の子供でよかった。
電車に揺られながら、そう思った。

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