竹ヒゴに薄紙を貼り、数本のゴムを巻き動力としたヒコーキを飛ばし男の子達は遊んでいたのを思い出します。
ALWAYS 三丁目の夕日'64 はこの飛行機の舞うシーンから始まりました。この頃の経済成長を物語るようです。
昭和39年、この頃の私は夕方のTV放送<ひょっこりひょうたん島>が楽しみであったり、ふざけては「シエー!」なんてやって真に無邪気で純朴な小学生でした。
小学生だった私にも<昭和>はものの豊かさはなくとも、人の温かさは溢れていたように今だからこそ思われます。
今回のALWAYSでは、茶川竜之介と父との親子関係、また竜之介と実子ではないが淳之介との親子の関係に言うに言えない切なさを感じたものです。伝わりにくい親心・・・わかってもらえぬ子の心…でしょうか。
今回、出番も少なかった詫間先生が”幸せってなんだろうね”とポツリおっしゃいました。
そう、大切なものは、物でもなく、お金でもなく、出世でもなく…何でしょう。
今、求められる<絆>が昭和の三丁目にはあったようでした。
< 伝わらず 何故か切ない 親心 >
ALWAYS 三丁目の夕日'64 はこの飛行機の舞うシーンから始まりました。この頃の経済成長を物語るようです。
昭和39年、この頃の私は夕方のTV放送<ひょっこりひょうたん島>が楽しみであったり、ふざけては「シエー!」なんてやって真に無邪気で純朴な小学生でした。
小学生だった私にも<昭和>はものの豊かさはなくとも、人の温かさは溢れていたように今だからこそ思われます。
今回のALWAYSでは、茶川竜之介と父との親子関係、また竜之介と実子ではないが淳之介との親子の関係に言うに言えない切なさを感じたものです。伝わりにくい親心・・・わかってもらえぬ子の心…でしょうか。
今回、出番も少なかった詫間先生が”幸せってなんだろうね”とポツリおっしゃいました。
そう、大切なものは、物でもなく、お金でもなく、出世でもなく…何でしょう。
今、求められる<絆>が昭和の三丁目にはあったようでした。
< 伝わらず 何故か切ない 親心 >