山梨へ行ってゐました。
妹の、一周忌供養。
時間がなかったので、トンボ帰り。
深夜に山形を出かけ、朝方には山梨へ入る。
午前中は時間が許すので、富士の姿を見やうかと思ったけれど、談合坂の先で一瞬垣間見た裾野からの姿があまりの能天気な姿でしたので、初狩SAで山並み越しの姿に満足して仮眠ー。
首都圏は震災後のダメージも消えたのか、朝早くからの車であふれたSAでは1時間ほどの仮眠しかとれず、ままよ、朝の景徳院に伺ふ。
武田勝頼、夫人、息子が無念の死を迎へた処で、徳川家康がその供養のために建てたといふ立派な山門が、新緑の境内で穏やかな姿で建ってゐる。
そして、昼過ぎからの追善供養。
高台にある寺は、この日も風が強かった。
”故人の吹く風が、残された皆さんの背中を押して呉れます。
しっかりと、前を向いて歩いていってください”
住職が、そんな功徳の話をする。
墓の上には、眉はきのやうな雲が出てゐた。
哀しいけれど、早くも一年が過ぎた。
妹の、一周忌供養。
時間がなかったので、トンボ帰り。
深夜に山形を出かけ、朝方には山梨へ入る。
午前中は時間が許すので、富士の姿を見やうかと思ったけれど、談合坂の先で一瞬垣間見た裾野からの姿があまりの能天気な姿でしたので、初狩SAで山並み越しの姿に満足して仮眠ー。
首都圏は震災後のダメージも消えたのか、朝早くからの車であふれたSAでは1時間ほどの仮眠しかとれず、ままよ、朝の景徳院に伺ふ。
武田勝頼、夫人、息子が無念の死を迎へた処で、徳川家康がその供養のために建てたといふ立派な山門が、新緑の境内で穏やかな姿で建ってゐる。
そして、昼過ぎからの追善供養。
高台にある寺は、この日も風が強かった。
”故人の吹く風が、残された皆さんの背中を押して呉れます。
しっかりと、前を向いて歩いていってください”
住職が、そんな功徳の話をする。
墓の上には、眉はきのやうな雲が出てゐた。
哀しいけれど、早くも一年が過ぎた。