やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

蔵王へ、涼みにゆく。

2006-08-15 | やまがた抄







お盆の休みの最中ですが、特に何の予定もないので、
車を30分ほど走らせて、蔵王へ涼みに行きました。

坂道を上るごとに道路横の温度表示板はその温度を下げてゆき、
目的地の鴫ノ谷地沼付近では22度。

体感的には、水面をなめてくる風はもっと涼しく、湿度も低いので快適そのものです。
これといって何もない所ですが、まあ、かういふのを贅沢といふのでせう。

(着いた途端にデジカメのバッテリーが切れ、すべて携帯のカメラなので、やや不鮮明…)




















まう、赤とんぼが地表近くを乱舞し、






湖岸にも、秋の気配です。

















いただき物!

2006-08-14 | 大岡山界隈






お隣りの農家の方から、桃をいただきました。

「片手間に作ってゐるから、形は悪いけれど…」と云はれてましたが、
小生は、昔から固い桃が好きで、
過日も、甲州の妹から、おそらくひとつ4~5百円もするだらう桃が送られてきてゐましたが、
余りに甘すぎ、余りにやはらかすぎで結局手を出しませんでした。
(我ながら、偏屈、です f^_^;) )

頂いた”ふぞろひの桃たち”は、適度な固さが感じられて、
世の中の”ジューシー流行←何でもジューシーの流行が、果物や野菜を、やはものにしてゐる!”
とはひと味違ったものをあたへてくれました。


 

 


我が家の、トマトー。

2006-08-10 | 大岡山界隈

 





ここ一週間の猛暑で、我が家の畑のトマトは、連日の収穫です。
空箱に入れたら、結構、さまになったので記念写真。

春先に10本の苗を植ゑたのですが、長雨で2本はダメになり、
生き残った8本が、それらの分もと、鈴なり状態です。

先日、N○Kでトマトを素材の色々な料理を紹介してゐましたので、
近々、挑戦予定。 (∩_∩)ゞ



ムラヴィンスキーのチャイコフスキー

2006-08-09 | 古きテープから


1980年.8.14
エウゲニ・ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
会場:レニングラード
ソ連テレビ・ラジオ国家委員会提供の録音。

プログラム:チャイコフスキー/交響曲第5番
                 /交響曲第6番


NHK-FMでの、ムラヴィンスキーの追悼番組でした。
26年前の夏の演奏会の模様です。

前年の来日公演の時、楽員の亡命事件が起こり、それかあらぬか、この圧倒的な演奏にしては、
聴衆の反応が冷ややかなのは、気のせいか、当時のソ連の聴衆はこんなものだったのかー。

勿論、ステージ上の指揮者や楽員も、聴衆も、11年後にはソビエト連邦が崩壊するなど、夢にも思はなかっただらうし、レーニンの名を冠したオーケストラの名が消えるなどとは思ってもゐなかったに違ひありません。

当時、既に77歳のムラヴィンスキーは、自らにも、社会的にも忍び寄ってきたそんな気配を跳ね返すやうに、圧倒的な躍動感と邁進力で二つの大曲を演奏してゐます。
(さういふ意味では、晩年、間延びした演奏に陥ったベームとは好対照です。ところが、何故か、ベームの演奏のテープは5~60本は残ってゐるのですがー)

この日の演奏会の演奏時間をみると、第5番が41’32”、第6番が43’46”
共に、その演奏時間はかなり短いし、実際の演奏も、止まることをしらないそれである。

二つの曲とも、楽章間の休みは殆んどなく、聴衆の咳が始まった途端に次の楽章が始まってゐるといったありさまです。


しかし、この演奏は素晴しい。
ムラヴィンスキーは、完璧にオーケストラをコントロール、ドライブし、有無を云はさせず突き進んでゆく。
如何に早くなっても、如何に強打が続いても、ほとんど、音の乱れはない。
(否、ムラヴィンスキーが楽員に対して、それを許さなかったのでせう!)

もったいぶった弱音から強打への移行なんて(カ○ヤンのやうなー)微塵も考えてゐない。
結果、特に5番の交響曲などは、チャイコフスキーが少し気にしてゐたといふ、全体のバランスや各章の有機的な結合の不備が、見事に白日のもとにさらされてしまふ。

しかし、それでも、それがこの曲なのだ、といふ逆説的な証明の、見事な演奏です。
第5番は、1楽章と終楽章が傑出した演奏です。
無慈悲なまでに、音は激しく、強く、そして、疾走してゐる。

第6番は、終楽章に求めるメランコリックなものは微塵もなく、乾いたラストになってゐます。
勿論、ムラヴィンスキーの指揮である以上、至極当り前の演奏ですが、
かういふ、”突き放した哀しみ”の演奏は、孤高ながら、長く残るやうな気がします。

 

 


ケルン・コンサート/キース・ジャレット

2006-08-07 | 書棚のジャズアルバムから







1975年1月。
ケルン、オペラ劇場。

「ソロ・コンサート」と共に、真に才能あるピアニストとしての
キース・ジャレットの名を確立させた名盤です。

うなぎ上りの温度に(今日の山形市は、35度近く…)、ひと時の涼を求めるやうに聴きました。


このディスクを初めて聴いたのは、20年ほど前。
場所は、東京原宿の同潤会アパートの一角。

在京の時、小生が勤めてゐた会社のモデル・ルームの中でした。
確か、そのモデル・ルームの留守番を云はれて、
同僚が「これ、いいよ」と云ひ捨てた言葉を思ひだして、ひとりで聴いてゐました。

殆んど、ホワイト一色のその部屋で、最初の硬質な音が鳴り出した時、
天上の曲のやうに聴こへたものでした。


実は、事前に完成された楽譜があったのではないのか、と云はれたほど、
次々に沸きでる、即興とは思へないほど、その旋律は美しく、そして完成度が高い。
キース独特の、粘りつくやうなメロディは、このコンサートで一気に頂点へと向かふ。

彼のソロ・コンサートのディスクは書棚に幾つかありますが、
全体の長さといひ、勿論その演奏内容といひ、
やはり、この「ケルン・コンサート」が白眉、でせう。



(写真は、ジャケットより)

 





 


黙阿弥、を読む 7

2006-08-06 | 本や言葉


『天衣紛上野初花』 (くもにまがふうへののはつはな)


七幕十七場の全編を読むことができました。

「明治文学全集9/河竹黙阿弥集」
昭和41年に、当時の筑摩書房が発刊したものです。

おそらくこのかたちでは、中々上演されることもないのでせうが、
カットなしで読んでみると、成る程、片岡直次郎が江戸から逃げねばならない訳や、
その前に、ひと目、三千歳に逢ひたくて蕎麦屋に寄るシーンの意味がよくわかります。

細かな場面設定を読んでゆくと、
結局は、しがない御家人くずれの遊び人たる直次郎の、
ふがひなさや意気地のなさが浮かんでくる一方、
そんな男でも、死んでも一緒になりたいがゆゑに必死に守り続ける三千歳の姿が
美しく浮かび上がってきます。

いかさまな旗本達を手玉にとり、哂ひとばす設定と共に、
江戸に生まれ、江戸に育った黙阿弥は、
三千歳の姿を借りて、不充分な体制だったのかもしれないけれど、
自らを生かしてくれてゐた”江戸”を擁護してゐたのかもしれません。



      (明治25年 黙阿弥77歳の写真)


(写真は、「明治文学全集9/河竹黙阿弥集」より)






今日から、花笠祭り!

2006-08-05 | やまがた抄


山形市では、今日から花笠祭り、です。

ネット中継は こちら です。
(夕方から、9時頃までの様子が見られるやうです)


小生も、2年前に、ある団体で参加しましたが、
結構、踊って見ると面白いもので、やはり、祭りや踊りは参加するものだ、と実感したものでした。
それでも、盆前の一番暑いとき、体重が数キロ減るほど汗をかきます。ε-(´・`) フー

 


梅雨明けの空ー。

2006-08-04 | やまがた抄







長雨が終はったと同時に、晴れ間と暑さが戻ってきました。

仕事や畑の作物にはいたずらの雨でしたが(各地で被害を続発させた雨でしたが)、
すっかり涼しい毎日になれてしまった身体には、いきなりの酷暑には、まだ準備不足です。


明日からは、山形市でも夏の観光の目玉、花笠祭り、が始まります。