やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

マッケラス卿の25番、29番

2006-08-23 | 音楽を






サー・チャールズ・マッケラス/プラハ室内管弦楽団による一連の交響曲録音のひとつ。
小生がこの組み合はせで聴いた初めてのモーツァルトは「ハフナー・セレナーデ」。
とても新鮮な演奏で、その後、彼らの交響曲の録音を続けて聴きました。


20年年ほど前の録音ですが、時代を先取りした演奏でした。
楽器はモダンですが、ピリオド奏法を強く意識した演奏方法で、
勿論、楽器配列はヴァイオリンを左右に配し、指揮者の近くにハープシコードを置き、
可能な限りの繰り返しを行ひ、強弱のはっきりとした演奏です。
やがて、この形で、レヴァイン/ヴィーン・フィルの全集が生まれてゆきますが、
それはともかく、当時、カ○ヤンのやうな舐めるやうなモーツァルトの演奏に対して、
このディスクの意味はとても大きかった。

モーツァルトが17、18歳頃の、何の成果もないまま虚しくヴィーンからザルツブルクへ戻った頃に書かれた作品ですが、そして、ヴィーン滞在中に親しい知人の死にあったこともあるのか、
25番は劇的なものにあふれ、28番や29番は優雅な優しさにあふれてゐる。

マリア・テレジアに謁見し、あたたかく迎へはされたものの、その彼女が「モーツァルト一家が、世界中を乞食のやうに見苦しく歩いてゐる」と息子に手紙を送り、彼らを雇ったりしないやうにと釘をうってゐた。

マッケラス卿は、勿論そんな劇的な要素は一切盛り込まず、純粋な音としてこの演奏をしてゐる。
けれど、上記のやうな意識的な演奏スタイルが、見事にモーツァルト演奏の壁に風穴を開けてゐる。
プラハ室内管の弦や管楽器の音色が素晴しく、雑なところがない。

それにしても、アメリカ生まれのオーストラリア人のマッケラス卿が、
こんなに素敵なモーツァルトを創ってしまふのだから、感心しきりです。

 

(写真は、CDより)