映画好きな知人が、『ゴッドファーザー』のBOXをしばらく貸すからと置いてゆきました。
パートⅠ、Ⅱ、Ⅲ。
全編で十時間近くを数日かけて見ました。
今回、初めてパートⅢも見たのですが、やはり、パートⅠが一番素晴しい、でせうか。
改めて見て、その冒頭のシーンのつくり方に感服。
娘の結婚式の、如何にもイタリア風な華やいだ戸外の雰囲気とは裏腹に、暗いオフィスの中では、同時に、”裏”のビジネスの話に終始したシーンが続く。
その、ただならぬ”闇”を見せつけてゐます。
マロン・ブランドの、堂に入った演技は、もちろん、いはずもがなですが、
アル・パチーノが、最初は、本当に”坊ちゃん”のやうな顔なのに、やがて、凄みのある風貌に変はってゆくところが実に見ごたへがあります。
パートⅡでの、彼の、徹頭徹尾に非情なまでの姿も見事な演技ですが、話が少し長すぎるのと、父親の若い時のシーンの交差の仕方がちょっと中途半端で、
デ・ニーロが如何にも適役なので、できたら、それだけで物語を見たかったやうな気がします。
パートⅢは、上り詰めたあとの、マイケルの”末路”が描かれますが、抗争の犠牲で自分の娘を失った時の、まるでムンクの叫びのやうな号泣の姿は、ここまで描くか…、といふ印象です。
もちろん、この映画は、ヤクザ映画でも、アクション映画でもなく、父と子の映画であり、家族の映画でせう。
パートⅠでは、ひとつの”美”があったやうな気がしますが、それをひきずり下ろしたやうなところがあって、それの功罪に、ちょっと戸惑ひも感じます。