昨日、車中のFMで、カルロ・マリア・ジュリーニの訃報を聞きました。
91歳だったといふ。天寿とも云へます。
それほど彼の熱心なファンではなかったけれど、
彼の実演に接することもなかったけれど、
彼のレコードやCDに裏切られたことは、さほど多くはない。
クリント・イーストウッドに似た風貌が好きでした。
彼ほどのマエストロが、彼に相応しいマイオーケストラを持つことも無く、
”巨匠の時代”の言葉と共に消へて行くのは、寂しいことだと思ふ。
勿論、時代は刻々と変はり、時代の価値観も変はり続ける。
特に、ここ十年余の変化は劇的ですらある。
それでも、人が百年を超えて生きながらへることは、
そう、たやすいことでもない。
昨夜、彼への想ひをこめて、
マーラーの最後の交響曲9番の終楽章を聞きました。
シカゴ交響楽団との録音です。一連の、最後の交響曲シリーズでした。
きめの細やかな、極限のやうなゆったりとしたテンポをとりながら、
けれど、音楽はたわむことなく一点のバニシングポイントに向かってゆく。
最后の、ひと息ひと息つきながらの弦の消へ方が素晴しい。
合掌
91歳だったといふ。天寿とも云へます。
それほど彼の熱心なファンではなかったけれど、
彼の実演に接することもなかったけれど、
彼のレコードやCDに裏切られたことは、さほど多くはない。
クリント・イーストウッドに似た風貌が好きでした。
彼ほどのマエストロが、彼に相応しいマイオーケストラを持つことも無く、
”巨匠の時代”の言葉と共に消へて行くのは、寂しいことだと思ふ。
勿論、時代は刻々と変はり、時代の価値観も変はり続ける。
特に、ここ十年余の変化は劇的ですらある。
それでも、人が百年を超えて生きながらへることは、
そう、たやすいことでもない。
昨夜、彼への想ひをこめて、
マーラーの最後の交響曲9番の終楽章を聞きました。
シカゴ交響楽団との録音です。一連の、最後の交響曲シリーズでした。
きめの細やかな、極限のやうなゆったりとしたテンポをとりながら、
けれど、音楽はたわむことなく一点のバニシングポイントに向かってゆく。
最后の、ひと息ひと息つきながらの弦の消へ方が素晴しい。
合掌