今流行りのグローバリズムという言葉には国家の壁を超えた人類共通の繋がりというニュアンスがあり、グローバル企業というと自国に囚われずに世界規模で事業を展開する活気と将来性のある企業というポジティブなイメージがあります。果してそれは本当でしょうか。
国家間で貿易を行なう経済発展におけるメリットはAという国では石油が取れて、Bという国では鉄鉱石が取れる場合に、それぞれ豊富なものを貿易という形で交換することによって必要な資源配分が促進されるというもので、一方が資源、一方が工業によって資源を製品に変えることでも良く、要は商品を交換することが双方にとって利益になり生活が豊かになって経済の発展につながる、つまりwin-winの関係になるというものです。
しかし現在のグローバル企業が行なっている事は労働力を商品と見做して、より安い労働力を供給できる国に工場を造り、それを消費地で売るという行為です。一見国家の壁を超えた地球規模の事業のように見えますが、実は国家の壁を最大限利用した行為にほかなりません。なぜなら世界中で同一労働同一賃金が達成され、世界中の通貨が一つになって為替が消滅し、世界中の税率が等しくなってしまうと現在のグローバル企業のビジネスモデルは成立しなくなる、つまり普通の国内企業と同一になってしまうからです。
国家間で労働者の賃金、通貨が異なり、税率が異なるからこそ「それぞれの良い所取り」をうまくやった企業が最大の儲けができるというだけに過ぎない、知性や叡知などとは関係なく「小ずるい奴がうまく金もうけをしているだけ」というのが現在のグローバリズムの正体であり、双方がwin-winの関係とはほど遠く得をするのは一方だけという状態です。グローバル企業にとって賃金や税における国家間の格差がなくなってしまうことは儲けの縮小につながるため何としても避けたい事柄です。
一方で物を売るという立場でグローバル企業を眺めると、関税などで国家間に違いがあると非常に物を売りにくいという状況になります。国家間のFTAや話題のTPPもサービスを含む商品をグローバル企業が売るということについて全ての障壁がなくなることを目的としているのであり、「誰のための取り決めか」は火を見るより明らかでしょう。
物を造る上では国家間の違いがあった方が良く、売る上では違いがない方が良いというのは矛盾した考えですがグローバル企業にとっては明確に利益につながる条件と言えます。矛盾した条件を達成する解決法は難しい問題にも思えますが、素人の小生にも思いつく方法として、「物を作るための経済圏」と「物を売るための経済圏」を分けてしまって、前者においては格差を維持させ、後者はできるだけ国家の壁を取り払う、というのが一つの方策と言えます。もうひとつの解決法としては、国家間の格差が小さくなるのはしかたのない事として容認し、労働賃金自体を国内においても途上国並に低くしてしまうという方法です。つまり「物を造る人」と「消費する人」を分けてしまい、同一国家内においても国家間格差に相当する差益が得られるようにするという方法です。
どうも私は現在の世界は上記の二つが同時並行的に進行しているのではないかと感じます。そして上記の事象が進行していった究極の姿は19世紀に見られた宗主国と植民地の関係を中心にしたブロック経済のようなものではないかと予想するのですがどうでしょうか。植民地には自主的な関税権や自治権はなく、宗主国の法によって管理され、国民は貧しく一部の宗主国に繋がる配下の人々だけが豊かな暮らしをしています。一方で宗主国の方も国民全てが豊かという訳ではなく、貴族や富豪、商人は豊かな生活をしており、東インド会社のような国策的グローバル企業が政府に代わって商業活動を行います。国家はこれらの企業が活動しやすいように法を定め治安を維持しているに過ぎません。
今後は米英・中国・ロシア・独仏が宗主国となってそれぞれに経済圏を作り、世界のそれぞれの国はどこの経済圏に属するかを「一応自主的に決める」ことによって後はあまり自己主張しないで生き延びてゆくというのが21世紀の世界の姿であるようにも思われます。日本は米英・中・ロのどこにも属さない中間国家としてうまく立ち回るか、第5極として勃興すれば最高なのですが、若い人達にそういったスケールの大きい国家戦略を語る素養があまり見られないのは寂しい限りです。