rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

ガソリン値上げと昭和10年代

2008-06-02 18:43:07 | 政治
 6月1日から原油卸売価格が大幅に上昇して、ガソリン小売価格が5月に比べて15円から20円近く上昇した。5月に暫定税率再可決で25円上昇したばかりなので4月に比べてガソリン価格が40円以上上昇した事になる。

 5月からのガソリン等暫定税率延長法案に関しての議論は、「始めに暫定税率延長ありき」、の自民党と「国民のためにガソリンを安くするべし」と主張する民主党の戦いであったけれども、本当に国民が期待していたのはどちらの方が日本全体のためになるかという議論であった。

 もう道路は作る予定で予算を組んでしまったから今更その予算が出ませんでは困ります、というのでは説得力に欠ける。物価、税金は安い方が良いに決まっているから、といってやたらと税金をなくせば良いとするのも無責任である。要は、現在の情勢は先物取引の相場上昇や、エネルギー需要の増大、また石油産出がピークを超えて今後は産出量が減ってゆく事などから原油価格がこれから先上昇してゆく事は小学生でも分っている状況で「暫定税率を継続」することと、「一度廃止にする」ことでどちらが日本の景気にとって有利かという議論がついぞ聞けなかったことが不満なのである。つまり税金を上げて景気が悪くなれば、結果として税収は減少するので税金を上げた効果は帳消しになってしまう。そこの議論が十分に国民に開示されなかったことが問題なのである。

 どうも自民党道路族としては、原油価格は今後も上昇するし、税率をもどせばその分全ての価格に影響して景気が悪くなり、地方も中央も税収が減り、国民は豊かにならない事は百も承知で、国民よりも「うるさ方」を納得させるために税率を戻したと考えざるを得ない。一方の民主党も「安い方が良いでしょ」以上の議論を戦わせないから「人気取り」「ポピュリズム」などと揶揄されてしまう。

 私は何故日本が無謀といえる第二次大戦に自ら突入してしまったのか、をつらつら考えているのですが、その鍵を握るのは昭和初年から10年代前半の日本の情勢にあるということは一致した見解であると思います。特に満州事変(昭和6年)、二二六事件(昭和11年)、日華事変(昭和十二年)を中心にする昭和10年前後というのが重要ではないかと考えています。

 以前のブログで、私は何故明治の時代は軍が政治の統制下にあったものが、昭和になってそれを脱して暴走したのかが謎であり、戦争に至った一つの鍵であると指摘しました。その一つの答えは政党政治の弱体化にあると思います。二二六事件における青年将校達の主張には農村の疲弊と国の無策があげられていましたし、昭和維新をかかげる当時の右翼の政治理論は、やはり政党政治の腐敗に対する失望から天皇を中心とする新しい強力な国家体制を望むものであったと思われます。戦争中海軍の軍用物資調達のため、敵地の中国全土からも必要物資を調達し、戦後はその児玉機関の豊富な資金を用いて政党政治を陰で動かした児玉誉士夫も、若き工場労働者の頃は政治に失望して一時左翼に傾倒したものの超国家主義に転じ、玄洋社の頭山満に私淑したとされます。彼に対する善し悪しの評価は分かれるでしょうが、少なくとも彼が戦後政治の陰のフィクサーになってゆくきっかけは若い頃の政党政治に対する失望があったことは間違いないはずです。

 政治は国民が安泰に暮らすための「手段」にすぎませんが、景気が悪くなり人々の生活が苦しくなると国民の不満は政治に向けられます。そこで政治家達が旧態依然と自分たちにとって「うるさい人達」の方だけ向いて政治をしていると国民は失望し、より強い国家体制を求めるようになります。現在の日本は民主主義国家ですから、日本のため=将来を含む国民全体のためということになります(時代遅れの反日左翼はいまだに日本のためや国益=天皇のためなどと寝ぼけた事を言ってるようですが)。政治家が真剣に日本の国益、日本のためを思い国策を考え、国民に語りかければ、必ず国民は政治への信頼を取り戻すでしょう。アメリカ一国支配の時代が終わり、これから世界的に景気が悪くなり、エネルギーや食料供給を巡ってさまざまな混乱が予想される今こそしっかりしたビジョンを持った政治家が必要とされていますし、政治家達は国民を侮らず真剣に語りかけて欲しいと思います。人権擁護法案で「日本を憂えるインターネット世論」を黙らせようなどと努々考えないことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする