書評 黒幕「昭和闇の支配者 一巻」大下英治 著 だいわ文庫 2006年刊
戦後の政界の黒幕としてまた様々な経済事件のフィクサーとして活躍(暗躍?)し、ロッキード事件で田中角栄とともに起訴されてその政治的影響力に終焉を迎えた児玉誉士夫の一代記を小説風に記述した興味深い一冊である。
貧しい生まれの乱暴者だが、純粋なところのある少年が、工場労働者から労働運動に引かれ、それが日本人の気質に合わないと知って右翼運動に惹かれて行く。純粋な心から天皇陛下に直訴する手紙を渡そうとするが失敗して投獄され、帝都暗黒化事件に係わって失敗し拳銃自殺を試みるが辛くも一命を取り留める。その後の詳しいいきさつは省かれるものの「この男は使える」と見込まれて外務省情報部の密偵として中国大陸で活躍するようになる。その中で陸軍の石原寛爾や辻政信ともつながりを持つ。大陸での実績を認められて中国対立における海軍の物資調達を一手に引き受ける児玉機関を創設して莫大な資金を動かすようになるのである。
戦後は児玉機関に残った莫大な資産を使って自由党の鳩山内閣の成立に奔走する。その中でロッキード社とのつながりや、経済事件との係わりができてくる他、日本の左傾化に危機感を持ってやくざ社会と右翼との結合を計ったりするのである。中曽根首相や読売新聞のナベツネ氏や氏家斎一郎との交流なども紹介される。
これらの事件が現在進行形で起こっているときは、その背後関係などは我々一般人は知る由もないが、時を経てこのような形でダイジェストとして解説されるとなるほどと理解できるものである。
「どんな人でもそれなりの地位、立場に就くような人というのは、それなりの物(他人より優れた懐の深さといったもの)を持っている」というのはよく現した表現だと思う。単なる拝金主義の中身のない成金というのは、手にした金は豪邸と女に使うものである。児玉誉士夫という一見風采の上がらない小男が政界、経済界、やくざからも恐れられる存在になるにあたって、彼はどのような日本、どのような社会の存立を理想として活動していたのかというところが一番知りたいところだと思う。
1960年の安保改定に際してアイゼンハワー大統領が来日する予定であった時に、日本は国論を二分するほどの猛烈な反安保闘争が行われていて、当時の警察力では十分な警備体制が敷けない状態であった。そこで左翼勢力を抑えるためにヤクザ界が大同団結して行動右翼として警察を補佐するという計画が実行される。結局大統領の来日は中止されて前代未聞の警察とやくざの連合は実現しなかったのであるけれども、そのようなことをやくざ側のみならず政府側までも、その方向でまとめあげてしまう実力を持っていたことに驚かされる。
昭和40年の日韓基本条約締結の準備にあたっても、日韓の交渉上の橋渡しを繰り返し行っていた。朴大統領との会談では李承晩ラインによって韓国側に組み入れられて、韓国が実力で支配してしまった竹島について、将来条約締結の際にもめる元になるからいっそ爆破してしまいましょう、ともちかける話も出ている。見方によっては彼のスタンスは日本にとって必ずしも有利なものではない売国的な行動に見えるところもある。しかし戦前からアジアを西欧列強に対抗する日本中心の版図と考えて幅広く活躍してきた彼にとっては、ソ連や共産中国に侵食されないようアジアを連帯させてゆくことに国益を見出していたのかも知れない。私は中学時代の70年代に韓国にホームステイしたことがあるが、当時も占領時代を悪とする博物館はあったが、現在のようなヒステリックな反日機運はなく、老人などは日本人に昔使っていた日本語で普通に話しかけてきたものであった。
ロッキード事件ではロッキード社の日本側エージェントとして報酬を得ながら政治家や航空会社に収賄を行ったとして取り調べられて、報酬を得ていたことが脱税にあたるとして起訴され、家屋敷なども追徴の対象として結局黒幕としての活動に終止符を打たれて、本人も脳梗塞に倒れて亡くなるのだが、ひとつの時代が終わると同時に彼を黒幕として利用していた勢力からこの事件を機にお払い箱にされたという感が否めない。
若いときに外務省の諜報員として利用された時から、ロッキード事件まで、彼の人生は黒幕として体制を動かすために勢力から利用されることに終始してきた。その立ち位置は彼自身が一番よく理解していたのだろうと思うが、その立場において彼自身が自らの意思でなそうとしてきたことは何であったろうか。児玉は青年思想研究会(青思会)という右翼団体を形成してきたが、彼なりの一つの思想に沿って日本を動かしてゆきたいという志を持っていたと考えるべきであり、私腹を肥やしたいだけの単なる凡夫でないことだけは確かであろうと思う。
戦後の政界の黒幕としてまた様々な経済事件のフィクサーとして活躍(暗躍?)し、ロッキード事件で田中角栄とともに起訴されてその政治的影響力に終焉を迎えた児玉誉士夫の一代記を小説風に記述した興味深い一冊である。
貧しい生まれの乱暴者だが、純粋なところのある少年が、工場労働者から労働運動に引かれ、それが日本人の気質に合わないと知って右翼運動に惹かれて行く。純粋な心から天皇陛下に直訴する手紙を渡そうとするが失敗して投獄され、帝都暗黒化事件に係わって失敗し拳銃自殺を試みるが辛くも一命を取り留める。その後の詳しいいきさつは省かれるものの「この男は使える」と見込まれて外務省情報部の密偵として中国大陸で活躍するようになる。その中で陸軍の石原寛爾や辻政信ともつながりを持つ。大陸での実績を認められて中国対立における海軍の物資調達を一手に引き受ける児玉機関を創設して莫大な資金を動かすようになるのである。
戦後は児玉機関に残った莫大な資産を使って自由党の鳩山内閣の成立に奔走する。その中でロッキード社とのつながりや、経済事件との係わりができてくる他、日本の左傾化に危機感を持ってやくざ社会と右翼との結合を計ったりするのである。中曽根首相や読売新聞のナベツネ氏や氏家斎一郎との交流なども紹介される。
これらの事件が現在進行形で起こっているときは、その背後関係などは我々一般人は知る由もないが、時を経てこのような形でダイジェストとして解説されるとなるほどと理解できるものである。
「どんな人でもそれなりの地位、立場に就くような人というのは、それなりの物(他人より優れた懐の深さといったもの)を持っている」というのはよく現した表現だと思う。単なる拝金主義の中身のない成金というのは、手にした金は豪邸と女に使うものである。児玉誉士夫という一見風采の上がらない小男が政界、経済界、やくざからも恐れられる存在になるにあたって、彼はどのような日本、どのような社会の存立を理想として活動していたのかというところが一番知りたいところだと思う。
1960年の安保改定に際してアイゼンハワー大統領が来日する予定であった時に、日本は国論を二分するほどの猛烈な反安保闘争が行われていて、当時の警察力では十分な警備体制が敷けない状態であった。そこで左翼勢力を抑えるためにヤクザ界が大同団結して行動右翼として警察を補佐するという計画が実行される。結局大統領の来日は中止されて前代未聞の警察とやくざの連合は実現しなかったのであるけれども、そのようなことをやくざ側のみならず政府側までも、その方向でまとめあげてしまう実力を持っていたことに驚かされる。
昭和40年の日韓基本条約締結の準備にあたっても、日韓の交渉上の橋渡しを繰り返し行っていた。朴大統領との会談では李承晩ラインによって韓国側に組み入れられて、韓国が実力で支配してしまった竹島について、将来条約締結の際にもめる元になるからいっそ爆破してしまいましょう、ともちかける話も出ている。見方によっては彼のスタンスは日本にとって必ずしも有利なものではない売国的な行動に見えるところもある。しかし戦前からアジアを西欧列強に対抗する日本中心の版図と考えて幅広く活躍してきた彼にとっては、ソ連や共産中国に侵食されないようアジアを連帯させてゆくことに国益を見出していたのかも知れない。私は中学時代の70年代に韓国にホームステイしたことがあるが、当時も占領時代を悪とする博物館はあったが、現在のようなヒステリックな反日機運はなく、老人などは日本人に昔使っていた日本語で普通に話しかけてきたものであった。
ロッキード事件ではロッキード社の日本側エージェントとして報酬を得ながら政治家や航空会社に収賄を行ったとして取り調べられて、報酬を得ていたことが脱税にあたるとして起訴され、家屋敷なども追徴の対象として結局黒幕としての活動に終止符を打たれて、本人も脳梗塞に倒れて亡くなるのだが、ひとつの時代が終わると同時に彼を黒幕として利用していた勢力からこの事件を機にお払い箱にされたという感が否めない。
若いときに外務省の諜報員として利用された時から、ロッキード事件まで、彼の人生は黒幕として体制を動かすために勢力から利用されることに終始してきた。その立ち位置は彼自身が一番よく理解していたのだろうと思うが、その立場において彼自身が自らの意思でなそうとしてきたことは何であったろうか。児玉は青年思想研究会(青思会)という右翼団体を形成してきたが、彼なりの一つの思想に沿って日本を動かしてゆきたいという志を持っていたと考えるべきであり、私腹を肥やしたいだけの単なる凡夫でないことだけは確かであろうと思う。