rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

約束規範が社会道徳に優先する時

2012-12-27 18:25:23 | 社会

今日は社会についての雑駁な感想です。

法は道徳の一部(最小限)という言い方がされることがありますが、「人を殺してはいけない」とか「他人の物を盗ってはいけない」といったことは古今東西を問わず変わらない道徳であると同時にどの社会における法にも定められていて道徳に基づく規範と言えます。一方道路交通法の「車は左、人は右」といった決まりは社会の利便のために作られた約束事でしかなく、道徳的意味はありません。従って国によって決まりが逆の事もありますし、時代によって変わることもあります。また商習慣についての法や税法なども約束規範でしかなく、その内容には(法は守るべき)という以上の道徳的意味合いはありません。

 

社会の利便性を考えて作られた約束規範は、守る事が前提ですし、守らなければ罰則を伴うことも理解の上ですが、あまり意固地になって厳守しようとするとかえって社会の利便性を損なう場合や、道徳的に問題が出てくる場合があります。車の制限速度や一時停止なども常識の範囲内でという事もあるでしょうし、戦後の食糧難の時代に配給米のみを食べて餓死した裁判官(他の警察、判事、全ては闇米も食べていたという証左)がいて問題になった事もありました。

 

法を守る事がかえって皆の不利益になる、或は人道に反する場合でも「悪法も法なり」といって守らせる事があります。「悪法も法なり」という言葉はソクラテスが有罪になって毒をあおる際に残した言葉と言われていますが、実際は不明で、近代法において「法治国家(rule by law)」が悪法であっても法として存在するものは守らなければならない、とする立場である一方「法の支配(rule of law)」の立場では基本的人権など、どの法よりも優先されるべき規範があって、法は権力を規定するための物という立場を取るので「悪法も法なり」という物言いは正しくないとされます(定義上「実質的法治主義」という場合はその限りではないようですが)。現在の日本は戦前のドイツから輸入した大陸法が法治国家の性格を持っていたのに対して、戦後は米英の「法の支配」的解釈が主流とされているので、「悪法も法なり」の考えは本来否定されていると言えます。

 

しかし現実の日本社会は、村社会の名残から共同体、或いは役所から許可されている範囲を自由と考える「事前検閲」を重視し、禁止されている事以外は何をしても自由という「事後検閲」を主体とするアメリカ的考えには馴染んでいないと言えます(コンプライアンス重視は日本社会を良くするか参照)。だから「悪法も法なり」と考えて、もっと自由に振る舞えるべき所を自粛してしまう現実があるように思います。規制緩和が声高に叫ばれるのも、規定がないものは自由に行って良いはずのものが、役所にお伺いを立てる事で「事前規制」が行われて自由がなくなってしまう事に問題があるのだと思います。その意味でTPPに入るということは役所の事前検閲体制からアメリカ的な事後検閲体制(問題が起こってから規制する)に入るという事になるので、多くの許認可権を失う役所としては猛反対をしそうなものですが、そのようなとらえ方はなされていないようです。

 

役所の行政処分というのは社会秩序を維持管理するための約束規範だと思いますが、これも厳格にやり過ぎるとかえって国民の暮らしに障害が出ることが危惧されます。行政処分の決定は簡易裁判所などで決定されるものもありますが、多くは検事と判事が同一の役所内の会議で被疑者を弁護する役割もなく一方的に判決が下されるのが普通です。「行政処分に対する不服申し立て」という道が残されてはいますが、気が遠くなるような時間と手間、よほどの事でないと認められない現実を考えると実際には機能していないと言っても良いでしょう。だから行政処分を行うお役人さんは執行する処分が国民の福祉や利益に反しないかどうか十分に見極める必要があると言えますし、国民の利益に反する場合は執行しない決断を下す必要があるでしょう。

 

最近私がよく見ているテレビ番組(ケーブルですが)に米国の刑事司法制度を扱った「Law & Order」というのがあります。米国ではシーズン20を数える長寿番組のようで人気の高さが伺えますが(日本ではシーズン9まで放送中)、1時間番組の前半は刑事事件が起こって犯人が捕まるまでが描かれ、後半は犯人が裁判でいかに裁かれるかが描かれます。題名からして「法と秩序」がいかに守られるか、という内容ですが、前半はまさに道徳規範を冒した犯人がどのように追い込まれて捕まるか(ここでアメリカ映画にありがちな派手な撃ち合いは一切ありません。犯人が撃ち殺されて終わりではこの番組の趣旨に反します)なのですが、後半は大陪審という約束規範の世界においていかに検事達が証拠を取り揃えて判事や陪審員に納得させて犯人を有罪にするか、が見せ場になります。被疑者は明らかに犯人なのですが、絶対的な証拠物件である犯罪に使われた銃が礼状なしで押収されたものであったりすると「裁判では証拠と認めない」と決定されて犯人である事を証明できなくなったりします。つまり真実よりも理屈が優先される訳です。面白いのは検事側が3回に1回位は裁判に負けて犯人が無罪になったり微罪になったりすること。日本ではない「司法取引(dealと言っている)」で犯人が裁判にならずに量刑が決まって検事に収監期間をまけてもらったりする事でしょう。公判の場面で圧倒的に不利な状況から検事達が頑張って有能な弁護士のついた犯人が有罪になるというカタルシス感が人気の長寿番組である秘密と思われます。TPP参加に際して裁判を重視するアメリカ社会やアメリカ人の考え方を知るには良い番組であるように思います。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一億総中流の再現はグローバ... | トップ | 書評 「通貨」はこれからど... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
法化社会。 (植杉レイナ)
2013-01-01 18:28:43
初めておじゃまいたします。長らく拝見しておりましたが,たいへん深い論考でいらして,なかなか感想をさしあげることができずにおりました。
本年も期待しておりますので,よろしくお願いもうしあげます。
返信する
Unknown (rakitarou)
2013-01-03 10:16:15
植杉さま、コメントありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
返信する

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事