rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

心停止後すぐに死亡が告げられ家族が泣き崩れるのがまっとうな死に際か

2012-09-06 17:26:40 | 医療

診察から24時間経過後の死、警察への届け不要(読売新聞) - goo ニュース

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医師にも勘違いをしている人がいて、死亡前24時間以内に診察をしていないと死亡診断書を書けず、警察に連絡して死体検案書にしないといけないと思っている人がいます。癌末期などを在宅で過ごす場合、必ずしも毎日医師が訪問診療をしていなくても家族が亡くなっていることに気づいた時点で主治医(主治医であることが重要)に連絡してもらえれば、医学的に不審な点がなければ、死亡した状態で診察した上で死亡診断書を書く事は法律的に許されているのです。在宅で終末期医療をしている友人医師は「すでに数百人を在宅で看取ったけど夜中に呼ばれるようなことは数回しかなかった、亡くなったら翌日連絡すれば必ず行くと話しているから。」と言ってました。

一方で、我々病院勤務医は癌末期の患者さんが入院しているとモニターがついているため、呼吸が浅くなって脈が徐脈になりはじめると看護師から夜中でも病院に呼び出されて、心停止になったとたんに家族が控えている病室に行って「○時×分にお亡くなりになりました。」と言わねばなりません。その後診断書を書いて看護師が死後の処置をして葬儀社を呼び霊安室に行ってから簡単な焼香をして霊柩車で送り出すという所まで行います。かれこれ二時間位はかかりますが、それも医者の勤めであるし、自分の患者さんであれば信頼して治療についてきてくれた患者さんへの礼儀として当然とも思います。しかし「人生の最期の時を何も病院などで迎えなくても良いだろうに」という思いをいつも感じます。

死期の近づいた人が自分の住み慣れた家で家族と過ごし、夜家族と思い出話などして、翌朝家族が起こしにきたら亡くなっていた、などというのが最高の死に方ではないかと私は思います。そのためには在宅で過ごせるような緩和医療(痛みなどのコントロールがついていること)が行われ、訪問診療や看護が行われる環境があり、急変したからといって間違っても救急車を呼んでしまうような理解のない家族でないことが要求されます。救急隊は「安らかな死を援助する」という任務はないので全力を尽くして蘇生に励みます。蘇生処置を施されながら運ばれてきた患者は病院の救急外来で引き続き蘇生措置が行われ、挿管、点滴、人工呼吸器装着などが施される確率が高いです。そしてかかりつけでなく、死に至る病気について初診の状態で亡くなった人は、他院で癌の末期だったと告げられても死亡診断書でなく警察に連絡の後検案書を書く事になります。勿論事件性がなければ解剖は行われませんが。

癌に限らず、高齢で老衰、食事が摂れなくなって自然死という理想的な死であっても在宅医療は可能です。このような死に際を普通に理想と考えるようにするには、テレビドラマなどでもっとこのようなシーンを積極的に取り上げてゆくことも必要だと思われます。病院で心停止後すぐに死亡が告げられて家族が泣き崩れるというお決まりのシーンはもう止めにしましょう。


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