rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

テレビ映画「コンバット」に見る米国のカソリック観

2008-08-22 19:50:13 | 映画
テレビ映画「コンバット」は60年代に放映されて、日本でも度々再放送され、今でも時々衛星放送で流されるので知っている人、或いは大ファンの人も多いと思います。私を含む「戦争大好き少年」達はサンダース軍曹やヘンリー少尉にあこがれて、サンダース軍曹の持っているトミーガンが欲しいなあと思ったものです。

私も中学生の頃から深夜などにこっそりと「コンバット」を見て育った人間ですが、単なる殺し合いだけでなく、そこに描かれるドラマ、特に西洋人独特の考え方に基づくドラマに魅せられた記憶があります。「コンバット」はヘンリー少尉率いる米軍の一小隊が、ノルマンディー上陸からフランスを解放しつつドイツ軍と戦う日々が人間ドラマとともに描かれてゆくのですが、先々の小さな街で出てくる小さな教会、砲撃で壊れたキリストやマリアの像、戦争と関係ないが如くすごす修道僧達などが「一種独特の雰囲気」を持って描かれているのが印象的でした。

私は宗教についてはざっとした知識しかないので間違った認識もあるかも知れませんが、この描かれる「独特の雰囲気」は何なのか最近解ったように思います。それはプロテスタントである米軍がフランスの田舎町の異文化であるカソリック教会に対して畏敬の念をいだきつつも暴虐ドイツからそれらを「解放する米軍」というスタンスなのだな、ということです。

アメリカにおける宗教(とそれを信奉する民族)の上下関係は政治経済学者の副島隆彦氏が書いた「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」(講談社α文庫2004年)に簡潔明瞭に記されているのですが、簡単に記すとアメリカではプロテスタント(の白人)が主流で上位であり、アイルランド、イタリア、東欧などのカソリック(の白人)は下位に見られている。黒人はその下、アジアやイスラムは埒外であり、ユダヤ教は好かれていないけれど別格扱い。ただし米国内では下位に見られているカソリック(系白人)だけれど唯一特別なのはその昔イングランドを征服し、近年では米国独立を支援し、自由の女神を贈ったフランス、というもの。だからアメリカ人はフランスの名家にあこがれるし、フランス語を話すことは知的エリートの証ともなるとか。

戦争映画の名作「パットン大戦車軍団」ではパットン将軍が流暢なフランス語でフランスの民衆に演説する様が描かれていて、その演説内容を副官(これもエリート)が新聞記者に解説するという場面が出てくるのですが、文化的バックグラウンドが解るとなるほどと思わせます。

コンバットの初期の作品「Lost sheep lost shepherd」を紹介します。この作品では堕落して追放された牧師の卵が戦車長となり英雄となるのですが、聖職者になりたかったのに毎日殺人を犯しているという心の葛藤から、逆に教会に敵意を持ってフランスの教会を砲撃したり、神父に乱暴したりします。しかし最後は自分が乱暴した神父に懺悔をします。アメリカ人の戦車長とフランス人の神父は言葉が通じないのでキリスト教共通の言語であるラテン語で懺悔をかわします。神父から行方不明の村人達(sheep)がドイツ軍によって教会に幽閉されていることを知らされた戦車長(shepherd)はカソリックの法衣を纏って教会に乗り込み、自ら犠牲となり戦死するのですが、幽閉されていた村人達は救出されるという物語です。ここでも独特の雰囲気満載なのですが、「畏敬の念を抱きつつフランスを開放する米軍」というスタンスが貫かれている作品と言えます。


コメント
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