21、22日は関西学院大学で開かれた日本マーケティング・サイエンス学会(JIMS)研究大会に参加した。美しいキャンパスの広すぎる教室に、ぱらぱらと聴衆が座っている。そのアンバランスに、一抹の寂しさを感じる。
時刻を間違えて遅刻したが、今回の目玉の1つは、筑波大学の西尾チヅル先生の「環境マーケティング」に関するチュートリアルだろう。正しいテーマを選び、一貫して追い続ければ、価値の高い研究が生まれることを教えられた。
自分はといえば、2日目の朝一番、阿部誠、新保直樹両先生との共同研究を発表した。Twitter 上の影響伝播を分析したもので、昨年長崎で発表した内容を発展させたもの。今回はフォロワーに焦点を当ててモデル化している。
この研究で面白いのは、インフルエンサーの影響を受けるフォロワーの比率は限られるが、初期に活性化させるインフルエンサーの選択(seeding)を適切に行うと、かなり大きな効果が得られるという結果にある。
それはさておき、今回、ビッグデータということばをあちこちで耳にした。そして、ビッグデータの興隆は、マーケティング・サイエンスにとって好機であるとともに、脅威であるとということを考えさせられた。
ビッグデータを強く意識した発表としては、東北大学の石垣司先生らの「変分ベイズ法」を用いた研究があった。MCMC などより高速に計算できるので、ビッグデータの分析に相応しい手法だということである。
ただ、討論者の中島望先生は、選択モデルの枠組みを踏襲していないこと、コメントに立った星野崇宏先生は、変分ベイズ法に一致性がないことが統計学者に不評で、代替的手法が検討されていると指摘されていた。
中西正雄先生の「個人データによる小売吸引力の測定」に対する片平秀貴先生のコメントで、個人の移動や買物行動を捕捉したビッグデータが、新たな研究フロンティアを生み出していると指摘されたのも印象に残る。
そこで気になるのが、こうしたデータに、既存の確率モデルなり選択モデルをうまく適用できるか、だ。そうしたモデルは、限られたデータしかない時代に、強い仮定をおいて情報を汲み取ろうとする工夫のようにも思える。
不完全だが詳細なデータが溢れる時代には、モデルを緻密にすることより、Googleの自動翻訳技術のような、データ量を生かした力業が効果を発揮するかもしれない。自分流には、それも一種のボトムアップなアプローチである。
つまり、豊富な事例に「自ら」語らせるというアプローチだ。結局は、データやモデルに何を期待するか次第だが、大きな発想の転換を求められているのは確かだろう。ともかく、具体的に何をやってみるしかない。
時刻を間違えて遅刻したが、今回の目玉の1つは、筑波大学の西尾チヅル先生の「環境マーケティング」に関するチュートリアルだろう。正しいテーマを選び、一貫して追い続ければ、価値の高い研究が生まれることを教えられた。
自分はといえば、2日目の朝一番、阿部誠、新保直樹両先生との共同研究を発表した。Twitter 上の影響伝播を分析したもので、昨年長崎で発表した内容を発展させたもの。今回はフォロワーに焦点を当ててモデル化している。
この研究で面白いのは、インフルエンサーの影響を受けるフォロワーの比率は限られるが、初期に活性化させるインフルエンサーの選択(seeding)を適切に行うと、かなり大きな効果が得られるという結果にある。
それはさておき、今回、ビッグデータということばをあちこちで耳にした。そして、ビッグデータの興隆は、マーケティング・サイエンスにとって好機であるとともに、脅威であるとということを考えさせられた。
ビッグデータを強く意識した発表としては、東北大学の石垣司先生らの「変分ベイズ法」を用いた研究があった。MCMC などより高速に計算できるので、ビッグデータの分析に相応しい手法だということである。
ただ、討論者の中島望先生は、選択モデルの枠組みを踏襲していないこと、コメントに立った星野崇宏先生は、変分ベイズ法に一致性がないことが統計学者に不評で、代替的手法が検討されていると指摘されていた。
中西正雄先生の「個人データによる小売吸引力の測定」に対する片平秀貴先生のコメントで、個人の移動や買物行動を捕捉したビッグデータが、新たな研究フロンティアを生み出していると指摘されたのも印象に残る。
そこで気になるのが、こうしたデータに、既存の確率モデルなり選択モデルをうまく適用できるか、だ。そうしたモデルは、限られたデータしかない時代に、強い仮定をおいて情報を汲み取ろうとする工夫のようにも思える。
不完全だが詳細なデータが溢れる時代には、モデルを緻密にすることより、Googleの自動翻訳技術のような、データ量を生かした力業が効果を発揮するかもしれない。自分流には、それも一種のボトムアップなアプローチである。
つまり、豊富な事例に「自ら」語らせるというアプローチだ。結局は、データやモデルに何を期待するか次第だが、大きな発想の転換を求められているのは確かだろう。ともかく、具体的に何をやってみるしかない。