ジョン・レノンの紙ジャケは2000年以降順次リマスターされたものを
採用しているが「SOMETIME IN NEWYORK CITY」は違った。
リマスターされたものは1枚物で後半のザッパとのライブを収録した
3曲が外され、代わりに当初のアルバムの趣旨から外れた2曲が収録される
という駄盤だったので、オリジナル・フォーマットに近づけた
紙ジャケであれば、中身はリマスターされていなくとも従来通りの内容で
リリースするのは賢明な処置であった。
当時のマザーズはマーク・ヴォルマン、ハワード・ケイランの二人を
フロントに立てた通称「フロ&エディー・マザーズ」と言われるものだ。
マザーズは71年6月5日と6日に1日2ステージ、計4回分のライブを
全てレコーディングしていて、6日にジョンとヨーコが飛び入りする。
ザッパとジョンの間で両者の共演はどちらがリリースしても構わない
取り決めが行われ、ザッパからジョンにマスターのコピーが渡される。
まず、ザッパは同年8月に「FILLMORE EAST-JUNE 1971」というアルバムを
リリースするが、そこにジョンとの共演は収録されていない。
ジョンがどのような形でリリースするか、お手並み拝見と決め込んだか
それともこの時点でリリースするには時期早尚と判断したのかもしれない。
同年12月、ザッパはステージに上がってきた観客にステージ下に突き落とされ
全治6ヶ月の重症を追う。マザーズのメンバーはザッパの勧めもあったらしいが
演奏活動をするためにグループを結成(フロ&エディー)、その後
ザッパと袂を別つ。
72年9月、いよいよジョンがザッパとの共演を含む「SOMETIME IN NEWYORK
CITY」を発表。かつてビートルズのパロディ・ジャケットを作った
ザッパではあるが、あからさまに「FILLMORE EAST-JUNE 1971」のジャケを
朱筆校正したインナー・スリーブ(掲載写真右)を見たときは
気分が悪かったろう。
尚且つ最悪なことに「JAMRAG」と題された曲はザッパの「KING KONG」の
リフをメインに展開したセッションにも関わらず、曲のクレジットは
なんと『LENNNON-ONO』とされ、ザッパの名前は無かった。
ここで対抗しても良さそうなものだが、71年当時のマザーズと袂を
別ったザッパにしてみれば今更、喧嘩別れの形になった元メンバー達に
印税をくれてやる気にもならなかったのだろう、追随はしなかった。
しかし、「SOMETIME IN NEWYORK CITY」から20年を経た1992年に
ザッパは「PLAYGROUND PSYCHOTICS」(掲載写真左)で遂にジョンとの
共演音源を解禁する。
ザッパのバージョンとジョンのバージョンを比べて初めて、当日の真実が
わかる。もちろんザッパのバージョンが真実に近い。
まず「WELL(BABY PLEASE DON'T GO)」はジョンのバージョンでは
キーボード・ソロとザッパの2回目の激烈なギター・ソロがカットされて
いる。大きく違うのは「SCUMBAG」だ。ジョンのバージョンでは
ジョンの「SCUMBAG」という叫びが曲を支配しているが実際は、その
掛け声に応じるハワード・ケイランの、ソウル・レビュー顔負けの
熱いボーカルを聴くことが出来る。明らかにジョンが圧されているために
「SOMETIME・・・」ではきれいにカットしてしまったのだ。
面白いことに「JAMRAG」はザッパはよほどムカついたのだろう、
「KING KONG」のリフを完全にカットしタイトルを「SAY PLEASE」「AAAWK」と
変更しクレジットはザッパのみにしてしまった。
「SOMETIME・・・」でザッパとの3曲がリマスターされなかったのは
真実からあまりにかけ離れたミックスであること、クレジットの問題が
あること、ザッパのバージョンが世にでてしまったこと、これらを
判断したためだというのが私の考えである。
ジョンの「SOMETIME・・・」を聴いてザッパの「PLAYGROUND・・・」を
聴いていないジョンのファンは多いだろう。
ジョンもザッパも当日の音源をそれなりにカットしたり音をいじったり
している。ザッパ・ファミリーには当日のあるがままの音源を
できれば「コンプリート・フィルモア・イースト」という形で
リリースして欲しいものだ。例え4枚組でも買うから。(笑)
採用しているが「SOMETIME IN NEWYORK CITY」は違った。
リマスターされたものは1枚物で後半のザッパとのライブを収録した
3曲が外され、代わりに当初のアルバムの趣旨から外れた2曲が収録される
という駄盤だったので、オリジナル・フォーマットに近づけた
紙ジャケであれば、中身はリマスターされていなくとも従来通りの内容で
リリースするのは賢明な処置であった。
当時のマザーズはマーク・ヴォルマン、ハワード・ケイランの二人を
フロントに立てた通称「フロ&エディー・マザーズ」と言われるものだ。
マザーズは71年6月5日と6日に1日2ステージ、計4回分のライブを
全てレコーディングしていて、6日にジョンとヨーコが飛び入りする。
ザッパとジョンの間で両者の共演はどちらがリリースしても構わない
取り決めが行われ、ザッパからジョンにマスターのコピーが渡される。
まず、ザッパは同年8月に「FILLMORE EAST-JUNE 1971」というアルバムを
リリースするが、そこにジョンとの共演は収録されていない。
ジョンがどのような形でリリースするか、お手並み拝見と決め込んだか
それともこの時点でリリースするには時期早尚と判断したのかもしれない。
同年12月、ザッパはステージに上がってきた観客にステージ下に突き落とされ
全治6ヶ月の重症を追う。マザーズのメンバーはザッパの勧めもあったらしいが
演奏活動をするためにグループを結成(フロ&エディー)、その後
ザッパと袂を別つ。
72年9月、いよいよジョンがザッパとの共演を含む「SOMETIME IN NEWYORK
CITY」を発表。かつてビートルズのパロディ・ジャケットを作った
ザッパではあるが、あからさまに「FILLMORE EAST-JUNE 1971」のジャケを
朱筆校正したインナー・スリーブ(掲載写真右)を見たときは
気分が悪かったろう。
尚且つ最悪なことに「JAMRAG」と題された曲はザッパの「KING KONG」の
リフをメインに展開したセッションにも関わらず、曲のクレジットは
なんと『LENNNON-ONO』とされ、ザッパの名前は無かった。
ここで対抗しても良さそうなものだが、71年当時のマザーズと袂を
別ったザッパにしてみれば今更、喧嘩別れの形になった元メンバー達に
印税をくれてやる気にもならなかったのだろう、追随はしなかった。
しかし、「SOMETIME IN NEWYORK CITY」から20年を経た1992年に
ザッパは「PLAYGROUND PSYCHOTICS」(掲載写真左)で遂にジョンとの
共演音源を解禁する。
ザッパのバージョンとジョンのバージョンを比べて初めて、当日の真実が
わかる。もちろんザッパのバージョンが真実に近い。
まず「WELL(BABY PLEASE DON'T GO)」はジョンのバージョンでは
キーボード・ソロとザッパの2回目の激烈なギター・ソロがカットされて
いる。大きく違うのは「SCUMBAG」だ。ジョンのバージョンでは
ジョンの「SCUMBAG」という叫びが曲を支配しているが実際は、その
掛け声に応じるハワード・ケイランの、ソウル・レビュー顔負けの
熱いボーカルを聴くことが出来る。明らかにジョンが圧されているために
「SOMETIME・・・」ではきれいにカットしてしまったのだ。
面白いことに「JAMRAG」はザッパはよほどムカついたのだろう、
「KING KONG」のリフを完全にカットしタイトルを「SAY PLEASE」「AAAWK」と
変更しクレジットはザッパのみにしてしまった。
「SOMETIME・・・」でザッパとの3曲がリマスターされなかったのは
真実からあまりにかけ離れたミックスであること、クレジットの問題が
あること、ザッパのバージョンが世にでてしまったこと、これらを
判断したためだというのが私の考えである。
ジョンの「SOMETIME・・・」を聴いてザッパの「PLAYGROUND・・・」を
聴いていないジョンのファンは多いだろう。
ジョンもザッパも当日の音源をそれなりにカットしたり音をいじったり
している。ザッパ・ファミリーには当日のあるがままの音源を
できれば「コンプリート・フィルモア・イースト」という形で
リリースして欲しいものだ。例え4枚組でも買うから。(笑)