67年発表のデビュー・アルバム。
それ以前にシングルを幾つか発表しているものの、大した話題にもならず
いきなりボブ・ディランの「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」の
セッションに参加。それから更に2年。満を持してのデビュー盤である。
ケニー自身が「自分はまずシンガーで、その次がコンポーザーだ」という
ように、どのアルバムにもカバー曲が多く含まれる。なかにはベタなものも
あって、正直全てを許容できる度量は私にはない。
だが、このアルバムはデビュー作であり、カバーや他人の楽曲を歌うばかりでは
認めてもらえない時代の流れもあってか、ケニーのオリジナルが多く含まれる。
そして、これがいい曲ぞろいなのだ。
後に自身が再録音する「ピースフル」、当時の妻とのデュエットがいい感じの
「イン・ネヴァー・チェンジズ」、必殺の「コットン・キャンディ・マン」と
傑作の枚挙に暇がない。ジョアン・ジルベルトからの影響を公言しつつも
よりポピュラリティを得るために独自の手を加え、数多のシンガーソング
ライターの作品とは違った音を聴かせる。
当時同じフィールドで括られかねない、フレッド・ニールやボブ・ディランの
曲をとりあげるというのも、なかなかのセンスではなかろうか。
ブレインはいただろうが、よほど自分のスタイルと歌に自信と、その個性に
自覚的でなければこういった選曲はできないだろう。
そのディランの曲「ミスター・タンブリン・マン」の出来には、コアな
ディラン・ファンは首をひねるかもしれないが、これはこれでありだろう。
一度スタジオ録音が発表されても、いかような解釈にも耐えうる曲の
魅力はさすがはディラン、という解釈も可能ではある。
何せ、「アット・武道館」ではレゲエ・アレンジで度肝を抜いたくらいであるから。
おっと、ケニー・ランキンの話であった。
なかなか全てのアルバムを愛聴するにはいたらないのだが、このアルバムは
私にとって別格だ。もう一度書くがこのアルバムは67年の発表である。
この時代に、サイケでもヒッピーかぶれでもなく、お洒落と言う言葉は
使いたくはなかったが、こんな感じで洗練されたアルバムはそう多くは
なかったはずである。もちろん当時の主流ではなかったろうが、
今聴いても瑞々しさを感じる。
現時点で入手は簡単ではないかも知れないが、気に留めておいて欲しい1枚。
それ以前にシングルを幾つか発表しているものの、大した話題にもならず
いきなりボブ・ディランの「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」の
セッションに参加。それから更に2年。満を持してのデビュー盤である。
ケニー自身が「自分はまずシンガーで、その次がコンポーザーだ」という
ように、どのアルバムにもカバー曲が多く含まれる。なかにはベタなものも
あって、正直全てを許容できる度量は私にはない。
だが、このアルバムはデビュー作であり、カバーや他人の楽曲を歌うばかりでは
認めてもらえない時代の流れもあってか、ケニーのオリジナルが多く含まれる。
そして、これがいい曲ぞろいなのだ。
後に自身が再録音する「ピースフル」、当時の妻とのデュエットがいい感じの
「イン・ネヴァー・チェンジズ」、必殺の「コットン・キャンディ・マン」と
傑作の枚挙に暇がない。ジョアン・ジルベルトからの影響を公言しつつも
よりポピュラリティを得るために独自の手を加え、数多のシンガーソング
ライターの作品とは違った音を聴かせる。
当時同じフィールドで括られかねない、フレッド・ニールやボブ・ディランの
曲をとりあげるというのも、なかなかのセンスではなかろうか。
ブレインはいただろうが、よほど自分のスタイルと歌に自信と、その個性に
自覚的でなければこういった選曲はできないだろう。
そのディランの曲「ミスター・タンブリン・マン」の出来には、コアな
ディラン・ファンは首をひねるかもしれないが、これはこれでありだろう。
一度スタジオ録音が発表されても、いかような解釈にも耐えうる曲の
魅力はさすがはディラン、という解釈も可能ではある。
何せ、「アット・武道館」ではレゲエ・アレンジで度肝を抜いたくらいであるから。
おっと、ケニー・ランキンの話であった。
なかなか全てのアルバムを愛聴するにはいたらないのだが、このアルバムは
私にとって別格だ。もう一度書くがこのアルバムは67年の発表である。
この時代に、サイケでもヒッピーかぶれでもなく、お洒落と言う言葉は
使いたくはなかったが、こんな感じで洗練されたアルバムはそう多くは
なかったはずである。もちろん当時の主流ではなかったろうが、
今聴いても瑞々しさを感じる。
現時点で入手は簡単ではないかも知れないが、気に留めておいて欲しい1枚。