山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

放置読書

2018-06-21 22:58:27 | 読書
ハムスターっていうのは、寸前までやっていたことを忘れてしまうそうで、
食べている途中で寝てしまったり、またふと目を覚まして、何かを始めたりするが、
その前にやっていたことなんかまるで記憶にないらしい。

私もハムスターみたいな人間で、何ヶ月か前に読み始めたはずの小説本が、いつのまにか、どこかに放置されていたのだ。

そして、最近気がついた。

そう言えば、あの本、どこに行ったんでしょうね。

読み始めていたことを思い出したけど、いつやめてしまったんだろうね。

その本は、カズオ・イシグロの「浮世の画家」だった。

これは、日本が舞台になっており、カズオ・イシグロの空想の世界というか、本当の日本を見て書いたわけではなく、彼には幼少のときのごく狭い身近な地域の記憶しかないのだそうだから、日本を知らずに日本を舞台に書いた小説だということだった。

そして、この小説の舞台は、戦後の日本であって、戦争で空襲を受けて壊れたりした家屋敷のことも描かれていた。

その家は、立派なお屋敷で、画家である自分が安く譲り受けたものだったが、・・・

そこから始まる物語が始まる前に、放置状態となったまま、私の記憶から遠ざかっていったのだった。

何で放置したのか?
特に理由もないのだけど・・・つまりは、誘引力がなかったんだろう。

これを読み始めて、ちょっと気になったのは、文体がいかにも戦争直後の日本小説のようなかんじだったことだ。

これは、イギリス人の現代の作家が書いた小説ではないのかな?

なんとなく、古臭い、あの時代にありふれていたようなその文体(登場人物の言い回し等)が気に入らない。
この文体はカズオ・イシグロが醸し出したものじゃないような気がする。

そして、紀子はなぜ紀子なのか?
典子でなく法子でなく則子でもなく、どうして紀子になったのだろう・・・

石黒一雄が書いたんだったら、紀子かもしれないが、
カズオ・イシグロが書いた小説だよ。

だったら、紀子はノリコじゃないのかな?

このあとの展開が、日本にあった小説のようではないのかもしれないけれど、

読み始めた最初の方で、起きた違和感。

日本の昔の小説の中に出てくる、ありふれた言い回し。登場人物のやりとり。

それがイヤだ。昔の日本人作家が書いた文みたいなんだもの。

いえいえ、特に嫌気がさしたわけでもなんでもない。
訳者が悪いとか言ってるわけでもないし、そこまで私にはわからない。

カズオ・イシグロが、日本人ってこんな感じの人間…って思っていたから、そのように書かれた小説をそのように訳したのかな?

私は、そのことがいやでやめたわけではなかった。

ただ、途中ですっかり読んでることを忘れたのだ。

意識から消えていたのだ。


思い出したからまた読もうかな。



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学欲がない

2018-06-21 22:48:32 | 日記2018
食欲はいくらでもあるんですが、学欲が無くて困っている。

食欲の無い人は、何も食べたくないんだけど、それでもとにかく、口に入れてみると食べることができるのだそうだ。
無理やり食べているうちに、食べる気になるのだそうだ。

だから、学欲も同じことかな?と思う。

私は、放送大学の授業を聴く気になれずに困っている。
こういうときも、視聴したいとは全然思えないわけなのだが、
とにかく放送を流して、無理やり自分の目や耳に内容を入れる。
そうすると、見たくない、聴きたくないと思っていても、見てみたらまあまあ面白かったと思えるようになるかもしれないのだ。

全然食欲なかったんだけど、食べてみたらおいしくて食べられたよ、という具合に・・・。

しかし・・・

毎日毎日
勉強したくな~~い と繰り返し思っていて、
そして、無理やり実行したとしても、
意外に面白いじゃん、もっと見たい、とはならず、

相変わらず、やりたくな~い、めんどくさ~い 
という気分の続く日々だ。

だめだこりゃ。

勉強モードには、どうやったら変われるんだろうか・・・

学欲がわく方法、誰か教えてくんりょ。
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