山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

停止線

2009-09-06 18:39:22 | 運転・車・道路の事
私がいつも読んでいる教習所の先生のブログで、停止線の手前のあまり前すぎるところで停止しても検定中止ということが書いてありました。
ふうん、なるほど。
検定対策で、それが中止になるほどの減点だったということは、今まで知りませんでした。
だいたい停止線のところで停まるのは難しいことではなく、手前過ぎるところで止めるような教習生はほとんどいないため、卒業校では特に注意もなかったのではないかと思います。

以前、私は狭い交差点の赤信号で、停止線の直前でちゃんと車を停止させていたところ、左折してきた対向車が曲がりきれなかったためにバックしたという体験を書いたことがあります。
その場所では、観察の結果、大きな車は停止線の5メートルくらいの手前で待機していることが多いようです。その場所は特殊な場所で、基本ルールには該当せず、応用的な運転方法といえるでしょう。信号待ちで、停止線の5メートルも手前で停まるというのはたしかに普通ではありませんね。事情をしらないと追い越してしまいそうです。

停止線のところで停まらないと絶対にダメなところ、ということで、先日の静岡県のペーパードライバーコースで教えていただいたことがあります。
それは、「感応式信号機」のある交差点ですね。停止線のすぐ手前に車が停止すると、道路の上のほうに設置されているビデオカメラのような機械が感知して、その車が通れるように信号機を青にする仕組みだとのことでした。
ところが、停止線よりもかなり手前で停止した場合、センサーが車の存在を感知しないので、信号はいつまでたっても青にならないということです。先頭車がそういうことをしていると、後に何台ならんでもいつまでたっても信号が変わらないということなんでしょうね。感応式信号機というのは、東京の自動車学校の教習では遭遇したことがなかったし、自宅近隣にはないと思いますので、これも大きな収穫でした。
しかも、感応式にも、ひとつの道路だけにセンサーがついていて、そこに車が来ると青になるというもの(たぶんその道路を通る車の数が少ない場合)や、交差する複数の道路にセンサーがついていて、それらの相互の状況によって適切に変化するというようなものもあるようです。感応式と書いてある信号に限らず、その表示がなくても感応式の場合があるようです。

蛇足ですが、停止線のところで停止するためには、運転席から見て、ドアミラーの下の線と道路の停止線を合わせるとちょうど車の前端が停止線の位置に揃うというのを最初の学校で習いました。だから、最初、所内などではそのようにして合わせていました。
その後は、レンタカーを借りたときの狭い道路の体験などもあり、停止線よりも前に出るのはだめだろうけど出なければ適当なところでよかろうと勝手に思って路上を運転していました。これは、B型の特徴で、このいい加減さはA型の人がいらいらするとかいうことです。
そして、ディーラーの車に試乗したとき信号待ちで、停止線手前で適当に停止していると営業マンの方に「もう少し前ですね」などと言われたので、車の位置を直したことがありました。次に、A型の娘は停止線ぴったりに止めていて、ディーラーの人に褒められていました。まあ、母親のしでかしたことを先に見ていて自分は同じ間違いをしなかったってことでしょうけどね。

それで、静岡県の教習のときに、感応式信号の説明のところで、「ドアミラーの目印で停止線に合わせる方法がありましたね」などと先生に言ってみたら、その方法は使わないとのことでした。前方を見て停止線が見えなくなった後は勘で前に進んで適切な位置で止めるようにするとのことでした。これは、教習所の先生のブログの内容と同じです。
たしかに、いちいちドアミラーを目印にしてそこに視線を持って行って停止するのはいくら正確な位置に停まれるとはいってもおかしいだろうし、やっぱり基本前を見て運転するもんでしょうね。安全のために視線を配ること以外に、位置合わせだけのためのよけいな視線の移動はやめたほうがいいということのようです。

停止線での停まり方、きちんとしなくちゃなと思います。

カッコ悪い自分

2009-09-06 17:31:58 | 日記
そういえば、「恥ずかしい」じゃなくて「カッコわるい」自分というのが、テーマだったかな。同じようなもんですけどね。

そこで、思い出したんですが、先日、マックで仲間とお昼ご飯を食べました。その後、そのまま外出しなくてはいけなかったので、いつもの昼休みのように、残った飲み物やポテトを会社に持ち帰るということができないため、セットを頼むのはやめようと思いました。
セットは、飲みものもフライドポテトもMサイズのがついていて大きいんですね。いつもはその飲み物を夕方までかかって仕事をしながら飲んでいます。ポテトの残りは仕事中には食べられないので、カバンに入れて家まで持ち帰り、夕方家で食べるというのが通例です。
そこで、その日はフィレオフィッシュと飲み物Sを注文し、ちょっとこれでは足りないかなと思って、ポテトのSを注文したところ、金額が600円でした。
あれっ、ずいぶん高いんだな、と思い、同じ組み合わせでサイズの大きいセットのほうが安いのか・・・とは思いましたが、そこで変更しても、結局安くはなったところで、大量の飲み物とポテトは捨てていかなくちゃならないわけです。だから、変更しませんでした。

席につくとみんなはセットを頼んでいました。聞くところによると、私と同じ組みあわせのセットは390円とかいうことです。何かクーポンでも使ったのかな?賢い人ですね。
量の少ないものを頼んで値段が高いなんてほんとうにバカみたいですね。そんなに高いのなら、やっぱり得なセットを頼んで捨てていくほうがよかったな、という話になりました。
ものを粗末にするのはいやですが、だからといって余計なお金を払うのはもっといやだなと思います。せめて同じ金額にならないんでしょうかね。

時間もなかったので、やはり飲みきれず食べきれず捨てていく人もいましたが、やはりその方法が正解だったと言えるでしょう。

最初は、いつもの経験を踏まえて量の多すぎるセットを頼むのはやめたという判断は、自分としては賢い選択だと思ったのですが、結果としてはみんなから「この人バカじゃない?」と思われ、自分でも「自分はバカだな」と思う結末となりました。

しかし、いつまでも、「損した~」と思っているのももっとカッコ悪いので忘れることにしました。
今度からは安いセットを頼んで捨てることにします。

恥ずかしいオバサンの役割

2009-09-06 11:04:13 | 日記
ブログのネタで、「はずかしい自分」とかいうのがあったかな?なんだかわからなくなっちゃいましたが、そこで、思い出したことがあります。

先日、会社の行事で立食パーティーがあり、バイキング(ブッフェというべきか)形式でご馳走を食べる場面がありました。
そのパーティーには、仕事関係や取引先の偉い方々も招待していて、失礼のないような振る舞いが求められる場面でした。

そんな中、挨拶や乾杯なども終り、さて自由にお好きな料理を取ってお召し上がりください・・・ということになったのですが、だれも中央にあるバイキングの料理を取りに行く人がいないのです。
5分10分と時間がたつものの、きっと会社の人はお客様から取っていただこうと思っているのでしょうし、お客様はお客様で一番最初にというのは気が引けて、誰かみんなが取り始めたころを見計らって取りにいこうと考え、飲み物を飲みながらご歓談を続けておられるという雰囲気でした。
あれっ、全員がいつまでたっても食事に手をつけず、飲み物だけで歓談し続ける気なのかな?とおばさんはちょっとじれったく思えてきました。

と、会社のひとりの中年男性が、お皿を持って料理を載せ始めたので、それに続いて料理を取りに行こうと、周りのパートタイマーや女性社員と誘い合って料理のほうに出かけていきました。そして、私はその男性の次に並んで料理を取り始め、そのあとに女性が数人続きました。
その男性は、ひとつのお皿に山盛りピラフを乗せ、また山盛りヌードルを乗せるという具合で、そんなものが好きなのか?と不思議に思っていると、それは自分が食べるものではなく、お客様のために取っているのであって、それをお客様のいらっしゃるテーブルまで持っていくのだとのことでした。

ということは、自分が食べるために自分の好きなものを次々にお皿に乗せている人間というのは、私が第一号ということになります。

なんで重役やお客様や正社員よりも前に、パートのおばさんや新入社員が自分のための料理を取って食べているんだよ、って感じでもありますが、まあ、それに続いて次々とあらゆる人々が料理を取り始めたのであり、結局誰かが取らなきゃ始まらないだろ、と思ったわけです。

だから、実際食い意地のはった恥ずかしいおばさんだと思うけど、そういう恥ずかしい人が存在するおかげで、他の人が恥ずかしい思いをせず、物事が進むこともあるのだから、まあ、いいかなと思いました。

バイキングで、人のためにせっせと料理を運んでくる人がいますが、基本的に自分が食べたいものを自分で取って食べればいいのであり、人が何を食べたいのかもわからないのに、気をきかせて料理を運んであげる必要はないと思っています。しかし、そういう人もいたから料理を取り始めるきっかけができたということも事実で、それもひとつの効用ですね。

特に先に取って食べたことをとがめられることもなかったし、人がどう思ったか思わなかったかもわかりませんが、後になって思い返すと、やっぱりちょっと恥ずかしい存在だったかなと思いました。

運転免許を勧めたい人

2009-09-06 01:19:38 | 運転・車・道路の事
日本語教育のことを思い出したついでに、自分が運転免許を取ってみて、ぜひお勧めしたいと思ったのが、日本で生活している外国人の方の運転免許取得です。

というのは、以前、地域の日本語教室で、日本人の女性と結婚して日本で暮らしている男性の方に日本語を教えたことがあるのですが、その人は結構きつい肉体労働をされていて、妻子を養っているとのことでした。
もともと仕事で日本に来ていたわけではなく、奥さんが外国に滞在していたときに知り合って、結婚に至ったようです。そして、その人の母国よりも日本のほうが経済水準が高いということで、日本で暮らしていくことになったようです。
しかし、異国の地に来て、日常会話には不便がなくなったものの、なかなか日本人と同じような仕事につくことはできず、日本人と同程度の収入を得るためには、かなり危険な(身の安全に注意を要する工事現場などの)リスクのある仕事をしなければならないとのことでした。その仕事も年をとるごとにだんだんきつくなるので、いつまで続けられるか不安だと言っていました。

その時に、運転免許があるかどうか聞くと、ないということでした。母国でも持っていなかったし、現在、工事現場などで働いているものの、必ず運転できる人と一緒に車に乗って移動するとのことです。
それはきっと、運転免許があったほうが人と一緒でなくとも移動できるし、物を運んだりできて仕事の範囲も広がるので、運転ができたらいいのではと言ってみると、免許を取るのにはお金がかかるし、もう30代で年だし、日本語が難しいので、学科試験に受かるはずがないと言っていました。
そのときは私も免許を持っていないときで、どのような学科試験かも知らなかったので、そうですかということで終わっていました。

でも、今考えてみると、その人は漢字圏の人ではなかったので確かに問題を読んで理解するのは難しいかもしれませんが、自動車学校の教科書や検定試験用紙には振り仮名がちゃんとふってあるし、答えはマークシートだし、日本語での学科試験が解けないとあきらめるのは早すぎると思うのです。

このような場合、外国人が自動車学校で学科の授業を受けて、日本語の意味がわからなかったところがあったら、日本語ボランティアが補習し、一緒に練習問題を解くなどして勉強すれば絶対に大丈夫だと思います。

そうすれば、普通免許のみならず、将来的には大型や特殊自動車の免許も取れるようになる可能性も開け、人にできないような仕事もできるようになるかもしれません。
断然、運転免許取得をお勧めしたいです。