ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/03/11 四十三万アクセスの御礼+3.11から1周年に黙祷+3・4月の観劇などの予定

2012-03-11 17:34:14 | 観劇

本日、43万アクセスを超したようです。gooブログでシンプルなテンプレートでアクセスカウンターがついているものがなく、sinobiツールからいただいたカウンターを埋め込んで使っている。gooの編集画面から確認できるアクセス数とどうもずれがあるような気がするが、まぁ、あまり気にしないでアクセスカウンターの数字できりのいいタイミングで定期的に皆様のご訪問に感謝するようにさせていただきます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m

そして今日は昨年の3/11に起きた東日本大震災から1周年のメモリアルデー。東京の日比谷公園の「ピースオンアース」にも出かけたかったが、連日の遠出の無理は自粛しないと週明けの仕事に響きそう。悩んでいたらmixiの情報で、女子高の同窓のHAOWちゃんが浦和PARCO前で「うらわTHEストリート」というメモリアルチャリティイベントで歌うことが判明。「それぞれがそれぞれの場所、方法で想いを尽くす日になるといいな」という彼女のメッセージに共感して急遽、彼女たち(朝霧裕・misaki・HAOW)の出番の13:50~15:00のライブを聞いてくることにした。
HAOW'S STATIONの「3.11メモリアルは浦和パルコ前で」の記事はこちら

HAOWちゃんが全体のMCという感じで、アップテンポの「さらば原発」の歌から始まった。現役音大生のmisakiちゃん、朝霧裕さん=だっこちゃん、HAOWちゃんという世代の違う3人のデュオの歌声も素晴らしい。3人が歌う「ふるさと」を一緒に歌っただけで涙がにじんできた。
車椅子のだっこちゃんは大勢のヘルパーさんの協力で一人暮らしをして10年という。3.11で多くの障害者が津波から逃げられずに亡くなったこと、自分は多くの人の力で生かされていることを痛感し、生きる時間を精いっぱい自分らしく生きていく気持を強くされたというトークに胸を打たれた。「桜の国のこどもたち」「名前で呼んで」の2曲もしみじみ聞かせてもらった。
14:46からの黙祷では、「3.11で亡くなった多くの方々の犠牲を無駄にしないよう日本をつくりかえるため、私がやれることを生きている限りは続けることを誓い、それを見守って欲しい」と念じた。またまた涙がにじむ。

HAOWちゃんの鎮魂歌2曲にまたしみじみし、最後の「上を向いて歩こう」をみんなで歌って中締めを期に退出。絆Treeの模造紙に企画者への感謝と頑張ろうメッセージを貼り付け、原発の是非を問う「国民投票」実現のための署名にも協力してきた。
ネット検索でYouTubeの「HAOW'S TV」もみつけたのでご紹介

さて、以下は3月の観劇などの予定。
9(金)国立大劇場:三月大歌舞伎「一谷嫩軍記」=普段滅多に上演されない場面を加えた通し上演版で久しぶりに團十郎主演の舞台を観た。
10(土)玲小姐さんの歴史散策=両国・深川散策企画→その1の記事をアップ済み!
18(日)新橋演舞場三月大歌舞伎昼の部
24(土)平成中村座三月大歌舞伎第一部=勘九郎襲名披露公演をここでもしっかり!
25(日)実家で屋根裏片付け業者さんと見積もり予定(合意したはずが、具体化したら母の抵抗が物凄かった→この日の見積もりはやるとようやく説得!(^^ゞ)
26(月)新橋演舞場三月大歌舞伎千穐楽夜の部

4月分も決まっている分をアップしておこう。
8(日)国立大劇場:四月大歌舞伎「通し狂言絵本合法衢」=さくら祭りの最終日!
15(日)平成中村座四月大歌舞伎第二部
21(土)さいたま芸術劇場:蜷川シェイクスピア「シンベリン」
22(日)新橋演舞場四月花形歌舞伎昼の部
25(水)新橋演舞場四月花形歌舞伎千穐楽夜の部
ご一緒する皆様、よろしくお願いしま~す(^O^)/

12/03/10 東京大空襲の日に回向院へ→両国・深川散策企画(1)

2012-03-10 23:58:48 | おでかけ、旅行

前回の玲小姐さんの散策企画の際に次回のリクエストで決定した両国の回向院詣で。ちょうど「東京大空襲」の3/10に重なったのは何かの縁だろう。
両国の回向院のホームページはこちら

お昼に集合したのは、玲小姐さん、女子高同窓の北西のキティさん、Aさんとブログのお仲間のさちぎくさん、けろちゃんさんという6人。まずは、両国のランチということで一人ちゃんこ鍋が食べられるお店「大江戸八百八町 花の舞 両国国技館前店」へ。店内に本物の土俵が築かれていたり、両国の名所にちなんだ内装になっているのが売り!その土俵脇の掘り炬燵席に通された。
そこで4人が頼んだのが冒頭の写真の鶏ちゃんこ定食なのだが、他のランチを頼んだ人とちゃんこ定食1人分は比較的早くきた(その鍋の向きも手前と奥が逆だったが)。ところが待てども待てどもあとの3人分が来ない。スタッフの人数も足りていないようで、何度せかしても来ない。

テーブルに据え付けられたご意見承りのハガキで今回の対応について幹事の玲小姐さんが代表して意見を述べることになった頃、ようやく残り3人分が到着。ちゃんこ自体はまぁ味もよく、最後に雑炊にして玉子でとじてお腹もいっぱいになったが、店を出る前にトイレに行く時に大きな個室の昼の宴会のあとの様子が眼に入った。団体さんが入っていて飛び込みの客は後回しになっていたということらしい。しかし出たらもう午後2時、待たされ過ぎだ!!

帰宅してからネット検索し、「東京別視点ガイド」さんの記事を見つけ、同じ鶏ちゃんこ定食を食べたという写真で気がついた。
「・・・私たちの鍋には豆腐が入ってなかったよ・・・」
それもハガキに書いてもらおうかな。

明暦の大火の犠牲者を弔うためにつくられた万人塚から始まった回向院では、その後のいろいろな天災、空襲の犠牲者も含めて慰霊碑が並んでいた。境内での勧進相撲興行が両国国技館までつながっているので、相撲協会によって建てられた関係者の慰霊碑「力塚」の文字が力強かった。鼠小僧や竹本義太夫の墓も有名だが、初代中村勘三郎の墓もあり、「猿若江戸の初櫓」の猿若の墓かとちょっと感無量・・・。


続けて吉良邸跡の本所松坂町公園へ。元の邸の井戸を中心に地元有志が土地を買い取って東京市に寄付したのだという。元の86分の1の広さの公園のなまこ壁の内側にはいろいろな掲示パネルがある。御国許の愛知県の吉良町では名君だったとのことで、高家吉良家菩提寺の華蔵寺にある吉良上野介義央の像の複製像が吉良町の協力でつくられたらしい。小林平八郎や清水一角ら吉良家の家臣二十士の碑もあるが、赤穂浪士が討ち入りした際に公儀に届け出た書状の写しと楷書体への書き換えもあり、日本史専攻だった玲小姐さんが大方読みくだしてくれた。感謝!
さちぎくさんがみつけた真向いの「大川屋菓子店」で、吉良まんじゅうなどの和菓子をお土産でお買い上げタイムに!私は鬼平団子も買った(笑)

両国小学校の入り口近くに芥川龍之介の文学碑と日露戦争の軍艦の碇を、勝海舟生誕の地の碑を両国公園で見つけ、日本の近代にも思いを馳せた。
しかし、その碑の裏手にあった宣伝のパネルに笑わせられた。



その後、地下鉄大江戸線の森下駅から門前仲町駅まで移動!

(3/11リクエストにお応えして写真を追加します!)
朝ごはんの後に昨日のお土産のお菓子をいただいた。吉良まんじゅうの下が鬼平団子。黒ごまの方は普通のこしあんで緑色はお茶か青のりか?青のりで中は白のこしあんだった。娘はこの青のりに感激していた(「青のりなのに甘いっ!」って)。吉良まんじゅうの方はきな粉あんでこれも美味で満足、満足!
さちぎくさんによると大川屋さんの包み紙に印字されていたのは清元の「隅田川」の詞章とのことです。


(3/19追記)
私は幕末ものが好きというわけではないが、最近の気楽な読書には時代小説がラクチン。子母澤 寛作品にも50円で手に入る古本コーナーに中公文庫の『遺臣伝』があったので、GETしておいた。今日読み終わったのだが、勝海舟生誕の地の碑に出てきた父方の従兄弟の男谷精一郎が主人公榊原鍵吉の剣術の師として出てきていたので、時期的にピタッときたことに感心しながら読み進めていた。明治になってから回向院で剣術大会をやってみせて相撲の興行より人が入ったが長く続けずにやめてしまったというくだりでは、回向院にあった碑も思い出したりした。
散策と読書が脳内でリンクしてきたりすると、楽しい気分を満喫できるのが嬉しい。

12/03/09 東日本大震災1年で職場でシェイクアウト訓練+ミニホイッスルを常備

2012-03-09 23:59:56 | 住まい・地域を考える

東日本大震災から1年がたとうとしている。首都圏直下型地震が近づいているということだが、東京都では帰宅難民を生み出さないために、職場で数日をしのげるように備蓄を義務付ける条例が近くできるらしい。
そういう動きを受けて、我が職場でも事務所に泊りこめるようにする備品や食品の調達がすすんでいる。しかしながらどこでも同様に動いているらしく、注文殺到状態のようで、すぐに届かない物も多いようだ。

JR四ツ谷駅前の近くといっても線路を挟んで区の境になっており、我が職場は千代田区側にある。千代田区ではエリアをいくつかに分け、そのエリアごとに事業者を防災活動の協議会に組織しており、我が職場のエリアの会長はセブン&アイさんだそうな。
3/9(金)午後1時から、「千代田区一斉防災訓練」としてシェイクアウト訓練が実施された。大きな地震が起きた時、職場の机の下に入ってとりあえず身を守る安全行動をとる訓練だ。
シェイクアウト訓練のホームページはこちら

我が職場からも協議会にオブザーバー参加させてもらっていて、そこからの情報で事前の会議で資料が配られ、当日を迎えた。
安全行動の1-2-3を職場のリーダーの掛け声のもとにやってみるという訓練だが、①ドロップ、②カバー、③ホールド・オンという掛け声はいかにも発祥のアメリカからの直輸入すぎる気がする。もう少しちゃんと日本語にかみくだいた掛け声をあみだすべきではないかと思う。

といいつつ、午前中の来客が長引いて私自身は訓練に参加はできなかった。まぁ、気持ちだけは参加したということで・・・・・・。

さて、3.11の前だけにTVでも特別番組が続く。その中に、取材陣が防災ということで何かをしているかを道行く人にインタビューする企画があった。
ある男性が「がれきに埋まっていて助けて欲しくても声が出ない時用にこれを持ち歩いてます」と携帯電話につけたホイッスルを見せていた。

確か私もアンケートに回答したの謝礼か何かでもらったミニホイッスルを持っていたはずだ!
帰宅してあちこち探したら出てきた。けれど携帯につけると携帯に傷がつきそうなので、バッグに携帯を入れているポケットの隣の小さいファスナー付きのポケットに入れておくことにした。さらにそれだけだと取り出しにくいので、何かストラップのようなものをと探したら、元はストラップだったお守りで金具がとれてしまっていたのを捨てられずにとっておいたものを発見!
なんとか組み合わせてみたのが冒頭の写真。
お守りとのマッチングもけっこういいんじゃないかと自分では気に入っている。

12/03/08 浅草通い、続く!「ブラタモリ」のうんちくで楽しさ倍増)^o^(

2012-03-08 22:38:14 | おでかけ、旅行

昨年11月から始まった平成中村座のロングラン公演で浅草通いが続いている。今月も勘九郎の襲名披露公演を観に行く予定。
冒頭の写真は、昨年の12/17に東京メトロ銀座線の浅草駅出入り口近くの吾妻橋のたもとから東京スカイツリーを撮影したもの。右隣にはアサヒビールのビルが2棟、青空をバックにきれいに並んでいる。泡があふれそうなビールジョッキを模したビルがアサヒビールタワー、その右隣は炎のオブジェをいただいたスーパードライホールとのこと。私はビルとしては面白いデザインだとは思うが、ビールのスーパードライ自体は残念ながらあまり美味しいと思わない(^^ゞ
wikipediaの「スーパードライホール」の項はこちら
スカイツリーまで並ぶとかなりの絶景ポイントのようで、多くの方がここから撮影しているのをみかけた。

さて、下の赤い建物の写真は上記の銀座線の浅草駅の出入り口を同じ日に撮影したもの。昨年見たNHKの「ブラタモリ」の地下鉄特集で、日本で最古の地下鉄の出入り口だと紹介されていた。近くにある浅草寺の雷門のイメージに合わせたデザインになっているという。ついでに、道路をはさんで建っている交番も似たデザインになっていた。


「ブラタモリ」では日本最古の地下鉄路線の銀座線についてのうんちくが実に面白かった。当時は夜中に道路の通行を止めて、人間が手掘りで工事をしたという。また、構内の柱は今は鉄筋コンクリートだが、当時は鉄骨だったとのこと。柱の間隔も狭くなっていて、相当頑丈な構造らしい。そういう話を聞いた後で銀座線上野駅で乗り込む前に撮影したのが以下の写真(今年の1/8に撮影)。


散策というのもきちんと情報を仕入れてからだと面白さが倍増だ。今月も10日に両国散策の予定があり、楽しみにしているところ!

12/03/05 「菜っ葉責め」?→ふきのとうを初めて料理(^^ゞ

2012-03-06 21:03:27 | つれづれなるままに

3/3とはいえ雛祭りなどを頓着する余裕もなく、実家の母のもとへ行く。娘は父親とデートだと出かけたのでちょうどよい。
母の地元の友人の友人がすっかり母を気に入って、自分の家の畑でとれた野菜をせっせと届けてくれるようになったのだが、母はとうとうギブアップ。
「菜っ葉責めにあってるの」とこぼす。野菜嫌いでちょっと前まで「私は青虫じゃない」と豪語していた。高脂血症や腸のポリープを繰り返していることもあり、娘から「野菜を食べなきゃダメ」の大合唱に囲まれて、簡単な炒め物やスーパーの惣菜を少しずつ食べているのが現状。
いかにも自家製の小さい葉物野菜を頻繁に届けられ、近所に配ったり、私が行くと持たせてくれたりしているのがだんだん苦痛になってきての「菜っ葉責め」宣言!笑ってしまったよ。(ついに週明けには本音を打ち明けてお断りしたらしい。)

その3/3に持たされてきたのは、野菜と雛祭りだからと五目ちらし寿司を1パック。硬めに炊いたご飯も食べないから私と娘の御馳走になる(^^ゞ
野菜は4種類。
①小さい小松菜→厚揚げと煮物にした。
②小さい青梗菜→豚肉、ニンジン、エリンギと炒めた。
③小さいカブ→油揚げと味噌汁にしたのと、浅漬けにした。
青梗菜の袋に一緒に入っていたふきのとう3個→これが冒頭の写真。「クック・パッド」からふきのとうのおひたしのレシピを見て、作ってみた。ふきのとうを自分で料理して食べるのは生まれて初めてだったし、きっともうやらないだろうから最後にもなるだろう(笑)
おひたしで食べるのも初めてだったが、苦くてけっこう美味しい。春の味覚なんだろうなぁと思う。よい経験だったけれど、次は外で食べればいいや(笑)(笑)
 

12/02/26 さいたまネクスト・シアター第3回公演「2012 ハムレット」に予想外の号泣!

2012-03-04 22:49:43 | 観劇

彩の国さいたま芸術劇場の高齢者演劇集団「さいたまゴールド・シアター」と若手演劇集団「さいたまネクスト・シアター」のいずれも刺激的な公演が続き、劇場から自転車で10分というところに住んでいる私は毎回観るようになっている。
蜷川幸雄のドキュメンタリー番組=NHK「若者よ 心をぶつけろ~演出家・蜷川幸雄 -格闘の記録~」の感想はこちら

そのネクスト・シアター第3回公演は『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』。蜷川幸雄が相当思い入れている「こまどり姉妹」の特別出演をからませての舞台ということだが、私にはこまどり姉妹が実際に歌っているところをTV等で見た記憶がない(双子のデュオではザ・ピーナッツは知っているのだが、微妙に私のTV歴とずれているらしい)。

玲小姐さんが朝日新聞の「蜷川幸雄 人生教室」の連載の切り抜きをくれたのを事前に読むくらいで観劇。それでもチラシ(冒頭の写真)にもあるような和服で演歌を歌う双子の姉妹は、どんな風に舞台とからむのかという感じで観た。

大劇場の舞台上に特設されるインサイドシアターは、三方にパイプ椅子を並べる客席を階段状に設け、中央のすり鉢の底が舞台となる。さらに今回はその舞台は分厚いアクリル板で仕切られて階下が見える二重構造になっていた。
自由席制の公演で、開演ぎりぎりに入ったらやはり正面の席は満杯で、左脇の最上の席に陣取る。階下には、開演を待つネクスト・シアターの若い役者たちが打合せに使いそうな机と椅子が並ぶ中、私服から着替えたり談笑している。その中を黒いシャツとズボンのいつもの姿の蜷川幸雄が若者たちに声かけをしながら通るのも見える。

階下の全てがはけて開幕。階下との出入り口は4箇所。必要な時に開閉・ロックが繰り返される演出。必要な場所に階段が滑ってきて設置される。そこから衛兵の二人が躍り出てきて、城壁の上になり、先の王の幽霊が出てくる。そうくるか!

特設の小劇場であり、階下の声もしっかり聞こえるので支障なし。別れを惜しむ人物どうしが階上と階下でアクリル板をはさんで指と指を合わせる場面もある。劇場スタッフに「今回は俯瞰してみる方がよいと思いますので、上の方の席もいいですよ」と声をかけられたのも納得。
扇田昭彦の『蜷川幸雄の劇世界』を読みこんだ後の観劇なので、蜷川演出における多層構造の装置のもつ役割なども噛みしめながら観る。

若い役者たちの演技は熱い。ハムレット(川口覚)とオフィーリア(深谷美歩)は若く瑞々しく、クローディアス(松田慎也)とガートルード(土井睦月子)のような役まで嘘くさくない大人の男と女としての存在を感じられるほどで観ていて感心至極。
デンマーク王宮にいる貴族や家来たち大勢の場面は、赤い衣装の上に赤い薄布を被って個性を消して並ぶ。デンマークの国旗の「ダンネブロ」の赤のイメージだろうか(「Dannebrog」=デンマークの力・赤い布の意味)。階下に居並んでも赤が映える。一方、フォーティンブラス率いるノルウェー軍は青。これも国旗由来の色だろうと推測(ノルウェーの国旗の説明を読むとデンマークとの関係も見えてくる)。

ハムレットの独白(これで今回の翻訳は河合祥一郎と確認)に続き、祈祷中のオフィーリアと出会い、気持を確かめるオフィーリアを振り切る場面。ハムレットは単なる狂気のふりをしているのではなく、愛する母の堕落に直面して女への愛を抱き続けることへの望みを失い、父のための復讐をやり遂げられるのかという不安に苛まれている。オフィーリアは王子の愛を信じて膨らませていた娘らしい希望が粉々になってしまった絶望に打ちひしがれている。
そこに突然、舞台奥の黒いカーテンが開いてスポットが当たり、振袖姿のこまどり姉妹が登場し、「幸せになりたい」を熱唱し、二人のいる舞台中央にやってくる。想定外の場面の登場に驚き、双眼鏡でしっかりお顔を確認し、相応のお年なのに遠目で見ると綺麗なのは老女形と同じだなぁと脱線しながら見つつ、歌詞をよくよく聞いていて・・・・・・閃いた。
「そうか、この二人は幸せになりたかったのになれなかった二人なんだ!」
こまどり姉妹の圧倒的な存在感に負けずに主役二人は舞台にいなければならないプレッシャーに負けてはいなかったし、精一杯生きながらも幸せになることを運命が赦さなかった悲劇が浮かび上がった。

こまどり姉妹が登場したのはここだけではない。階下に登場して階上の人物を心配そうに見つめたし、最後に登場したことに圧倒された。

蜷川版「ハムレット」は、古くは渡辺謙主演版をTVで、市村正親主演版をさいたま芸術劇場で、藤原竜也主演版を日生劇場で観ている。
市村正親主演版で登場した成宮寛貴フォーティンブラスは鎖ジャラジャラのパンク姿。バイクに乗って登場し、なんと最後は自動小銃を撃ち放ち、デンマーク王宮にいた全員を殺してしまった。その時の私は怒り心頭モードで、「戦争の砲弾を音を流して戦争の惨さを強調していたとはいえ、ハムレットが自分がしたことの真実を後世に伝えるように遺言したホレイショーまで殺す演出はひど過ぎる」とアンケート用紙に書いたものだ。

今回の中西晶フォーティンブラスも鎖ジャラジャラ姿だったので、嫌な予感がしていた。そして、最後の場面・・・・・・。部下に命じてデンマーク王宮の人々を階下で射殺し、階上に上がってきて、ホレイショーを自ら撃ち殺した。やはりBGMには砲弾の落ちてくる音、炸裂する音が流れてきた。さらにここでこまどり姉妹が登場したことに電撃的なショックが走った。

日本を占領したアメリカ軍のしたことを想起した。そうか、権力を奪ったものは事実を隠蔽することがあるんだ!何も正確な歴史を残す必要はないということだ。
フォーティンブラスは、デンマーク王室にスキャンダルが起こり、そこからの内紛で王族が全て死に絶えた後を王位継承権を主張できる自分が通りかかり、タナボタ的にデンマークの領土を我が物にしたということを周知する必要がないと即座に判断し、生き証人は全て口封じしたという演出だろう。

Wikipediaの「こまどり姉妹」の項はこちら
日本の敗戦後、食うや食わずになった日本の庶民たち、生きるために必死で歌い、逞しく生きてきた双子の老姉妹の存在感のイメージがここで重なった。そして、前回の舞台ではそこまで読み取れず、単に怒りを爆発させてしまった自分が恥ずかしくなった。
蜷川幸雄の演出の奥深さを自分のイメージも深く広くしながら味わって観ることができるようになったこと、そういう舞台を観ることができたことが幸せなんだろうなぁと感極まってきた。
滂沱の涙とともに、嗚咽があふれて恥ずかしかったが抑えることができなかった・・・・・・。

アンケートを書いても蜷川さんは読まないというのを何かで読み、アンケートを書かなくなっていた私だが、今回はさすがに最後の演出がわかるようになったことを一言書いてきた。
蜷川版の「ハムレット」では最高の舞台になったのではないかと思う。
ゴールド・シアターとネクスト・シアターの公演は、大きな劇場での商業公演と違った大胆な実験的で刺激的な舞台が続いている。地元でもあり、しっかり観ていく決意を固めている。
日数がたってしまったが、頑張ってブログにもアップした次第。

2009年10月公開の映画「こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の公式サイトはこちら
上記の映画は「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のパロディ的なタイトルのようだが、機会があれば是非観たいと思っている。

12/03/01 この冬は6年ぶりの寒冬だそうな+近況報告

2012-03-01 23:59:27 | つれづれなるままに

昨日は未明より雪となり、この冬で降り積もったのは2回目となった。前回(1月末)は都内でも小さい結晶の雪だったし、寒波が強かったせいで凍りついた雪がなかなか溶けず、陽のあたらない道などは滑って危なかった。
今回は、最初からぼたん雪だったし、寒さも緩んでいたせいで午後に雪がやんで夕方には道の雪はあらかた溶けてしまっていた。さすがに「春の雪」という感じがした。

欠員状態が長く続いていた私の職場に2/21から待ち兼ねた方が復帰し、OJTをし始めたので急に忙しくなった。
さらに2/24から娘の大学の「入学前準備講座」の「英語集中講座」が始まって通い出したので、母娘ともどもいつもよりは早起きをする生活が続き、先週末は2日とも観劇を入れてしまっていたため、さすがにグロッキー状態(^^ゞ

集中講座は英会話に慣れるというレベルだったようで、小学校6年間を英会話のクラス(遊び感覚の教室だが)に通わせていたため、けっこう物怖じせずに参加できて楽しかったようだ。
通学用の服の買い物をしたいということで携帯で呼び出され、さいたま新都心で待ち合わせ、試着済みの服に可否を私が判断。ダイエットを前提とする服は却下し、当面ちゃんと着られる服に絞り込んだ(笑)

帰宅したら、英語検定準2級の二次試験の不合格通知が届いていた。ちんぷんかんぷんだったらしいので、合格していているはずがない。まぁ、少しはやる気になったようなのでよしとしよう。

冒頭の写真は、1/28(土)に玲小姐さんの歴史散策→埼玉会館で狂言観劇企画をした際、立ち寄った「浦和 玉蔵院」の山門を携帯で撮影したもの。門の間から堂宇とその上に沈みかけの太陽の光がいい感じで撮れた。1月末に降った雪が溶けきれずに屋根の上など残っているのも写っている。雪がらみでせっかくなので1枚アップしておく。
この日の散策についても書きたいのだが、なかなか余裕がない。機会があれば頑張りたい。
(追記)
玉蔵院」のリンク先をこちらに変更します。同じ真言宗でも途中で属する派が変わったという説明に誤字があってわかりにくいためです。そして散策の中で、玉蔵院の住職の息子さんが母校の先生だったっけという話題で盛り上がったことも付け加えておきます。