ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

08/02/11 国立劇場文楽第一部「冥途の飛脚」

2008-02-27 23:59:09 | 観劇

改作の方の「恋飛脚大和往来」は観ているが、原作の方の「冥途の飛脚」を観るのは今回が初めて。2/11に観てすぐの速報の記事はこちら
【冥途の飛脚】近松門左衛門=作
主な人形役割と浄瑠璃は以下の通り。
亀屋忠兵衛=吉田玉女 遊女梅川=桐竹紋寿
丹波屋八右衛門=吉田玉輝 手代伊兵衛=吉田勘緑
母妙閑=桐竹亀次 花車=吉田清五郎
遊女千代歳=吉田一輔 遊女鳴渡瀬=桐竹紋臣
<淡路町の段>
 口 竹本津国大夫 竹澤団吾
 奥 豊竹英大夫 鶴澤清友
封印切の前段は初めてだったが、忠兵衛が養子になっている亀屋の店の様子が活写され、当時の飛脚屋というものがイメージできる。しっかり者の手代伊兵衛が国侍や八右衛門が金の催促にやってくるのをテキパキと捌く。人形の手が算盤をはじく動きも面白い。母妙閑は頭巾を被った老婆姿。後家の拵えなのだろうか。忠兵衛が花紙をたくさん使うようになったのは身体が悪いのではと心配する妙閑。店の者たちはしのび笑う。留守中の店の様子を下女まんに聞きだす時の色仕掛けの場面といい、文楽ならではの猥雑さもニヤッと笑えていい。ここで気分をほぐしておくことで、以降どんどん主役二人が追い込まれていく悲劇性が高まる。うまい作りだ。
文楽の場面の移動は背景の絵を動かすのが面白く、堂島に向かうはずだった忠兵衛が我知らず新町までやってきてしまう場面もなぁるほどと納得。
<封印切の段>切 竹本綱大夫 鶴澤清二郎
越後屋の女主人には名前がなく、こういう店の女将をさす花車という役柄名になっている。ここから花車方という用語もできたと何かに書いてあった。その人柄がいいので遊女たちの息抜きのたまり場になっていて遊んでいる様子も描かれている。忠兵衛の身請けの手付金の期限が切れて気をもむ梅川を慰めようと禿が三味線で浄瑠璃を語るところ、三味線手がまた可愛いのだが、その文句が梅川の気持ちと重なるというのもいい作り。
そこに八右衛門がやってきる。忠兵衛が身をもちくずしているのでいっそ梅川は田舎客に請出されてもらいたいとまで言う。隠れて聞いていた忠兵衛が面目をつぶされたと激昂して懐に金を持っていると言う。八右衛門は忠兵衛が花街で相手にされないように悪口を言ったのだし、その金も届けるための金だろうと諌める。それでも自分の金だと言い張って封印を切る忠兵衛。人形遣いが手袋なしで懐手にして切った封印から小判を押し出してるのをチェック(細かいところが気になってる(^^ゞ)。金を八右衛門に投げつけ、投げ返しというところも下に潜った介錯がお金のまとまりを行ったりきたりさせるのをチェック!
二人の諍いを留める梅川のクドキ。それでも自分の金と言い張って身請けの始末を頼み、二人きりになると初めて大罪を犯したことを打ち明ける。残ったお金で生きられるだけ二人でいようと死出の道行の始まり。
秋元松代脚本・蜷川演出の「新・近松心中物語」を観た時も「冥途の飛脚」を踏まえているので八右衛門が善人になっているという解説を読んでいたが、納得の八右衛門だ。文楽の方がもっとガサツだが気のいい男という感じがした。もちろん訴人に走ったりしない。

<道行相合かご>梅川=竹本三輪大夫 忠兵衛=竹本文字久大夫
豊竹新大夫 豊竹芳穂大夫 豊竹呂茂大夫
竹澤団七 竹澤団吾 鶴澤清馗 鶴澤清丈 鶴澤清公
忠兵衛の故郷新口村へ籠で急ぐ二人。村の近くで籠を帰し、歩いていく中で嘆き合う二人。母親に一目会いたかったという梅川、父親に梅川を嫁と紹介したかったと。道を急ぐところで幕。道行は大夫も三味線も大勢で賑やかなのがいい。

役者の見せ場の入れ事もなく、物語にぐいぐいと引き込む浄瑠璃の面白さを堪能する。改作では八右衛門を敵役にして単純化しているところだが、近松の原作は登場人物は全て善い人なのに人間どうしの複雑な気持ちがからまって悲劇にすすんでしまうという奥行きの深いドラマだ。ここは大夫の表現力が問われてしまうだろう。切場語りの綱大夫・清二郎父子の浄瑠璃が心に沁みた。

写真は公式サイトよりチラシの画像。
2/23第二部①「二人禿」「中将姫雪責」はこちら
2/23第二部②「壺坂観音霊験記」はこちら
2/23第三部「義経千本桜」はこちら


最新の画像もっと見る

コメントを投稿