ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/07/11 『文藝春秋』掲載の井上ひさしの「絶筆ノート」に遺された言葉から

2010-07-11 23:59:30 | 美術・本

井上ひさしさんが4/9に亡くなって、井上ひさし「絶筆ノート」の全文掲載が妻のユリさんの「ひさしさんが遺したことば」独占手記とともに月刊『文藝春秋』の7月号に載っていた。
気がつくのが遅くなり、8月号発行直前にスーパーの雑誌売り場のPOPで気がついてあわてて購入。
4~6月の新国立劇場での「東京裁判三部作」上演も3ヶ月通って3作とも観たが、残念ながら感想は未アップ状態。本当に素晴らしい連作でしっかりと感想を書きたいのだが、どう書こうかと考えて時間が過ぎてしまう。井上作品とがっぷり組んで書くための気力体力が足りなさ過ぎて、情けないなぁと思う。情けないとは思いつつ、駄目な自分にも付き合っていくしかない。そうして日々は過ぎてしまうが、後からの思い出しアップもあるのが拙ブログである。最近では映画「インビクタス」についての記事がいい例だ。書けるようになったら書くのでよろしくお願いしたいm(_ _)m

さて、今日の本題。昨年12月に井上ひさしが肺がんで闘病中であることを公表した後、『文藝春秋』編集部から「闘病記」の執筆依頼があり、はじめは逡巡していたが「3人に1人ががんで亡くなる時代に、自分の体験をことばにして伝えることこそ作家の仕事だ」と引き受けられたとのこと。それがかなわなくなって、昨年10月からご本人が病気についてノートに記録を始め、絶筆となったものを夫人が手記で補って公表されたのである。
そのノートの最後のページには、「東京裁判三部作」のチラシに掲載するコピーとして年末まで考えていたものが書かれていた。そこから最終的には「いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられることになるだろう。」と決められたという。
その部分の全文を引用してご紹介したい。

過去は泣きつづけている-
たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので。

過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる

いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられる

過去は訴えつづけている

東京裁判は、不都合なものはすべて被告人に押しつけて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式だった。

先行きがわからないときは過去をうんと勉強すれば未来は見えてくる

瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石

私も日本史で大学受験をしたのだが、出題範囲が戦前くらいまでなのをいいことに戦中戦後史を学んだのは大学で歴史教育研究のサークルに入ってからだった。
娘と今の社会を論じ合うときに、やはりそこをどう認識するかの違いで論争になる。娘は日本はアメリカに負けたのだから、いいようにされても仕方がないという。今の日米安保体制の評価がそこからまるで違ってしまう。

アメリカの占領政策だって、国際情勢の変化とそれによる本国の中枢の勢力変化で一変してしまったのだ。だから今の日本国憲法はアメリカの民主勢力と日本の民主勢力の接点がほんの一時期生まれて実った貴重な貴重なものなのだ。決して一方的に押し付けられたものではない。
映画「日本の青空」の感想の記事はこちら
私の仕事に関わる法律は、その時期から遅れてGHQの対日政策が変更された後にできたものだから、最初から欠陥だらけで長い間先輩たちが苦労したという歴史がある。
そういう歴史を仕事の上でも確認していっているので、井上ひさしの言葉が実に沁みてくる。

今日の参議院選挙の結果もそれなりであり、ねじれという状態も二院制で牽制がかかるということでとりたてて悪いことだとは思わない。しかしながら日本でもアメリカ型の二大政党制をめざして衆議院の選挙制度を変更し、それで政界が再編されたことがやはり元凶だったように思える。昔から参議院の一人区というのが嫌なしくみだと思っていたら、衆議院が中選挙区から小選挙区になり、マスコミなどによるムードづくりで極端に議席数のバランスが変わってしまう。そういう制度は、長い年月で庶民の代表の政党をつくってきた歴史のない国では危険極まりないと思う。

話をもとに戻す。同じ『文藝春秋』の7月号には、今の日本国憲法が戦後アメリカから押し付けられたという一学究の救国論が掲載されていた。井上ひさしの「絶筆ノート」と同じ号掲載というのは、編集部のバランス感覚によるものなのだろうか?思わず笑ってしまった。

映画「インビクタス」についての記事にも書いたが、社会というものはまっすぐによくなっていかないものだと認識できるようになった。だから、毎回の選挙で一喜一憂せずに、しっかりと見守りながら、やれることをやっていくしかないだろうと思えるようになった。
今日の昼間、たまたま妹2と一緒になって実家に行くことができ、選挙に行く母を車で連れていくことができたが、車中でそういう話になった。
「最近アンタがそういう悟ったようなことばかり言うようになったので心配だ」と母が言う。「死期が近づいた人が悟ったようなことを言うというけど、まだまだ私はそうじゃないから大丈夫だよ」と笑って答えておいた。


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2 コメント

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Unknown (hitomi)
2010-07-13 23:43:05
「東京裁判は、不都合なものはすべて被告人に押しつけて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式だった。」全くこの通りですね。過去から学ばない愚かさ、すぐ自民党に戻る!自民党のCMにあきれていたのに。
小選挙区制になり弱者の声は押しつぶされています。すごく心配です。
評判悪かったGOEMON,録画してみたら意外に今の時代にリンクしていて引き込まれて観ました。
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★hitomiさま (ぴかちゅう)
2010-07-14 00:14:50
>過去から学ばない愚かさ......歴史をきちんと学ばないというよりは、教育の中できちんと教えないですませようという政策判断なのだと思います。
ドイツなどの場合は、そういうことをしないと赦さないという侵略された側の国の縛りが効いているのだと思います。日本の場合は、ソ連や中国の共産化にアメリカが対抗していくために、そこをしないでいいということにしてしまった。もとより元の権力者勢力は曖昧にしたかったでしょうから利害が一致したんですね。
大体、戦前戦時のヨーロッパのレジスタンス勢力と日本の反戦勢力の強さが圧倒的に違います。戦後の日本の民主化がとめられた後、推進する勢力の力がやはり足りなかった!
アメリカ型の二大政党制って選択の幅がないです。今回は民主党の過半数をとらせないようにしようとしたかった人が多いと、小選挙区制ではなだれをうってもうもう一方が勝ってしまう。アメリカの大統領選挙のような気持ち悪さです。社会というものは、まっすぐにいい方向にすすんでいかないものだと最近は達観するようになってきています。職場の勉強会ブログでもきちんと歴史を学べる内容を拾っていって、多くの方が読んでいただけるようにしています。それが今、私のやれることだと思ってやってるのです。
>「GOEMON」って映画ですね。昨年は石川五右衛門ばやりでした。天下の権力者、秀吉の大阪城に忍び込んでお宝を奪うというあたりが痛快なんでしょう。ネット検索してみたら、橋之助も出てますねぇ。
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