新潮文庫の「人形の家」で予習中、面白くて帰宅途中で電車を乗り過ごした。
そして
観劇当日、しっかり泣いた。反芻して感想を書いていこう。
【人形の家】
作:作:
ヘンリック・イプセン 演出:デヴィッド・ルヴォー
英訳台本:フランク・マックギネス 翻訳:徐 賀世子
今回の主な配役は以下の通り。
宮沢りえ=ノラ・ヘルメル 堤真 一=トルヴァル・ヘルメル
神野三鈴=クリスティーネ・リンデ夫人
山崎 一=ニルス・クロクスタ 千葉哲也=ドクター・ランク
松浦佐知子=アンネ・マリーエ(乳母)
明星真由美=へレーネ(メイド)
コクーンではお馴染みになっている四方を客席が囲む舞台。私はいつもの舞台の奥側席での観劇。白い幕が半ば透ける中にヘルメル家の居間があり、開幕前から3人の子どもたちが声を上げてボール遊びをしている。
幕がサッと除かれると部屋の中央に黒い帽子と外套をつけたモデルのような女が立っている。宮沢りえのノラの最高に印象的な登場。舞台も廻り出すし、オルゴール人形のイメージでの開幕?!
動き出したノラは本当にイキイキしていた。夫に隠れてお菓子のマコロンは頬張るは、クリスマスを最高のものにしようと飾り付けやらプレゼントやらに張り切るやら。夫ヘルメルはノラに呼びかける、「ヒバリさん」「リスさん」「小鳥さん」。ノラは精一杯に夫の気に入るように振舞う。自分を愛してくれる夫に対して理想の妻として理想の母親としてありたいと一生懸命だ。
10年くらいぶりに幼馴染のクリスチーネが尋ねてきて、会わなかった間のお互いのことを話すうち、ノラが夫の転地療養のために夫に隠れて借金をしてやりくりをしながら返済をしてきたことが明らかになる。父親の死と夫の病気と長男の出産が同時期に重なり、お気楽な奥さんのように見えたノラだが、実は窮地を一生懸命乗り切ってきたことがわかったのだ。
弁護士である夫が銀行の頭取に就任したことで一気にその苦労も無くなるはずだったのだが、その銀行に夫の学友クロクスタがいたことからドラマが動き出す。
クロクスタは数年前の不正行為をもみ消したため、夫は銀行から追い出そうとしていた。クロクスタはノラに免職にならないように口利きを頼んで拒否されると、ノラの不正行為=偽署を指摘して圧力をかける。クロクスタはヘルメルが小心者だということを知っているのでこのネタの力を確信し、ノラは夫が妻を守るために名誉を捨てるだろうと信じている。この二人が抱くヘルメルの人物像のギャップ!どちらが本当なのか?
脊椎結核にかかっているランクは杖つきでいつも大儀そうだが、ヘルメル家に親しく出入りしている。ノラの明るさに救われているのだろう。クリスチーネに疑われると夫には嫌がられる話をしないようにするが、ランクには遠慮せずにいろいろ話せるのだと説明。夫との関係の微妙さも明らかになる。
クロクスタに次第に追い詰められていくノラ。クロクスタがしたことも偽署であり、それが犯罪行為になるとわかってうろたえるノラ。ノラは世の中のことを知らなさすぎた。夫の犠牲的行為から夫を救うために自殺という選択肢をとれるかどうかという話までするふたり。
ランクは病気の進行と結核菌が脊椎にカリエスを起こしたら入院し、ひとりで死んでいく覚悟をノラに告げる。さらに死ぬ前にノラに愛を告白する。ノラは口に出したことを責めるが夫とは違った一緒にいたい人だったと話す。ランクはその言葉をすぐには理解できないが......。
クロクスタが全てを記した手紙を持ってきて死の覚悟を固めたノラ。手紙は鍵付の郵便受けに入れられた。死へのカウントダウンが始まる。
一方、クロクスタとクリスチーネが不幸な別れとその後の辛い年月の末の再会だったこともわかる。家族のために自分を犠牲にしたクリスチーネが生き甲斐となる家族がいなくなった時、再び愛する男を支え支えられたいと申し出る。現実の荒波にもまれた男女の再生のドラマがここにある。
クリスマスパーティでカプリ娘に扮してタランテッラを踊ったノラ。夫はその姿に情欲の焔を燃やして迫るが、ランクの訪問が邪魔をする。
ランクにくるべき時がきたのだ。最後の楽しい夜を過ごした後で懐かしいヘルメル家に別れを告げるランク。その死出の覚悟を悟ったノラが想いをこめて「ゆっくりお休みなさい」と言い、同じ言葉をかけてもらう。“私が先に逝って待っているわ”という想いをこめた眼差しを感じて目頭が熱くなってしまった。この世でランクの想いに応えられなくても死後の世界では一緒にいようという意思表示。ランクはその想いに気づいたかどうかはわからないが。
そして待った奇蹟!その奇蹟は起きなかった!!手紙を読んだ夫は取り乱し妻を犯罪者呼ばわりしクロクスタのいいなりになるという。自分が死をかけてまで守ろうとした男の中の男はそこにいなかった。クロクスタの言う通りの小心者という実像がノラにも見えてしまった。幸福を得たクロクスタが借用書を返してくれた時、夫は妻を許すという......。
ノラは夫に初めて真剣に話し合うことを求める。自分が思い込んだ姿で夫を愛していたことに気づき、本当の姿を知った今は他人だと言い放ち、恥じる。きちんと自分と社会のことを知るためにこの家から出ていくことを夫に告げる。今のままでは子どもを育てる資格がなく、自分より優れた乳母に任せることを選ぶ。こうしてノラは翔んだ。
その力となったのは死を覚悟したことであり、ランクの死を前にした本当の愛情の言葉であり、苦労したクリスチーネの友情からの支えだったのだと思う。そしてその飛翔のための資質は元々ノラにあったと私は思う。ノラはいつでも一生懸命だ。自分が愛した父親や夫の期待に沿う様に一生懸命だったし、家庭もやりくりしながらも気持ちのいいものにするように一生懸命だった。そのテンションの高さが魅力であり、夫もランクも引きつけたのだろう。
しかしながら本当のことに気づいた時、ノラは一生懸命きちんと向かい合い、決断したのだ。生きるエネルギーの高い人間はこういう変化を遂げることもできるという励まされるドラマ!
一方のヘルメルは妻の愛を失ったことに呆然とする。その理由を聞き出すが、兄と妹のようにでも一緒に暮らしたいと言う。全て拒絶されても復縁の可能性を聞き出そうとする。「ふたりがすっかり変わったら」という奇蹟が起きたらとノラは言う。
観ている私が、果たしてその奇蹟は起きるのだろうか、難しいだろうなぁと思う中、ノラは私の側の通路を通って扉の向こうの眩しい光の中に消えていった。
全キャストが素晴らしく、ルヴォーが描き出したかった「人形の家」の人物像そのものになっていたと思える。特に宮沢りえのノラは華奢な身体の全身からエネルギーをほとばしらせている。人間的に未熟な時から一生懸命に生きる女の魅力がキラキラとあふれ出し、その力こそが大きな飛翔の原動力になっていることに説得力をもっていた。宮沢りえは映画でも舞台でもその大きな目だけの魅力ではなく、まさに細身の全身から振り絞るようなひたむきさで生きていると感じさせる、そういう女優だと思う。
映画「天守物語」で玉三郎に抜擢されるのもむべなるかな。映画「父と暮せば」の美津江もけなげでよかった。舞台の
「NODA・MAPロープ」のタマシイも
「ドラクル」のリリスも素晴らしかった。
今回のノラも宮沢りえを得て、19世紀末にイプセンの創り出したノラが21世紀のノラとして普遍的な人物像を結んだような気がする。ノラは実に眩しく魅力的な人間だった。
写真は今回公演のチラシ画像。