ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/02/24『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』+ぼたん雪!

2005-02-28 02:11:58 | 観劇
平将門は平安時代に藤原政権に関東の地で反乱を起こした人物。清水・蜷川コンビが解消した後の清水邦夫作品を蜷川幸雄が今演出したという話題作だが、「権力への反乱」というテーマに弱い私。しっかりヤフオクで落札(12月に3回も観た『SHIROH』も徳川政権への反乱で同じキーワード)。
気管支喘息を咳止め薬でおさえこんだつもりが夕方また咳き込み始め、気管支拡張剤を飲みなおしていたら、冒頭遅刻でプロローグ部分を入場制限で観ることができず、入場制限がある場合、なぜ他の劇場のようにモニター画面で見せてくれないのかと係員にしっかり文句をつけてしまった。

6分後にやっと入れたら舞台一面真っ赤な照明、真っ赤な着物の歩き巫女ゆき女の中嶋朋子が寝っころがっていた。その照明が『SHIROH』に似ていると思ったら、あとでパンフを見たら同じ原田保の照明だった。そこに『グリークス』に出てきた時空の大きな振り子。
その照明が落ちるとコの字に大階段。宝塚も目じゃないくらいすごいと噂にきいていたが、奥だけではなく、左右にも階段、さらに梯子もアクセントのように8箇所ついている。舞台美術は中越司。観ているこっちはいいが、あんなに急な階段や梯子を上り下りする役者たちは大変そうだ。

歩き巫女の女たち、坊主の男2人が将門は死んだとか語り始める。関東の地では将門は英雄、慕うものが多かったのが形勢不利になると裏切りが相次ぐと嘆く。ギリシャ劇のコロスのミニ版のよう。しかし、死んだのは影武者のひとりだということがわかる。将門の部下たちが次々登場(影武者その1その2その3も出てくる)。将門は頭の怪我がもとで狂ってしまい、自分のことを将門を殺そうとつけねらう者だと思い込んでいるという。
将門の幼馴染であり第一の参謀でもある豊田郷ノ三郎=段田安則、その妹ゆき女、弟が五郎=高橋洋、幼馴染であり妻でもある桔梗=木村佳乃と主要メンバーが敗走の中での将門の狂気にとまどうやりとりをする。その中で三郎が将門の部下の中で最も信頼を勝ち得るために妹を将門に差し出し、その仕打ちに傷ついたゆき女が歩き巫女に身を落としてしまっていることもわかる。弟の五郎も兄を慕っているが兄は将門しかみていない。
狂気の中にいる将門=堤真一が最後に登場。時折、頭の周りを蝉が飛び回ると追い払うしぐさが幻視・幻聴の症状を思わせるが、真剣に将門を追い求めている様子をみせる。桔梗はかつてあんなに凛々しかった将門が狂気の中にいるのが耐えられない。五郎を将門の代わりにして戴こうとたらしこむ。五郎も兄三郎をしのいで将門になるべく桔梗を抱く。しかしながらその誘惑は将門の影武者として五郎を敵の的にするための策だったという皮肉。それがわかっても将門だと名乗って敵の藤原秀郷勢の中にとびこんで死んでゆく五郎。五郎をとかげのしっぽにして皆は落ち延びていく。
そこでまた舞台を真っ赤な照明で染めて一幕終了。

第二幕目は真っ青な照明で始まる。狂った将門はゆき女を昔抱いたことも忘れていて興味をしめすが、それも悲しい。追っ手の藤原軍が近づく中、桔梗は次に昔からの幼馴染の三郎を誘惑し始めるが、三郎はなかなかなびかない。終盤、将門があるきっかけで正気を取り戻し、妻の桔梗に強い愛情をしめすが、そのことが桔梗を錯乱させる。狂った将門を見限り、五郎や三郎を誘惑してまで生き延びようとした自分が、正気に戻った将門を前にすると情けなく、もはやその気位は保てなくなるのだ。そうして我が手で我が胸を刺し貫いてしまう。その前にゆき女もその刃で両の目を切られてしまう。
将門の一瞬の正気の時間は過ぎ去り、またもや狂気の中で将門を捜し求めて行ってしまう。もはや将門軍には勝機はなく逃げのびることもできないことを悟った三郎は、自分たちが時の権力と闘ったことを将門伝説として長く人々の中に残すために、狂った将門が生き残ることが役立つと思いつく。そうして全てを知るものが先に死んでいくことこそ必要と、狂った将門を長く生き残らせるために、生き残った影武者たちが敵を引きつけながら殺されるように仕向け、そのことに気づき、共感したゆき女に刺されて刺してふたりで死んでゆくのだ。
そうして真っ青な照明の中で雪が舞い、冒頭と同様に石つぶてが降り、情念たっぷりの女性の歌声の中で『リチャード三世』で登場した白馬も出てきて幕。死んでいった人々の魂の象徴か。蜷川演出の『近松心中物語』は演歌の中で雪嵐の中で幕となったが、パンフを読んだら今回は韓国の音楽を利用したようだ。日本の音楽を超えてアジアの音楽に広がった。

キャストについて少しコメントする。
三郎の段田が将門への複雑な思いを重厚に演じて舞台をしめている。高橋は12月の『ロミジュリ』のマキューシオがやや過剰な演技で観ていて若干疲れたが、五郎はマキューシオと同じように上半身裸で若い肉体を見せてくれるシーンがあったが、若さの中に野心や脆さもうまく表現していて今まで観た舞台の中で一番魅力的。桔梗の木村もTVなどの可愛い女の子路線ではなく気位の高い女が脆くくずれる様を力強く演じていて○。ゆき女の中嶋も情念たっぷりのこういう役をドロドロと演じていて◎。堤の将門の狂気の中の演技は飄々と軽く、周りの人間が重く絶望の中にいるのと対照的。一瞬の正気を演じる時とのメリハリがきいていて◎。(堤、中嶋、木村の舞台は初見だった)

シアターコクーンは12~1月は野田秀樹の『走れメルス』、今月はこの作品と1970年代の作品を続けて上演。ベトナム戦争最中の時代の作品をイラクに米軍ともども自衛隊が居座っている現在に上演する意味は大きい。「反権力闘争」などという台詞がちりばめられた清水邦雄の脚本に全共闘時代の象徴のような東大安田講堂占拠事件で包囲した機動隊が学生に呼びかける声などを効果音にかぶせ、投石に使われたような石つぶてを降らせるなど、あの時代の空気を今に漂わせていたのも効果的だった。たとえ権力に敗れはしても、立ち向かった人々がいたことは伝説としてでも歴史に刻まれていくのだというメッセージを受け取ったように感じた。

観劇を終えて帰宅したら途中で雨が大きなぼたん雪(直径2cm超)に変わり、家につく頃は一面雪化粧。舞台の終幕と重なった。

最後にパンフの内容にひとこと。いつも、観劇の際はパンフを買ってしまう私。今回は2000円はちと痛かったが、最後の蜷川が評論家の扇田昭彦と対談しているところが読みごたえ十分で満足した。

写真は、今回公演のウェブサイトより。


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4 コメント

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扇田昭彦氏 (ももんが)
2005-03-01 00:46:55
 最後に読みごたえのある対談の話が出てきましたが、それで扇田さんを思い出しました。燐光群(坂手洋二)で、『ララミー・プロジェクト』(同性愛者に対するヘイトクライムを扱ったもの。実話に基づく)を観たことがあります。終演後、坂手さんと、二兎社の永井愛さんなどを加えてシンポジウムみたいなことをやっていたんですが、扇田さんは、(日本の、小劇場くらいからの)演劇の枠組からしか話をしなくて(できないのか?)、や~な感じでした。



『ララミー』は、再演されてるんですね。今後も上演の機会があるといいと思います。

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/laramie2.html
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初めまして! (じんじん)
2005-03-01 13:00:31
 開けたとたんの印象は!んーん長い文章だなぁ・・・。芝居づくりに匹敵するくらいのエネルギーを使うご覚悟かぁーと、ひとまず感嘆したものでこざいます。



 寒いですからお身体ご自愛くださいますよう。



 ではまたね!
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今回は超~長くて恐縮ですm(_ _)m (ぴかちゅう)
2005-03-02 00:17:14
じんじん様 こちらこそ初めまして!

けっこう気に入ったお芝居はかみしめるように思い出すままにダラダラと書いてしまうのです。牛の反芻みたいですみません。今回は特に自己満足するまで書いてしまいました。これに懲りませず、どうぞまたいらしてくださいね。



ももんが様

「バジャイナ・モノローグ」くらいまではすぐに共感できたのですが、同性愛者に対するヘイトクライムってなあに??英語は大学受験時がピークだった私には、まずヘイトクライムがビヨンド・マイ・リーチでございます。

それにしても扇田氏向きのテーマじゃないのに無理にパネリストになってもらったのではないでしょうか?というくらい日本に人材のいないくらい難しい(あと10年先くらいの課題??)テーマだったのではないでしょうか?

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憎悪犯罪 (ももんが)
2005-03-07 00:45:11
hate crimeは、憎悪犯罪と訳されていると思います。KKKが黒人を襲ったりしましたが、それもヘイトクライムの一例でしょう(と言うとわかってもらえるのでは?)。日本でだって、同性愛者に対するこうした犯罪は起こっています(ex.新木場事件)。



日本じゃさあ、『真夜中のパーティ』だって『ベント』だって、『エンジェルス・イン・アメリカ』だって上演されてます。にもかかわらず(?)「ヴァジャイナ」はそのタイトルゆえに劇場が上演を渋ったそうだし、主要全国紙で演劇担当をずっとやっていた人物がセンスがないのでは、too bad でありましょう。
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