9月演舞場歌舞伎で海老蔵の実盛を観て、5月に観て感想未アップの「わが魂は輝く水なり」についてもいろいろと考えた。7月に途中まで書きかけて放置いていた草稿に手を加えてアップしておこう。
清水邦夫作品×蜷川幸雄演出の上演が続いている。「幻に心もそぞろ狂おしの我ら将門」と「タンゴ・冬の終わりに」を観た。特に「~将門」はすごく気に入った。歴史劇的な世界として描いているのが私の好みに合うのかもしれない。ということは源平の物語の世界として描いた今回の作品もきっといいに違いない。清水邦夫が80年に発表、劇団民芸で初演、宇野重吉が主演したという。
歌舞伎の「実盛物語」で御馴染みの斎藤実盛(史実では1111年~1183年)が主人公というわけだ。その実盛を野村萬斎。尾上菊之助との共演はもうないだろうと蜷川幸雄もいうくらいの贅沢な配役。といいつつ倹約モードのため、コクーンシートをGET(その苦労はこちらで)。音羽屋贔屓のさちぎくさんを初めてシアターコクーンにお迎えして(笑)、玲小姐さんと3人並んでの観劇。
【わが魂は輝く水なり-源平北越流誌-】
蜷川幸雄以外の主なスタッフは以下の通り。
美術:中越司 照明:大島祐夫
衣裳:小峰リリー 音響:友部秋一
出演者は以下の通り。
野村萬斎、尾上菊之助、秋山菜津子、大石継太、長谷川博己、坂東亀三郎、廣田高志、邑野みあ、二反田雅澄、大富士、川岡大次郎、神保共子、津嘉山正種
物語の概略は以下の通り。
「実盛物語」で助けた木曽義仲が成人して後の源平合戦の最中が舞台。斎藤実盛(野村萬斎)は白髪の老人となっているが、平維盛を総大将とする木曽義仲追討の戦で北越へ赴いている。その実盛の側には義仲軍側について死んでしまっている息子の五郎(尾上菊之助)が霊となって常に側にいる。弟の六郎(坂東亀三郎)も平家を見限って義仲軍側に走る。そこで五郎の死の真実、義仲軍の姿が明らかになっていき・・・(中略)・・・実盛は最後の戦いに髪を墨で染め、顔に白粉を塗って若やいだ姿で臨み、敵に囲まれての幕切れ。
義仲軍は、浅間山荘事件を起こした連合赤軍を重ね、時の権力に挑んで滅んでいく若者たちの姿として描いている。そして実盛は権力の側にいながら、権力と闘う側への強いシンパシーを持っている。二股武士として生きざるを得なかった実盛をうまく使った作品だとつくづく思う。
ウィキペディアの「斎藤実盛」の項はこちら
世の中のひずみが大きくなり、「あるべき姿」にしようという情熱を持つ人々のエネルギーが大きなうねりを作り出せた時、時代は動く。
しかしながらそのうねりは、真っ直ぐに突き進むとは限らない。その支え手の成熟度が問われてくる。バランスを失すれば大きな誤りを犯すことさえある。フランス革命時にロベスピエールらの恐怖政治にぶれた時の恐ろしさ(ミュージカル「マリー・アントワネット」でも見せつけられた)。極左集団や極右集団もそれぞれに生まれてきた背景があり、極端に走っての自滅もあり。過去の歴史が物語る。
父を裏切り、木曽軍に身を投じる息子ふたり。五郎も六郎も父がかつて駒若丸を預けにいって触れた木曽の森に生きる人々の国への憧れを語るのを聞いて育ってしまっていた。
「・・・・・・あの頃森の国には眩しいほど輝きに満ちた若者たちがいた」「・・・気おくれというよりあの若者たちに嫉妬の年を燃やした、男として、人間として」
平家の専横に甘んじる父を否定し、自分たちも憧れを抱いた森の国へと走ったのだ。だから実盛自身はそんな息子たちを心から憎んではいない。そういう関係の上に、今の五郎の霊と対話する実盛がある。
木曽軍の指揮を巴御前がとっている。義仲が精神に異常をきたしてのことという(権力とたたかうリーダーがその重圧で狂気に陥る様は先に「将門」でも描かれていた)。そして代って指揮をとる巴までが精神的に極限状態にあり、凛々しくリーダーシップをとっていたかと思うと心弱くなって夫に代って縋りつける男を求めている姿をさらけ出している。
側近の逞しい男で肉欲を満たすことでかろうじて精神のバランスをとりながら(大富士の台詞にかなり仰天!)、本当の心の支えにしているのはかつて心を寄せた実盛だった。そしてその息子の五郎に実盛を重ねたのだろう。五郎はその巴の願いを退けて、裏切り者とされて殺されたのだった。
巴が実盛をマークしつつも殺さぬように指示を出しているために戦っても戦っても死なないこと、老いの姿が目立つので実盛とわかることに気がつくと実盛は・・・・・・。マークをはずして正々堂々と見事に討ち死にをするために髪を黒く染め、老いた顔を隠す化粧をする。
その若やいだ姿に若かった頃の気持ちが漲り、命が燃え上がったと実盛が感じた時に敵に囲まれて......本懐をとげたということか!
「どこかで水が溢れている・・・・・・いっぱい溢れている・・・・・・妙だ、水を思うと心がなごむ、心が落ち着く・・・・・・なぜだ・・・・・・」
清水邦夫の戯曲の台詞は美しい。それを声も台詞もいい役者が響かせる至福。萬斎の低音と菊之助の高音の父と子の語らいのハーモニーという贅沢。二人はコメディタッチにふるまったかと思うと生と死の世界に分かれてこそ心の底から言い合えると思えるやりとりをする。
コメディの感覚は狂言の手法が生きているし、最後の化粧の場面はまるで菊之助のお富が番頭に白粉を塗っているあの歌舞伎の名場面を彷彿とする。これってねらってないか(笑)
歌舞伎からはもうひとり亀三郎が弟の六郎役で出演。歌舞伎ではない舞台は初めてらしいが堂々とした台詞が響き、嬉しくなった。
老け役を初めてするという萬斎の老実盛はなかなかのものだったし、最後に若やぐ場面では今の年齢が生きる。リチャード三世を翻案した「国盗人」のイメージも重なる。今、最高のコンビを蜷川幸雄ならでは実現できたのだろうし、それを観ることができた幸福を噛み締める。
巴御前も秋山菜津子がベストキャストだろう。「朧の森に棲む鬼」のツナ役と同様、男勝りの武人でありながら女の哀しい部分を強烈に印象づけることのできる女優だ。
もうひとりの女傑は平維盛の乳母・浜風の神保共子。老女でありながらも巴同様に戦仕度で陣中に共にある。両軍共に武装した女傑がいるのである。維盛の長谷川博己とのコミカルな感じもいい。
実盛と同じ一族の在所の藤原権頭の津嘉山正種も私好みのいい声で惚れ惚れ。萬斎とのやりとりでも安定感あり。
とにかく出演者も豪華に揃って、清水邦夫×蜷川幸雄の世界に浸れたことが嬉しかった。
一度じっくりと戯曲を読みたいものだが、図書館通いができるようになるまでお預けにしておこう。
写真はこの公演のチラシ画像。
(追記)
①権力との闘いということでいえば、新劇の主流派への蜷川幸雄のアンチテーゼという意味もあったようだ。民芸での初演で宇野重吉が実盛を演じたことも懐の深いことだったのだと思える。そして蜷川幸雄は今も闘う気概をかきたてている。それをずっと追っかけていきたい私である。
②この作品の感想をネット検索していたら松井今朝子さんのHPの記事が大変面白かった。リンクでご紹介させていただきたい。