ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/07/19 コクーン歌舞伎『桜姫』の感想への追加(コメントやTBにこたえて)

2005-07-19 23:42:19 | 観劇
6/28に書いたコクーン歌舞伎『桜姫』の感想の記事にたくさんのコメントやトラックバックをいただき、感謝m(_ _)m=http://blog.goo.ne.jp/pika1214/d/20050628

この芝居を観て「桜姫」の人物像が理解しにくいということで、福助の演じ方についてもいろいろな捉え方があるようで、特にmineさんやジャッキーさんからのTBやコメントをいただいていて、多少触発されたことを書いておきたい。

桜姫は、まずかなり自分がどう生きたいのかというものをその都度しっかりと自分で選択してすすんでいくお嬢様だと思う。
最初はレイプまがいの関係を結んだ権助が忘れられないというのも、なかなか面白い。まあ何があっても動じないような肝のすわったところのある女性だったというのがまずあると思うが、権助も女への接し方が上手くて相手を恐がらせるようなことをしないようなヤツだったんだと思う。それで可愛がってくれた権助が忘れられなかったのだろう。それを忘れないために相手と同じ入れ黒子を腕に入れるような思い切ったことをする姫だという性格設定。
だから、清玄に前世の因縁話をきいても心迷うことなく、権助への思いを貫いていく。しかしながら子どもを産んだとはいっても、産んですぐに里子に出してしまっているので、里子から返されてきて、自分しか保護者はいないという時にはさらわれた時も必死で追っていくのだけれど、どうしても見つけ出せない状況が続くと、子どもの優先順位は下がっていくだろう。
権助と再会し女房にしてもらうよう自分から積極的に頼むし、権助の世界に合うように自らを変える(下層社会の勉強のために女郎屋に行けと言われて承諾)こともためらわない。庵室で息を吹き返した清玄と再会して言い寄られ、血迷った清玄が無理心中をせまり、そのヤイバがもみあううちに清玄の首を掻っ切り、死んでしまうのを見届けて「毒食らわば...」なんて決意を固めて、自ら積極的に宿場女郎に身を落としていくという描かれ方は、なかなかにすごい女性だなあという感じ。まあここまで激しい生き方をする女性は当時もいなかっただろうけど、芝居の主人公としては極端に激しい生き方をさせるというのが当時の人々を惹きつけたのだと思う。江戸文化が爛熟し、退廃した世界を描いた南北が人気を博した社会が要求した筋書きともいえると思っている。
風鈴お姫と評判になるが幽霊のために戻されてきた姫は、権助に心身ともにぞっこんになっている様子がありあり。自分の赤ん坊がそこにいても、顔も覚えるひまもなくさらわれてしまったので気づかないのだろうと解釈。ここでも現れた清玄の幽霊に子どものこと、清玄と権助の関係、権助が自らの仇だときき、びっくりする。半信半疑状態で、帰宅した権助を酔いつぶして根掘り葉掘りとききだしていき、父と弟の仇だということがはっきりとわかってしまう。
そこで吉田の姫である自分との葛藤がもちろんある。そこをけっこうしつこく葛藤させて狂乱させて描く=権助への愛が勝つから正気ではいられないのが串田氏の演出。そこはさらりといって、権助への愛を乗り越えて吉田の姫として生きていくという決断をして権助も子どもも刺し殺して仇の血を絶ち、吉田の家に戻るのがもともとの筋書き。私はやはり南北作品として観ているので、後者の描き方の方が好き。
特にコクーン歌舞伎では時間短縮のため、姫中心に場面を絞り込んだから、稚児が淵での心中場面や三囲土手の場面なども省いている。稚児が淵は歌舞伎でも省略されることがあるのでまあ、ご存知ということでしょうね。桜姫は、あまり白菊丸の因縁はひきずっていないという設定なので省略OKなんでしょう。引きずっているのは清玄だけで、哀れなもの?!やはり吉田の仇、権助の兄だからということで、最終的には姫に縁のない男なんでしょう。

桜姫は、常に流されずに主体的に判断した自分の思いや考えを貫いていく性格の姫。だからパキパキとした演じ方の方が似合うと思う。だから前回の玉三郎も今回の福助の演じ方もいいと思う。
福助は今回、かなり頑張ってくれたと思う。でもやはり玉三郎の桜姫と比べたらちょっと可哀想。福助は初役だし、今後に期待している。
写真は、『桜姫』のウェブサイトより。