ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/07/04 歌舞伎のカーテンコール考

2005-07-04 13:38:22 | 観劇
コクーン歌舞伎を観た感想を他の方のブログとのやりとりをする中で、このテーマをめぐって「こだわりの館blog版」のmineさんとの意見のやりとりが面白くなってきている。最初に私がつけたコメントも長くなってしまったので、あらためてmineさんが記事で書いてくださったので、私も記事で書いてみたい。mineさんの該当記事は以下の2つ。
http://ameblo.jp/mineokob/entry-10002032839.html
http://ameblo.jp/mineokob/entry-10002611171.html

カーテンコールは舞台が終わり幕が閉じられた後、観客の拍手が鳴り止まない時に、閉じた幕を開けて観客の拍手にこたえることと認識している。
元々、海外の舞台ではカーテンコールが一般化していたが、日本の舞台ではその習慣がなかった。しかしながら日本においても、洋ものの舞台、特にミュージカルなどでは現在ではかなりの作品でカーテンコールが当たり前になっている。幕を閉じない舞台もあるので、何回キャストが舞台に出て拍手に応えたか、スタンディングオベーションになったか、その比率は?などによって舞台の盛り上がりを図るというようなことにもなっている。海外での習慣が日本にも伝わってきて、舞台に感動したら拍手を長く続けたり、立って拍手したりという表現を日本人もやるようになったということだと思う。また、拍手にキャストが何回もこたえてくれるようになると、それが嬉しかった経験からさらに拍手に熱が入るようになる。『レ・ミゼラブル』を17年も観続けているとその変化を肌で感じる。
歌舞伎におけるカーテンコールは、まず、海外公演を行った時にカーテンコールが現地では当たり前になっているために鳴り止まない拍手に対しては主催者側の判断でカーテンを開けてしまい、出演者が対応したということが始まりであったと私も考える。そういう細かいところでの文化の違いなどは、初めから打ち合わせなどできないだろうし、カーテンを開けられてびっくりして違和感を持ちながら対応したということはあっただろう。mineさんのブログで下記のようなご指摘がある。
>15年以上前に中村吉右衛門がアメリカ公演を行ったときにカーテンコールをリハーサルで迫られ、明らかに戸惑っていたのをTVドキュメンタリーで見ました。
確かに15年前ではそうだろうと思う。しかしながら、ひと世代若い勘三郎の世代になると違ってくるのである。1994年から始まったコクーン歌舞伎でのカーテンコールは早くからあったのだろう。私は今回初めてなのでなんともいえないが。
さらに、歌舞伎座における2001年8月の『野田版・研辰の討たれ』で歌舞伎座初のカーテンコール、スタンディングオベーションが起きたという。上演する演目の変化とともに客層の劇的変化が起き、歌舞伎座でも熱い熱い拍手が長く長く続いたのだろう。それで幕をもう一度開ける判断を誰かがして、開けたらそうなったということだったろう。この演出が歌舞伎座で受け入れられるかどうかは野田秀樹自身も不安だったらしいが、この観客の反応に勘九郎ともども涙したという。
今回の襲名披露での再演を初めて観たのだが、私の観た5/5はカーテンコールはあったが、スタオベまでにはならなかった。それよりびっくりしたのはその前の演目の『鷺娘』でカーテンコールがあり、スタオベにまでなったことである。『鷺娘』も初めて観るのだがとにかく舞台として素晴らしく、私もかなり熱い拍手を送ったらどんどん席を立つ観客が増えていき、それはそれは感動的だった。その後の『研辰』だったから、観客も2つ続けてスタオベにという気分にならなかったのだろうと私は勝手に思っている。
以降の色々な方のブログをちょこちょこ拝見しているが、『鷺娘』のカーテンコールはその日だけだったという情報もあり(初日もあったのかもしれないが)、なんか得した気分になった。ここからは私の推理だが、勘三郎が玉三郎に内緒でカーテンを開けさせる指示を出したのではないか?ところが、その日限りにしてくれと玉三郎お兄さんが勘三郎に言ってそれ以降はなくなったのではないか?その舞台の主役が好まないのであれば続ける必要はないというものだ。

mineさんのブログでの下記のようなご指摘について
>「鷺娘」が始まって結局カーテンコールは起きず常連さんたち「残念だったね」などと言ってたのですが、その中の一人が大声で「でもあれじゃバレーだよ、アンナ・パブロハ(発言ママ)だよ」と言ってました。常連さんたちの拍手は【冷やかしの拍手】で【心からの拍手】では無いっちゅう事です。
この状況を歌舞伎のご意見番だった6世・中村歌右衛門は空の上からどう見ているんでしょうか。きっと「いけませんねぇ」とマユをひそめていると思うのですが…。

常連さんの中のおひとりの発言だと思われるので、常連さん=玉三郎の『鷺娘』全否定ということではないと思う。そして六世歌右衛門が歌舞伎のご意見番だった時代はもう終わっていると思う。もちろん、今でも大事なご意見はきちんと踏まえていけばいいと思うが、「守るべき伝統」と「新しい時代を拓いていく革新性」の両方を大事にする必要がある。その旗手として勘三郎の活躍を見守っている私である。
大体私などは、六世歌右衛門に間に合っていない。写真でお見受けするだけで、私にとっては伝説の人なのだ。そう、いわば私はポスト歌右衛門世代の観客なのだ。そのお写真も若い時の八ッ橋姿には唸らされたものだが、晩年のお写真には魅力を感じることができない。それに私などは通の歌舞伎ファンとはいえないのでビジュアルをかなり重視してしまう。ベテランの方のキャスティングとはいえ、ビジュアル重視の演目は一度でもういいやと思ってしまうことも少なくない。
私にとっては、5月の玉三郎のこの年齢を感じさせない容姿と情感あふれる舞踊、抜群のセンスのよい演出だった『鷺娘』などは、なかなか観ることができない感動の舞台と感じて立って拍手を送ってしまったのだ。
7月の『NINAGAWA十二夜』や8月の串田和美の歌舞伎座初演出の『法界坊』などでは、カーテンコールはどうなるだろうか。そういうことも楽しみである。
以上からの私の意見
①歌舞伎でも演目によっては主役が嫌でなければ、観客の熱い拍手にはカーテンコールをもって応えていただいてよい。演目によってカーテンコールに無理があるかどうかは座組みの中心者が判断するだろう。
②劇場も歌舞伎座だからとか、どこだからダメということは必要ない。
③歌舞伎や伝統芸能になかった習慣だからといって、新しい客層が長く熱い拍手で感動を表現したいという気持ちを、なじみがない観客の方にもわかっていただきたい。そうしないと新旧の観客が相互理解、共存していくことが難しくなると思う。

蛇足
宝塚にもカーテンコールはないが、確かにあの大階段を使ってきれいにキメタ舞台の最後をくずしてカーテンコールというのはないと思う。それでもそういう日がくるのだろうか...。
それにしても長文をお読みいただいた皆さん、ありがとう。