ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

11/12/03 『世界』9月号特集「放射能汚染時代」の肥田舜太郎さんの記事は必読

2011-12-03 23:44:27 | 美術・本

亡くなった井上ひさしさんと共に「憲法9条の会」を立ち上げた大江健三郎さんが国民必読といって薦められている記事を読むために、1フロア上の研究所の書架から借りてきた『世界』2011年9月号。
肥田舜太郎さんへのインタビュー記事「放射能との共存時代を前向きに生きる」がそれだ。この間、鎌仲ひとみさんとの共著『内部被曝の脅威』(ちくま新書)も読んでいるが、インタビュー記事はなおさら読みやすい。
肥田さんは広島で原爆を受けた時にちょうど軍医として赴任中だったので、直後から被爆者を診ることになった。そこでピカにもドンにもやられなかった人たちが広島にいるはずの家族を探しに行ってしばらくして急に劇的な症状が出て亡くなるという事態に次々に直面。放射性物質の漂う空気を吸い込んだりして内部被ばくしたことによる症状だと確信をもったという。アメリカ軍と敗戦後の日本政府は占領政策の中で原爆に関わることは機密とし、医療現場で被ばくした患者のカルテ作成まで禁止したという。アメリカは徹底して「内部被ばく」の問題を隠した。核実験に関わった兵士たちの被ばくに関しても一切認めない政策をとっている。
核の軍事利用=兵器開発・保持と平和利用=原子力発電をセットにして推進するためには、「内部被ばく」の危険性の認識が広まることが大きな邪魔になるからだ。

さらに放射線の細胞との関係として、放射時間を長くするほど細胞膜の破壊に必要な放射線量は少なくてすむという研究結果をカナダ原子力公社の研究者ペトカウ博士が発表。それを翻訳するという仕事もされている。この低線量の内部被曝によって細胞膜が破られ、中が傷つけられるメカニズム=ペトカウ効果を原発推進派は認めないのだという。

またアメリカの統計学者による癌の発生率上昇の分析結果が恐ろしい。発生率が上がった1300以上の郡に共通する因子として全部に関係する因子は一つだけで、核施設から100マイル以内ということだった(核施設とは、原子力発電所だけではなくウラン採掘鉱山、核に関わる工場など全て。100マイルは160㎞)。核兵器を作る過程原発の通常運転でも許容量以下を前提に放射性物質が出てしまっていて、それによって被曝問題が起きているわけだ。

そしてさらにショックなのは、日本はほとんどの地域が原発から160㎞いないだということ。これはもう既に許容量以内で放出されている放射性物質によって日本人のほとんどが汚染されているということだ。

放射能問題は福島の原発事故の問題だけではなく、日本の国民すべての問題であり、放射性物質を出す元の施設をなくしていく努力をしていかなければならないという肥田さんの主張は実に胸にストンと落ちた。

記事のタイトル「放射能との共存時代を前向きに生きる」とはどういうことか?
自らも被爆者である肥田さんが90歳を超えて元気に活躍されているのは、健康的な生活をする努力を続けられているからだという。被ばく後も病気の発病を防ぐためだ。一番大事なのは食事の食べ方で、30回以上噛み、食後は20~30分安静にする。楽しくなる話題で食べることも大事。早寝早起きは朝食の時間を十分とれるので健康によいとのこと。
今多くの人が放射能汚染されていない食べ物を得ることばかりに意識を向けているが、どのように良い食べ方をするのかが大切とのこと。
開き直って、世の中を変えていく努力と日々の生活を健康的なものにする努力の両方を続けることが大事なのだという肥田さんのこの記事は、まさに必読だと思った。
ここしばらくの間、体調不調になっていた私は後者の努力が圧倒的に足りない。だから、えらそうには言えないのだが、やはり皆さんにお知らせしておこうと久しぶりに気合を入れて記事アップした次第。
肥田さん以外の記事も読みごたえがあるものが多かった。図書館などにはバックナンバーもあると思うので、是非ご一読をおすすめしたい。

岩波書店のバックナンバーの紹介はこちら
アマゾンの該当コーナーはこちら(内容紹介は10月号のものと思われるが、カスタマーレビューも読みごたえあり)

11/07/06 安斎育郎著『家族で語る食卓の放射能汚染』を読む

2011-07-06 23:59:33 | 美術・本

6/29のNHK「あさイチ」の特集「イチからわかる 内部被ばく」で懐かしい安斎育郎先生(放射線防護学)が専門家ゲストとして出演していた。チェルノブイリ原発事故の後で食品の放射能汚染についての学習会の講師としてあちこちで活躍なさっていた方だ。昔と違うのは髪が真っ白になってお年を召されたことで眼鏡の奥の大きな目は同じように力がこもっていた。
今回の福島原発の事故の後、書店に行ったら当時の先生のブックレットの改訂版が並んでいたのでちょっとびっくりしたっけ。確かにチェルノブイリ原発事故の問題と今回の問題は原理的には同じだから、今の状況を踏まえて改定すればいいわけだ。
見かけたのは→『かもがわブックレット12 放射能そこが知りたい 改訂版』と『かもがわブックレット14 原発そこが知りたい 増補版』
このTV番組を見て勢いづきネット検索の上で、娘に頼まれた『ヘタリア』最新刊の初版特装版と一緒に安斎先生の本を書店に買いに行き、以下の本をGET!電車の中で居眠りしながらようやく読み終えた(笑)

『家族で語る食卓の放射能汚染 増補改訂版』
以下、目次を同時代社のサイトより引用。
福島原発事故危機の中で
第1章◆はじめに――私がやってきたこと
第2章◆放射能って何だろう?
1、原子の名前の表し方
2、放射能って何物か?
3、放射線のいろいろ
4、放射能の強さの単位
5、被曝線量の単位(シーベルト)
6、半減期
7、有効半減期
8、体内汚染はどこまでふえるか?
9、自然放射線による被曝
第3章◆放射線の人体への影響
1、放射線障害の歴史
2、放射線障害の二つのタイプ
3、放射線障害の非特異性
4、放射線防護の原則的考え方
第4章◆食品の放射能汚染にどう対処するか?
1、厚生労働省の規制基準
2、食品汚染の実態はどうか?
3、汚染食品による放射線被曝は?
4、食品汚染にどう対処するか?
おわりに
Wikipediaの「安斎育郎」の項はこちら
セブンネットショッピングでの著者情報が最新のものを反映している。

アマゾンでのレビューにあるように、放射線の基礎的な説明が私のように理系が苦手な者にもわかりやすい。放射性核種によって人体への影響がずいぶん違うし、カリウム40などは自然界にあって既にいろいろなものから体内に入ってしまっていて内部被ばくもしているという。それに今回の原発事故で環境中に放出されてしまった放射性物質にどう対応するか、わかりやすく論理的に指摘されている。

特に最後の「食品汚染にどう対処するか?」で以下の5点を提起しているのがストンと胸に落ちた。
①食品汚染の実態を知ること。
②たとえ、放射能汚染が国の許可基準以下のものであっても、それなりに放射能が含まれている食品は、あえてその消費を奨励しないこと。
③汚染の実態はできるだけ公表し、最終的には消費者の選択の自由を保証すること。
④汚染食品、体内摂取にともなうリスクを評価する際には、いたずらに「放射能に対する恐怖感」といった感情に溺れず、科学的な評価結果をふまえること。
⑤食品の放射能汚染に対する関心を持続し、供給者との間に好ましい緊張関係を保つこと。

安斎先生は「感情的にこわがるな、科学的にこわがれ」が持論だが、今回ちゃんと本を読んでみて「科学的に」というところにあらためて確信をもつことができた。
私は自分で食べるものの放射能汚染については産地で忌避したりすることはしていないし、多少食べても調理方法で気をつけたり、身体に貯めこまないようにしたりすればいいという考え方をとっている。
気を使って産地限定品を手に入れている人についてはそれもありだとは思うが、周囲に強要はしてほしくない。自分の子どもだけ汚染の給食を食べさせないでお弁当を持たせるお母さんも報道されていたが、子どもはそれを嫌がってはいないのかということの方が気になるし、自分の子だけよければいいという考え方も私はあまり好きになれない。
冒頭で紹介したTVでも「放射性物質を減らす調理術」のコーナーがあって、まぁそんなところだろうと私もやれる範囲でやっている。
職場でお子さんをもつ方の情報ネットワークで紹介されていた資料が今回の本の中でも紹介されていた。以下の資料なので、関心のある方はご活用ください。

財団法人 原子力環境整備センター発行の『食品の調理・加工による放射性核種の除去率』

10/07/10 追悼つかこうへいさん、初観劇まにあわず+『娘に語る祖国』

2010-07-12 23:59:22 | 美術・本

今年1月に肺がんで闘病中であることを公表した、つかこうへいさんが10日に亡くなっていた。彼の作品は映画になった「蒲田行進曲」をTVで観ただけで、舞台はどの作品も未見。「蒲田行進曲」は面白かったのだが、どうもああいうノリの芝居はあまり好みではないのでブームの頃に観ようという気が起きなかった。小劇場系にあまり興味がなかったということもある。
それでも最近の北区つかこうへい劇団の活動は地域密着型で面白そうだったし、TVや映画で売れている若い女優を主演に起用しては鍛えて本格女優に成長させているという印象は持っていた。(→ここを加筆)そして何より劇団☆新感線の主宰者たちが当初はつかこうへい作品のコピー上演を繰り返してからオリジナル作品に取り組んだということで、彼らのスピード感あふれる舞台の基礎にあるというのが気になっていたのだ。
最近、小劇場のお芝居にも興味が出てきて、気になる名作は再演があれば観ようかという気になってきた。中川右介著『坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道』の中にあった日本演劇史の概略部分の引用紹介もさせていただいたが、串田和美の「上海バンスキング」もこの3月に観た。つかこうへい作品も一度ちゃんと観ておこうと、8月のシアターコクーンの「広島に原爆を落とす日」のチケットをとったばかりだった。

つかこうへい氏で一番印象に残っているのは、1990年に出版された彼の著書『娘に語る祖国』である。光文社のカッパ新書が出ていたのを買って読んだ(冒頭の写真はこの表紙だったと思う)。在日韓国人2世であることをカミングアウトした内容で、在日の方々の悩み多き人生にしっかり向き合ったそれが最初だった。学生時代に戦中戦後史を学んだとはいえ、一人の人間の人生という視点でしっかり考える機会はなかったのだ。

日本人である元つか劇団の女優さんと再婚して生まれた一人娘に思いを語る形で書かれていて、私にも1987年に娘が生まれていたので、とても心情的に理解できる内容だった。
紀伊国屋書店のサイトの『娘に語る祖国』の項はこちら
Wikipediaの「つかこうへい」の項を読むと、その一人娘さんは宝塚歌劇団雪組トップ娘役の愛原実花さんだとのこと。愛称のひとつは「みなこ」ということなので、やはりその娘さんに語るという感じで書かれたのだろう。上記の本の情報の詳細のところから一部を引用してご紹介しておきたい。
「人間の残酷さと生命力を描くのがパパの役目です
人の心の暖かさは変わりません」

私にとっての初めてのつかこうへい作品の観劇は来月の19日。追悼の思いをかみしめながら見ることになりそうだ。
「広島に原爆を落とす日」の特設サイトはこちら
つかこうへいさんのご冥福を祈ります。

10/07/11 『文藝春秋』掲載の井上ひさしの「絶筆ノート」に遺された言葉から

2010-07-11 23:59:30 | 美術・本

井上ひさしさんが4/9に亡くなって、井上ひさし「絶筆ノート」の全文掲載が妻のユリさんの「ひさしさんが遺したことば」独占手記とともに月刊『文藝春秋』の7月号に載っていた。
気がつくのが遅くなり、8月号発行直前にスーパーの雑誌売り場のPOPで気がついてあわてて購入。
4~6月の新国立劇場での「東京裁判三部作」上演も3ヶ月通って3作とも観たが、残念ながら感想は未アップ状態。本当に素晴らしい連作でしっかりと感想を書きたいのだが、どう書こうかと考えて時間が過ぎてしまう。井上作品とがっぷり組んで書くための気力体力が足りなさ過ぎて、情けないなぁと思う。情けないとは思いつつ、駄目な自分にも付き合っていくしかない。そうして日々は過ぎてしまうが、後からの思い出しアップもあるのが拙ブログである。最近では映画「インビクタス」についての記事がいい例だ。書けるようになったら書くのでよろしくお願いしたいm(_ _)m

さて、今日の本題。昨年12月に井上ひさしが肺がんで闘病中であることを公表した後、『文藝春秋』編集部から「闘病記」の執筆依頼があり、はじめは逡巡していたが「3人に1人ががんで亡くなる時代に、自分の体験をことばにして伝えることこそ作家の仕事だ」と引き受けられたとのこと。それがかなわなくなって、昨年10月からご本人が病気についてノートに記録を始め、絶筆となったものを夫人が手記で補って公表されたのである。
そのノートの最後のページには、「東京裁判三部作」のチラシに掲載するコピーとして年末まで考えていたものが書かれていた。そこから最終的には「いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられることになるだろう。」と決められたという。
その部分の全文を引用してご紹介したい。

過去は泣きつづけている-
たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので。

過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる

いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられる

過去は訴えつづけている

東京裁判は、不都合なものはすべて被告人に押しつけて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式だった。

先行きがわからないときは過去をうんと勉強すれば未来は見えてくる

瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石

私も日本史で大学受験をしたのだが、出題範囲が戦前くらいまでなのをいいことに戦中戦後史を学んだのは大学で歴史教育研究のサークルに入ってからだった。
娘と今の社会を論じ合うときに、やはりそこをどう認識するかの違いで論争になる。娘は日本はアメリカに負けたのだから、いいようにされても仕方がないという。今の日米安保体制の評価がそこからまるで違ってしまう。

アメリカの占領政策だって、国際情勢の変化とそれによる本国の中枢の勢力変化で一変してしまったのだ。だから今の日本国憲法はアメリカの民主勢力と日本の民主勢力の接点がほんの一時期生まれて実った貴重な貴重なものなのだ。決して一方的に押し付けられたものではない。
映画「日本の青空」の感想の記事はこちら
私の仕事に関わる法律は、その時期から遅れてGHQの対日政策が変更された後にできたものだから、最初から欠陥だらけで長い間先輩たちが苦労したという歴史がある。
そういう歴史を仕事の上でも確認していっているので、井上ひさしの言葉が実に沁みてくる。

今日の参議院選挙の結果もそれなりであり、ねじれという状態も二院制で牽制がかかるということでとりたてて悪いことだとは思わない。しかしながら日本でもアメリカ型の二大政党制をめざして衆議院の選挙制度を変更し、それで政界が再編されたことがやはり元凶だったように思える。昔から参議院の一人区というのが嫌なしくみだと思っていたら、衆議院が中選挙区から小選挙区になり、マスコミなどによるムードづくりで極端に議席数のバランスが変わってしまう。そういう制度は、長い年月で庶民の代表の政党をつくってきた歴史のない国では危険極まりないと思う。

話をもとに戻す。同じ『文藝春秋』の7月号には、今の日本国憲法が戦後アメリカから押し付けられたという一学究の救国論が掲載されていた。井上ひさしの「絶筆ノート」と同じ号掲載というのは、編集部のバランス感覚によるものなのだろうか?思わず笑ってしまった。

映画「インビクタス」についての記事にも書いたが、社会というものはまっすぐによくなっていかないものだと認識できるようになった。だから、毎回の選挙で一喜一憂せずに、しっかりと見守りながら、やれることをやっていくしかないだろうと思えるようになった。
今日の昼間、たまたま妹2と一緒になって実家に行くことができ、選挙に行く母を車で連れていくことができたが、車中でそういう話になった。
「最近アンタがそういう悟ったようなことばかり言うようになったので心配だ」と母が言う。「死期が近づいた人が悟ったようなことを言うというけど、まだまだ私はそうじゃないから大丈夫だよ」と笑って答えておいた。

10/07/02 中川右介の歌舞伎についての新書第二弾を読んで

2010-07-02 22:39:21 | 美術・本

コクーン歌舞伎「佐倉義民伝」の感想を書く前に、中川右介による歌舞伎についての幻冬舎新書第二弾『坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道』から、日本の戦後の演劇史について頭の整理ができる部分を引用してご紹介したい。その前に書きたいことも少々・・・・・・。

前作の『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』ももちろん読んでいる。六代目歌右衛門と山川静夫の対談からなる『歌右衛門の六十年―ひとつの昭和歌舞伎史』(岩波新書)も読んでいる。歌舞伎界というものは、役者の家の序列とその時代にその家を担う役者の有無とその力関係で公演の座組みや演目決めまで左右することがよく理解しているつもりだ。
『歌舞伎名舞台』という古本を買ったので、若い頃の歌右衛門の美しい八つ橋の姿も知っている。残念ながら(というべきか?!)舞台では観ていない。
ということで、ある程度の六世歌右衛門についてのイメージはもっているので、今回の新書もなるほどなるほどと読みすすめた。
感想の基本的なところは六条亭さんの記事とほとんど同じなのでリンクでご紹介させていただく。

中川右介とはどういう人物かをネット検索でチェック→Wikipediaの「中川右介」の項はこちら。氏のスタンスがあくまで観客の立場であることがよく理解できる。
前作での記憶から。
江戸時代までは庶民までの娯楽であった歌舞伎が、明治以降の欧米列強に肩を並べようとして国策として演劇改良運動の名の下に高尚化していったことをまず押さえておく。その一大エポックとなった天覧歌舞伎の出演者で最後に残ったのが五世歌右衛門であり、九代目團十郎、五世菊五郎の不在時に歌舞伎界の権力を握り、その継承をめざしたのが六世歌右衛門である。本当は実子ではないのにそのような記述がある既刊本も改版の際にしっかりはずさせていったということも明らかにしていた。歴史も自分に都合よくつくり換えさせることができた権力者、歌右衛門。その歌右衛門が権力を保ち続けていた時代には雀右衛門も玉三郎も歌舞伎座での立女形は回ってこなかった。雀右衛門の自伝『私事』も読んで、苦労されたことが理解できた。

そんな中で梨園の生まれではない玉三郎のもつ魅力を見抜いた人たちがいて、ご本人のストイックな精進と多角的な挑戦があって、最後には歌舞伎座の立女形にまでなったという足跡を丁寧にたどった本書は実に読み応えがあった。
13代目仁左衛門と14代目勘弥の歌舞伎界での位置もよくわかり、勘弥が自分の座頭の時に当代仁左衛門を引き上げたということもよくわかった。孝・玉コンビはこのようにして組まれたのかと納得。13代目仁左衛門と14代目勘弥の追善狂言と銘打たれた3月の「道明寺」もなるほどという気持ちで思い起こした。
とにかく、玉三郎の現役の舞台をしっかりと観ていこうという決意をあらためて固めさせてくれた本だった。
蛇足ながら、「勘弥」の襲名をするかどうかということについて私の予想をひとつ。玉三郎が現役の役者を引退して、プロデューサー的な仕事に専念する時にこそ座元の名前である「勘弥」を襲名するのではないか、そういう予感を持っているということは書いておこう。

さて、いよいよ「アングラ」についての引用にかかる。
 こんにち、「アングラ」として一括りに演劇史に位置づけられる演劇が、1960年代から70年代にかけて誕生した。日本の明治以降の近代演劇は、まず、徳川政権時代からの「芝居」があり、これを旧いものだとしてが生まれた。その結果、従来の芝居は「旧劇」となってしまったわけだが、その名称は定着せず、改めて「歌舞伎」と呼ばれるようになる。
 やがて「新派」も旧いものとされ、「新劇」が生まれる。この新劇は、シェイクスピアと19世紀西洋演劇とを同時に輸入するという、不思議なことをやり遂げた。しかし、新劇の観客はインテリ層中心で、左翼運動との関係も深かった。それに対して、帝劇などの大劇場で大資本が行う一般大衆向けの演劇も広まり、これは「商業演劇」と呼ばれた。
 アングラは、歌舞伎・新派はもちろん、新劇にも、そして商業演劇に対しても、「アンチ」を唱えて始まった。興行というよりも芸術運動の側面が強く、反体制や反商業主義の立場をとった。
 この運動の中から、多くの劇団と役者と劇作家と演出家が生まれた。主なものでは、寺山修司の「天井桟敷」、唐十郎の「状況劇場」、串田和美の「自由劇場」、佐藤信の「黒色テント68/71」、鈴木忠志の「早稲田小劇場」、蜷川幸雄の「劇団現代人劇場」「櫻社」などで、ここまでが第一世代となる。その次の第二世代が、つかこうへいである。そして、70年代後半から80年代になると、反体制色は薄まり、「アングラ」ではなく、「小劇場」と呼ばれるようになり、第三世代の野田秀樹や鴻上尚史が登場する。
 この時点では、蜷川が歌舞伎座で菊五郎劇団の「十二夜」を演出し、つかこうへいの「飛龍伝」が新派の殿堂たる新橋演舞場で上演され、串田がコクーン歌舞伎や平成中村座で南北や黙阿弥に取り組み、野田秀樹が歌舞伎座のために新作を書いて演出するとは、誰も思いもしなかったであろう。
 18代目勘三郎が、唐十郎の芝居を観て衝撃を受けるのも、この頃であろう。歌舞伎の新世代の役者たちは、古典芸能となっている歌舞伎のよさは認めつつも、これでいいのかとの思いを抱いていた。
 歌右衛門世代は、「古典」のイメージが強いが、戦後に書かれた同時代の作家による新作に数多く挑んでいた。文学者たちが書いたそれらの芝居は、しかし梅原(猛)が指摘する西洋の科学合理主義に基づいた近代劇の文法によって書かれたものだった。「現代に書かれた劇」ではあるが、「現代の言葉」で「現代」を描いたものではなかった。
 はるか昔の設定の物語でも、現代の生きた言葉、自由なイメージが広がるものを演じたいという玉三郎のこの思いが、泉鏡花劇に向かう。

「アングラ」と「小劇場」とはやはり時代が違うのだ。こうしてそれぞれが生まれた時代の差も踏まえるとメッセージ性の違いもよくわかるというものだ。
写真は、幻冬舎文庫『坂東玉三郎―歌舞伎座立女形への道』の表紙。

10/03/27 松岡和子訳「ヘンリー六世」あとがきの要約がわかりやすい(追記あり)

2010-03-27 11:11:10 | 美術・本

昨年11/24に新国立劇場で鵜山仁演出の「ヘンリー六世」を観た時、劇場ロビーで小田島雄志訳の白水社版の戯曲ではなく、松岡和子訳「ヘンリー六世」(ちくま文庫)を買って、復習と蜷川幸雄演出版の予習をすべく一気読み。
その後、感想を書こうと思いつつ、何やかんやともたついている間に「2010年 読売演劇大賞最優秀演出家賞」を授賞され、ものすごい舞台だったものなぁと納得した次第。

さて、今日その蜷川演出版を彩の国芸術劇場に行って通しで観劇してくる。
松岡和子訳「ヘンリー六世」あとがきの要約がわかりやすかったので、以下、おさらいのために抜書きしておこう。

『ヘンリー六世』は対立の劇である。第一部ではイングランド対フランスという国家間の対立、その縮図であるトールボットトジャンヌダルクの対立、グロスターとウィンチェスター、サマセットとヨーク(紅バラと白バラ)という大物の対立といったふうにスケールの大きな対立が描かれる。第二部では、そのあおりを受けた対立がイングランド国内に移り、様々なかたちで拡散される。第二部の登場人物表に象徴的に表れているとおり、それらの対立がいくつものエピソードとなって絵巻物ふうに展開されているのだ。なお、エピソードごとに登場人物をグループ分けしたアーデン3とオックスフォード版から採用したことをお断りしておく。第三部では対立が内戦というかたちを取って求心的になり、ランカスター家とヨーク家の闘争に収斂。紅バラと白バラの戦いは血と涙というイメージに結晶している(第三部における「血と涙」のセットの多出については拙著『シェイクスピア「もの」語り』の『ヘンリー六世』第三部の項参照)。
歴史の滔滔たる潮流に身を任せつつ、その流れに浮かんでは消えていった強烈な個性を持つ人物像を味わっていただきたい。

それと小田島版と松岡版で大きく違い、私がこだわっているのはサー・ジョン・ファストルフのことだ。
新国立版は小田島雄志訳を採用していたので、ファルスタッフとなっている。これはシェイクスピアの他の作品『ウインザーの陽気な女房たち』で登場する陽気な豪傑男と重なるのだが、『ヘンリー六世』では臆病極まる卑怯者だ。松岡和子はいくつもの台本を検討し、ファストルフとなっていたりファルスタッフになっていたりするのを踏まえ、ファルスタッフは誤記と判断。豪傑なファルスタッフとは別人のファストルフとして登場させている。
今日観る蜷川版は松岡和子版を採用しているのでファストルフで観ることになる。私もその方がすっきりとして有難い。

さぁ、それでは用意して出かけよう。
→(観劇後に追記)
今回の上演は3部作の原作を2部構成にしているため、なくてもいい部分は刈り込まれていた。場面展開もよりスピーディにされて8時間強にされていたが、メリハリが効いて集中力も保ちやすかった。というわけでファルスタッフだかファストルフだかの場面はなしだった。以上、ご報告。

09/08/06 広島原爆の日に思う+岡本太郎「明日の神話」

2009-08-06 01:47:43 | 美術・本

今日8/6は広島原爆の日。
昨日8/5、それに関わる報道にいろいろ考えさせられた。
以下、2つの記事をコピペで引用。
(1)「原爆症訴訟 勝訴は認定、敗訴は基金で決着」
8月5日22時16分配信 産経新聞
 麻生太郎首相は5日夜、原爆症認定集団訴訟をめぐる被爆者救済問題に関し、訪問先の広島市内のホテルで舛添要一厚生労働相と最終協議し、306人の原告全員を救済することで合意した。内容は、1審で勝訴している原告は高裁判決を待たずに政府が原爆症と認定し、敗訴している原告には基金を創設して手当てする。
 麻生首相は6日に広島市で開かれる「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)の後に被爆者代表との懇談で救済策を発表。同時に政府声明を出し、これまでの政府の取り組みが遅かったことを謝罪することにしている。
 河村建夫官房長官と舛添氏、森英介法相が5日午前、首相官邸で救済策を協議した後、協議内容を首相に報告した。首相は広島市に入った同日夜も、原告側と協議してきた舛添氏と合意に向けた調整を続けた。
 政府は、原爆症と認定する場合には控訴を取り下げる。基金の創設は議員立法化を検討、民主党など野党にも協力を呼びかける。
 政府内では、河村氏が全面解決に近い形での解決を目指しているのに対し、敗訴した原告への救済に法的な整合性の理由から難色を示す厚生労働省や財源の問題を理由に消極的な財務省とが対立していた。(以下省略)

原爆症認定集団訴訟は全国で約300人が起こし、国は18連敗中だった。1945年の原爆投下から多くの被爆者が亡くなり、60年以上も原爆の後遺症で苦しみ続けてきた高齢化した被爆者たちが必死に裁判を起こして闘ってきた。それが今年の広島原爆の日に急転直下の解決を図るというのは麻生首相の総選挙対策という感が強いが、とにかくようやく被爆者の方たちが救済されるということにホッとした。
厚生省の役人の中には税金を使って救済措置をとることに国民の多数の納得が得られていないと抵抗する向きがあるというのも何かで報道されていた。国民の多数の納得を得るための努力は原告側がすべきだというのだろうか。法制度の秩序を守ることが優先というお役人の感覚を正すことこそ人間を大事にする社会づくりに不可欠だと思った。

(2)「原爆投下『正しかった』が6割 米世論調査」
2009/08/05 10:38更新 産経新聞のサイト「イザ!」
米キニピアック大(コネティカット州)は4日、第二次大戦末期の米軍による広島、長崎への原爆投下について、米国内で61%が「正しかった」と回答し「間違っていた」は22%だったとの世論調査結果を発表した。
 それによると、党派別では「正しかった」は共和党支持者の74%で、民主党支持者の49%を大きく上回った。「間違っていた」は、共和党13%、民主党29%だった。
 年齢別に見ると「正しかった」は55歳以上が73%だったが、35~54歳が60%、18~34歳が50%と、年齢が下がるほど原爆投下への支持は低下。男女別では「正しかった」は男性72%、女性51%だった。(共同)

アメリカでは国家の歴史教育として原爆投下は正しいことだったと教えているのだから、それが多数を占めるのは当たり前。それなのに「間違っていた」が2割を超していることが大したものだと思った。さらに若い世代ほど原爆投下への支持率が低いということに希望を感じる。(8/9追記=オバマ大統領のプラハでの演説の影響もあるかもしれない)
ドイツでは自国の歴史教科書の内容を周辺国と協議することを積み上げてきている。アメリカと日本ではそういう取り組みはしないのだろうなぁ。日本はアジア諸国とそういう協議をすることになったはずなのだが、進捗はどんなものだろうか。
ただし、歴史認識が一致させることはなかなか難しいが、今後は同じことを繰り返さないということで一致していくことに重点を置く方が有効だろうとは思っている。

写真は渋谷駅の連絡通路で公開されている岡本太郎の「明日の神話」をBunkamuraに行く途中に携帯で撮影したもの。メキシコで行方不明になっていたのが発見されて修復され、誘致合戦の末に渋谷に恒久設置された。この場所は見てくれる人も多く、若者の街の渋谷にあるのはいいことだと思う。反対から見るとこんな感じ
岡本太郎の「明日の神話」の公式サイトはこちら

09/07/25 ルネ・ラリック展で国立新美術館デビュー!

2009-07-25 23:59:13 | 美術・本

歌舞伎座昼の部を観に行って、長い幕間45分間にご一緒した玲小姐さんが後半をsakuramaruさんに譲られたので待ち合わせをしたプロントで昼食。
その時にsakuramaruさんから急に夜の予定を聞かれて空いていると答えたら、ミュージカルを一緒に観ないかとお声がかかる。娘さんがうっかりバイトを入れてしまった分のSOSだった。19:00からのPARCO劇場「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ」
さらにその前にルネ・ラリック展を観てから回るという。私はアールヌーヴォーの工芸家ルネ・ラリックの展覧会の方は一度観てみたかったので、悩んだ。ずいぶんと前の展覧会のチラシでトンボと女性のデザインのブローチか何かのアップ写真を見て素敵だなぁと思っていたのだ。
「海神別荘」終演でも早い時間だし、明日は妹宅への出動予定がないので、ええーい両方行ってしまえ~!!と強行軍を決意。

「レッツエンジョイ東京」のルネ・ラリック展の情報はこちら
六本木の国立新美術館も今回がデビューとなった。sakuramaruさんに連れていってもらっての美術館デビューが多いなぁ(^^ゞ

以下、展覧会公式サイトより引用。
「ルネ・ラリック(1860-1945)は、19世紀末から20世紀半ばにかけて、アール・ヌーヴォーのジュエリー制作者、アール・デコのガラス工芸家として、二つの創作分野で頂点をきわめた人物として知られています。ラリックの生誕150年を記念する本展では、国内外のコレクションから厳選された約400点の作品を一堂に集め、その創作の全容を紹介します。夢見るジュエリーから光溢れるガラスの空間へ、小さな手作りの世界から近代的な産業芸術へと広がりをみせたラリックの美の世界。時代を駆け抜けた輝かしい創造の軌跡を、かつてない規模で展覧します。」

ジュエリーなどの工芸家ということは知っていたが、ガラス工芸、それも量産できるような商品を作ったということは今回初めて知った。工芸家といっても工房をもっているので、ラリックが描いたデザイン画を元に職人がつくるわけで、たくさんのデザイン画の展示があった。作品そのものとそのデザイン画が並ぶ展示もけっこうあって見比べられたのも面白かった。
香水のガラス瓶もラリック社で作ったのだという。香水好きの娘のラインナップからコティとかの名前を知っていたが、お洒落な瓶からテスター瓶まで展示があったのに感心。
パリ万博にも展示館があったし、庭を飾った噴水の飾りもあった。最後にはガラスのテーブルウエアまで展示されていてシリーズ名にニッポン、トウキョウ、コウベというのもあって、けっこう日本人はいいお客になっていることがわかった。
なかなか見ごたえのある展覧会で満足。

写真は展覧会のチラシ画像。作品はケシの花のデザインのハット・ピン。銀の棒は女性の結って盛り上げた髪の団子の部分に刺したのだろうと推測。

09/05/17 5月文楽観劇+『國文学』文楽特集の増刊号を購入

2009-05-17 23:58:28 | 美術・本

国立小劇場の5月文楽公演を一部二部通しで観劇。一日雨と覚悟していたが朝の内に上がってくれて少々気が楽に。気圧が低いと調子が悪いということもあるが、疲れがどっと出ていた一週間だったのでやはり通し観劇はきつかった。
それでもそれぞれ見応えありの演目。第二部ではあいらぶけろちゃんさんと久しぶりにご一緒できてお話できてよかった。さらに幕間に「夢文楽」ブログの管理人さん(ハンドルネームが覚えられなくてごめんなさい)をご紹介いただいたことにも感謝m(_ _)m

一日劇場にいると売店にある書籍やCD・DVDのコーナーを見る時間も長くなる。『上方芸能』6月号の国立文楽劇場25周年特集も気になって迷ったが、今回は『國文学』2008年10月臨時増刊号=を購入。書籍の見本誌に並んでいたのをじっくり見せてもらって内容の豊かさにこれなら1785円出しても惜しくないと思った。
帰宅時にさっそく文雀さんのインタビューを読み始めたが面白い。

写真は『國文学』2008年10月臨時増刊号の表紙画像。
以下に目次をご紹介しておきたい。
人形の役作りとかしら割り―吉田文雀師に聞く
:聞き手・後藤静夫
文楽の配役:横道萬里雄
四つ橋文楽座:肥田皓造
文楽の面白さ:水落潔
舞台が開くまで:山田庄一
〈舞台鑑賞〉「本朝廿四孝」:富岡泰
文楽のCD:大西秀紀
文楽の映像資料:飯島満
古浄瑠璃から近松へ:阪口弘之
人形浄瑠璃黄金時代:内山美樹子
浄瑠璃の十九世紀:倉田喜弘
大正・昭和・平成の文楽史:高木浩志
民俗芸能と文楽:齋藤裕嗣
近松と文楽:井上勝志
近世語と文楽:坂本清恵
義太夫節の音楽的研究:垣内幸夫
「趣向」と「虚」:黒石陽子
歌舞伎と文楽:河合眞澄
寄席芸と文楽:荻田清
操り人形考古学:加納克己
五行本の世界:神津武男
文楽読書案内:児玉竜一

09/04/15 歌舞伎座観劇前に坂東玉三郎『すべては舞台の美のために』

2009-04-15 23:54:17 | 美術・本

小学館が「美と知と心のハイライフマガジン」と謳う『和樂(わらく)』。文字通り和テイスト(日本の文化)を楽しむための月刊誌だが、基本的に定期購読ということのようだし、大型で重いし場所をとるので買わないことにしていた。
小学館の和樂の公式サイトはこちら
しかし、玉三郎贔屓としては特集や連載を読みたかった。“ずっと我慢の子であった”私に買える和楽ムックとして総集編がついに出た!
和楽ムック 坂東玉三郎『すべては舞台の美のために』

今月、歌舞伎座で出演のお役に関わる記事もあり、特に「廓文章」の夕霧の衣裳の復活の記事なども予習していかねばと少しずつ就寝前に目を通している。篠山紀信による舞台写真もスチール写真もともに美しく、まさに夢心地になってしまう。

また、巻頭に特別に1ページをとって玉三郎の押し隈の印刷が付いているのが心憎いばかりだ。一昨年に50万円の写真集が刊行記念の写真展で初めて見て、女形の押し隈は珍しいし可愛いと思った。その時に見たと押し隈と同じものか、もしくはとてもよく似た表情のものだ。何種類か出ている写真集の宣伝チラシの一つで見た押し隈はもう少し厳しい表情のものもあったような記憶がある。

さぁ、明日はいよいよ歌舞伎座夜の部観劇。夕霧の「赤の鳳凰」も楽しみである。