Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ザウアー&ライデスドルフ社のシューベルトに対する『4つの大罪』(No.1933)

2011-09-09 21:45:48 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 1823.04.10に開始された「作曲家シューベルトのザウアー&ライデスドルフ社専属契約」は、1825.01.08に完全に破綻した。この日に カッピ社(以前のディアベリ&カッピ社の共同経営者の片割れの会社)から、『16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ』作品33D783 が出版されたからである。外から見ても2年持たなかったが、見切りを付けたのは 1824.09辺り のようだ。

シューベルトが見切りを付けた正当な理由が4つある


 「4つの大罪」と言って良いだろう。ここに私高本が世界初に列記する。

  1. 「作曲料」を「約束」または「示唆」した額を支払わなかった


      これが、ディアベリ&カッピ社よりも、さらに悪かったことが歴史的証拠が残っている。言い訳 として「売れないからです!」の泣き言あり。だが売れなかった理由は「ザウアー&ライデスドルフ社の目利きの悪さ」が原因だと思われる。次以降の項目を熟読して頂きたい。これで「売れない」は全て出版社の責任である(怒

  2. 「美しき水車屋の娘」作品25D795 の第10番以降の出版が大幅に遅れ、「作品全貌」が見えなくなってしまっていた


      楽譜原稿は 1823.11 には、出版社側に手渡されていた様子。全20曲一括。全部が全部出版用自筆譜紛失! 昨日号にも掲載したように、「美しき水車屋の娘」は(根性があまりよからぬ)「水車屋主人の娘」が第10番の最後の最後で「帰るわ、さよなら」と言い放ったのが原因で最後の最後は「主人公が小川へ入水自殺」してしまう。第9番までしか聴かない(というか、楽譜を読めない、が正しい?)とハッピーエンドで終わる物語に見えてしまい、シューベルトともミュラーとも意図が異なってしまう。こんなバカが出版社の社長を務めていたのだ(泣

  3. 弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」を出版拒絶した


      シューベルトは「ベートーヴェンを越える大作曲家」になりたがっていた。「シューベルトの目」では、主要作品は「交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタ(ソロ)」だった。おそらく、後世の作曲家、評論家、聴衆の目でも同じだろう。(私高本も、やっと51才になって、ベートーヴェン弦楽四重奏曲が名曲だ、が理解できた)
     シューベルト側から「3曲の弦楽四重奏曲出版の打診」があり、出版社は快諾し、予告を新聞に告知した。シューベルトは1824.02-03 に意気込んで2曲の名曲を仕上げ、出版社に渡した。「間違いなくベートーヴェンを越したぞ!」と。「シューベルトファンの私高本」が聴くとはっきり越している > 2曲とも
     だが、9月7日に出版されたのは、第13番イ短調「ロザムンデ」作品29/1 D804 だけで、「死と乙女」はどこにも無かった!!!

     シューベルト死後、ニ短調楽譜原稿は ツェルニー社 が版権確保し、1831.03.12 に出版された。その後の人気はご存知の通りである!

  4. 「作曲依頼した連弾ピアノソナタ = ハ長調D812」を出版しなかった!


      これが最終的にプッツン切れた引き金になったことだろう。シューベルト自身は「連弾ソナタ」には基本的に興味が無かったようだ。どうやら、ベートーヴェンに名作が無い、が原因っぽい。モーツァルトの ヘ長調連弾ソナタK.497 とかを研究した後は私高本の目には映らない。シューベルトの連弾ソナタ3曲には、「序奏」が1曲も無いし。
     連弾ソナタ第1番変ロ長調作品30D617は、D番号が異常に若いので誤解されているが、「ザウアー&ライデスドルフ社の委嘱作品」であり、1823年後半の委嘱&作曲であり、1823.12.30 に出版された。作品番号に比べて異常に早い時期の出版で、ブライトコプフ旧シューベルト全集が恥をかいた1曲(爆
     ザウアー&ライデスドルフ社は、執拗に「連弾ソナタ」を要求した。その要求にシューベルトは応えたのだが、何と2曲目は「出版キャンセル扱い」になった。シューベルト本人は(いつでも)ソロピアノソナタを書きたかったのに!!(涙



 上記4点を整理する。

  1. カネを支払わなかった
  2. 声楽の最高傑作を提供したのに、大切な後半の出版が大幅に遅れた
  3. 器楽の最高傑作を提供したのに、出版拒絶した
  4. 依頼作品を提出したのに、出版拒絶した

となる。これでは生きていけんがな(怒

 シューベルトは「ザウアー&ライデスドルフ社専属契約」を自分から解消した。その先には「もっと素晴らしい世界」があったが、それはシューベルト自身の努力の賜物であった。
コメント
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