「立体批評」とは、普通「レコード芸術」誌のように「1つの演奏を2人以上で批評する」ことを指すことが多い。最近「作曲家:グルダ」「歌曲作曲家:マーラー」「1949-57のマリア・カラスの全て」などの発狂ジャンルを次々と創出している私高本が、狂いついでに1発立体批評をカマす。「立体」対象は批評家ではなく、「批評される演奏家」だ(爆
である。批評対象に不足は無い。行くぞ!
批評対象は次の通り。
なかなか興味深い演目であり、顔ぶれだぞ(藁
東電福島第1原発放射能垂れ流しの影響大。
これが客観的事前事実。新国立劇場には放射能が降っていて、100mも離れていない東京オペラシティには放射能が降っていない、なんて記事は読売新聞だけでなくどこのメディアにも掲載されていないからなあ(爆
ことは特記される。もちろん、メンバーはローテーションされていて喉を痛めない配慮はされている。あくまで私高本が「声&顔」で推測する限りであるが、
だった、と感じる。「新演出優先」を貫いた姿勢、を感じる。「コジ」は必要人数が少なかったので1軍を起用し易かった、もあるだろう。助演が大活躍だったからなあ(爆
・・・で、肝心の演奏なのだが
だった。「レクイエム」は60名、「コジ・ファン・トゥッテ」は24名で「声量」が勝った、わけではなく、「音楽の質」が「レクイエム」が上だったのである。もちろん、「コジ・ファン・トゥッテ」は暗譜+演技付きなので、「レクイエム」よりも条件は悪い。私高本が言っているのは「音楽の質」のみである。練習は(断定は出来ないが)自催公演の「コジ・ファン・トゥッテ」の方が圧倒的に多かったハズ。しかも「メンバー平均歌唱水準」は圧倒的に「コジ」が上である。
・・・にも関わらず、「レクイエム」が(合唱が)圧倒的に上だったのは「指揮者」または「オケ」の力、となる。う~ん、「コジ・ファン・トゥッテ」をキャンセルした指揮者だよな > カリニャーニ(爆
誰だって放射能はイヤだよな。オレだって、カネが無限にあるならば関西の良いところ、芦屋とか宝塚 に引っ越したいよ、マジ。来日しなかった演奏家の皆様に繰り言は言わない。来て頂いた演奏家の皆様には感謝するばかり。だが、「力量の差」は事実通りに記載するしかない。カリニャーニは、なぜ 新国立劇場はキャンセルして、読響は振ったのか?
読響が「メンバー変更のお知らせ」を葉書で送って来た時は、「指揮者誰?」と思って読んだ。『変更無し』を読んだ瞬間に事務局に電話していた私高本。「マジですか???」と。
マジだった。信じられなかった。「新国立劇場キャンセルして、読響は予定通り振る」って言うのが。マジで昨日まで信じて無かった。サントリーホール入口で揉め事起こるのを見るのがイヤで、遅めに会場に入った(爆
特に何も問題なく、演奏会は始まった > 昨日の読響。カリニャーニは「剃髪の禿頭」は前回同様。私高本は糖尿病の合併症で「頭部に血管炎多発」なのでカリニャーニのような「きれいな剃髪姿」は(おそらく死ぬまで)誰にも見せられない。まあ、髪の毛は音楽とは全く無関係なのだが(爆
・・・で、モーツァルト交響曲第39番変ホ長調ってこんなに表情豊かな曲だったの? が偽らざる気持ち。繰り返しの時に「ピアノの左ペダル」のような音色の変化! ピアノならば、ペダル踏むだけなんだが、クラリネットやフルートでは、そうは行かない。「息を減らした上に、吹き込む速度を遅くする」ことになる。書くのは簡単だが、他のオケでは聴けない。フルート1番(って言うか1人しか登場しなかったんだが)はお疲れ様。バセットホルンを吹いた「1番クラリネット」もお疲れ様。素晴らしい演奏をありがとうございました。
演奏水準が「日本最高」を維持している オペラ=新国立劇場オペラ & オケ=読響
である。批評対象に不足は無い。行くぞ!
批評対象は次の通り。
2011.05.29 & 06.02 新国立劇場 モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」
2011.06.15 新国立劇場 プッチーニ「蝶々夫人」
2011.06.16 読響 モーツァルト「交響曲第39番 + レクイエム」
なかなか興味深い演目であり、顔ぶれだぞ(藁
東電福島第1原発放射能垂れ流しの影響大。
- 新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」の「フィオルディリージ」「デスピーナ」「フェルランド」の3名が来日を中止した。
- その『続き』として、読響のモーツァルトレクイエムのソプラノとテノールが変更を余儀なくされた。
- 新国立劇場 と 読響 は「別の」ソリストを連れてきた。
- 両方に予定されていた 指揮者=カリニャーニ は「新国立劇場はキャンセル」「読響は予定通り振った」
- 東フィルは、「コジ・ファン・トゥッテ」に2軍、「蝶々夫人」に1軍 を出した
- 演出は「コジ・ファン・トゥッテ」が新演出、「蝶々夫人」がクソ演出の再演
これが客観的事前事実。新国立劇場には放射能が降っていて、100mも離れていない東京オペラシティには放射能が降っていない、なんて記事は読売新聞だけでなくどこのメディアにも掲載されていないからなあ(爆
上記3演目は全て「新国立劇場合唱団」が出演していた
ことは特記される。もちろん、メンバーはローテーションされていて喉を痛めない配慮はされている。あくまで私高本が「声&顔」で推測する限りであるが、
「コジ・ファン・トゥッテ」が1軍メンバー、「レクイエム」が「コジメンバー+登録メンバー」、「蝶々夫人」が1軍半メンバー が新国立劇場合唱団のシフト
だった、と感じる。「新演出優先」を貫いた姿勢、を感じる。「コジ」は必要人数が少なかったので1軍を起用し易かった、もあるだろう。助演が大活躍だったからなあ(爆
・・・で、肝心の演奏なのだが
合唱の出来は 「レクイエム」 > 「コジ・ファン・トゥッテ」 > 「蝶々夫人」 が明らか
だった。「レクイエム」は60名、「コジ・ファン・トゥッテ」は24名で「声量」が勝った、わけではなく、「音楽の質」が「レクイエム」が上だったのである。もちろん、「コジ・ファン・トゥッテ」は暗譜+演技付きなので、「レクイエム」よりも条件は悪い。私高本が言っているのは「音楽の質」のみである。練習は(断定は出来ないが)自催公演の「コジ・ファン・トゥッテ」の方が圧倒的に多かったハズ。しかも「メンバー平均歌唱水準」は圧倒的に「コジ」が上である。
・・・にも関わらず、「レクイエム」が(合唱が)圧倒的に上だったのは「指揮者」または「オケ」の力、となる。う~ん、「コジ・ファン・トゥッテ」をキャンセルした指揮者だよな > カリニャーニ(爆
誰だって放射能はイヤだよな。オレだって、カネが無限にあるならば関西の良いところ、芦屋とか宝塚 に引っ越したいよ、マジ。来日しなかった演奏家の皆様に繰り言は言わない。来て頂いた演奏家の皆様には感謝するばかり。だが、「力量の差」は事実通りに記載するしかない。カリニャーニは、なぜ 新国立劇場はキャンセルして、読響は振ったのか?
読響が「メンバー変更のお知らせ」を葉書で送って来た時は、「指揮者誰?」と思って読んだ。『変更無し』を読んだ瞬間に事務局に電話していた私高本。「マジですか???」と。
マジだった。信じられなかった。「新国立劇場キャンセルして、読響は予定通り振る」って言うのが。マジで昨日まで信じて無かった。サントリーホール入口で揉め事起こるのを見るのがイヤで、遅めに会場に入った(爆
特に何も問題なく、演奏会は始まった > 昨日の読響。カリニャーニは「剃髪の禿頭」は前回同様。私高本は糖尿病の合併症で「頭部に血管炎多発」なのでカリニャーニのような「きれいな剃髪姿」は(おそらく死ぬまで)誰にも見せられない。まあ、髪の毛は音楽とは全く無関係なのだが(爆
・・・で、モーツァルト交響曲第39番変ホ長調ってこんなに表情豊かな曲だったの? が偽らざる気持ち。繰り返しの時に「ピアノの左ペダル」のような音色の変化! ピアノならば、ペダル踏むだけなんだが、クラリネットやフルートでは、そうは行かない。「息を減らした上に、吹き込む速度を遅くする」ことになる。書くのは簡単だが、他のオケでは聴けない。フルート1番(って言うか1人しか登場しなかったんだが)はお疲れ様。バセットホルンを吹いた「1番クラリネット」もお疲れ様。素晴らしい演奏をありがとうございました。