Piano Music Japan

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20才のシューベルト その10(No.1777)

2010-08-07 21:07:41 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 本日は「Sonate I - Sonate VI」に於ける最後の問題 = D566 について述べる。

ホ短調ソナタD566 は何楽章構成で、楽章順はどうなのか?


 ホ短調ソナタの「楽章構成」の歴史的推移を見よう。

  1. 1888年 ブライトコプフ&ヘルテル旧シューベルト全集「ピアノソナタ」巻にて「第1楽章のみのソナタ」として出版(第2稿)


  2. 1905年 ルートヴィヒ・シャイブラーが「ホ長調ロンドD506 が ピアノソナタホ短調の終楽章説」唱える


  3. 1907年 エーリヒ・プリーガー編で D566/2 がブライトコプフ&ヘルテル社より出版


  4. 1925年 プリーガーがアドルフ・バウアーに、D566/1 と D566/3 のみ筆写譜を作成させる


  5. 1925年頃 D566/3 の「トリオのみ」の写真版作成


  6. 1928年 バウアー編で スケルツォとトリオ 変イ長調 D506/3 が「Die Musik」誌に掲載


  7. 1948年 キャスリン・デイル編で D566/1 + D566/2 + D566/3 + D506 の楽譜初出版


  8. 1966年 モーリス・ブラウンが 「4楽章説」追認「Essays on Schubert」P205-206(論文単体の初出は未掲載)


  9. 1976年 パウル・バドゥラ=スコダがヘンレ版楽譜にて「4楽章」楽譜を全集の名に於いて初出版


  10. 2000年 ベーレンライター新シューベルト全集にて D566/1第1稿 世界初出版



 これが正確な順序である。この ホ短調ソナタD566 に関しては、様々な人が様々な思いで自説を述べ、根拠の無い文章が錯綜している。「出版」だけでも150年以上の時間が経過しているから仕方ないか?(爆

ホ短調ソナタD566 に属すると推察される楽章の世界初出版一覧



  1. 1847年 D506「Adagio & Rondo」ホ長調として ディアベリ社


  2. 1888年 D566/1 第2稿


  3. 1907年 D566/2


  4. 1928年 D566/3


  5. 2000年 D566/1 第1稿 ベーレンライター新シューベルト全集



以上である。
 「錯綜した」原因を1つづつ整理してみよう。

D566/1 の「2つの稿」の問題


 実はこれが一番大きい問題である。

D566/1 を1888年に出版した時は「第2稿」を使用した


 これが誤って伝えられている文献がある。

1897年出版ブライトコプフ&ヘルテル旧シューベルト全集『校訂報告』には、「第1稿」自筆譜がベルリンにあることのみ記載


であるが、実際には全く掲載されなかった。校訂報告さえも。「第1稿」は「第2稿」よりも4小節長いのだが(苦笑
 すなわち、旧全集校訂者エプシュタインは、「第2稿」楽譜を入手していたのである。自筆譜なのか筆写譜なのかは断定は出来ないが、1897年の「校訂報告」に「別の自筆譜」が掲載されていないところから「筆写譜」であった可能性が極めて大。
 エプシュタインは D157, D279, D557 の3曲のソナタを「旧シューベルト全集にて世界初出版」しているから、信頼ある資料であれば、調性の不一致は気にせずに出版した、が実績。
 論理的に考えると、

エプシュタインは、D566/1「第1稿」自筆譜と「第2稿」筆写譜を見た。「第1稿」は単独楽章、「第2稿」も単独楽章。


と推測される。
 エプシュタインは D566/2 と D566/3 を見ていない。見ていたら(ソナタで出版したか、ピアノ小曲集で出版したかは別にして)必ず出版していたからだ。すると

筆写譜作成段階で「D566/1 第2稿」は、D566/2 や D566/3 と別扱いになっていた


と考えるのが論理的。「D625/1 + D625/2 + D625/3」と「D505」が別になっていた、と同じ状態の意味である。通称「ヴィッテチェク=シュパウンコレクション」と呼ばれる筆写譜の1つだった、と推測できるだろう。

第2稿に第1稿の楽譜を流用する時は「流用楽章を切り離し、再度は記譜しない」がシューベルトルール


からすると、D566/2 と D566/3 が第1稿から流用した可能性はある。しかし、「Sonate II = D567」が同じ1817年6月に作曲されているのだから、筆跡は同じで、五線譜も(余白を利用したとしても)続いているだろう。
 エプシュタインが「第2稿」をどのように入手したのか、記載しておいてくれたら、後世のシューベルト研究家はどれほど助かったことだろう!!!

「D566/1 第2稿の筆写譜作成者」が見た時には、D566/2 と D566/3 は見ていなかったか、別作品に見えた


ことだけが推定される。

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