Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルト:友人のために作曲された3曲の室内楽(No.2446)

2016-01-28 23:06:45 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

シューベルト:友人のために作曲された3曲の室内楽


 シューベルトは、「友人のための曲」と「内面の要求だけの曲」双方を作曲した。友人の詩に作曲したマイアーホーファー詩「双子座の星に寄せる舟人の歌」D360 やショーバー詩「音楽に寄す」D547 やコリーン詩「夜と夢」D827 などの名曲が生まれているのは有名。だが器楽曲にも「友人のための曲」がいくつかある。
 マイアーホーファー詩「湖にて」D124(1814.12.07作曲)から「シューベルティアーデ」の活動の痕跡が遺されている。1825年1月に「ウィーン中の音楽出版社から思いのままに出版できる」ようになり、3月に交響曲「グレート」に着手すると、シューベルト自身は「シューベルティアーデの小集会」には顔を出すのがめっきり減った。この1814-1825の期間で「友人のため」作曲が確定しているのが、ヴァイオリンソナタ第3番ト短調D408 である。
 1816年3月にヴァイオリンソナタが2曲作曲された(第1番ニ長調D384、第2番イ短調D385)。シューベルト自身がピアノを弾き、友人がピアノの後ろから楽譜を覗き込む形でヴァイオリンを弾いた、と考えられる。好評を博し、「第3番ト短調」D408が「ソナタIII」として翌月作曲された。第3番は特定の友人宅で演奏されることをはっきり指定されたことが明解に判る。なぜなら「モーツァルト時代の61鍵盤のピアノ」のために作曲されているからだ。ヴァイオリン奏者の要望は「ハイポジションが苦しい」だった様子で、前2曲より4度低い「3点C」止まり。しかし、冒頭から力感溢れる楽想が次々と現れ親しみ易い。「魔王」D328と同じト短調も友人の注文かも知れない。このヴァイオリン奏者の友人は次の2曲の著名なヴァイオリン奏者と違い名前が明らかになっていない。
 1825年以降は、1814-24年のような「注文の通り仕様の曲」は出現しない。友人の詩に作曲する頻度は桁違いに落ちた。だが、「友人のための曲」が室内楽に現れるのだ。シューベルティアーデ常連の仲間ではない。演奏家キーパーソンは4名、ピアノの カルル・マリア・フォン・ボクレット(1801-1881)、ヴァイオリンの イグナーツ・シュパンツィヒ(1776-1830) と ヨゼフ・スラヴィーク(1806-1833)、チェロの ヨゼフ・リンケ(1783-1837) である。
 4名の中で最も古いつきあいは、シュパンツィヒ と リンケ である。ベートーヴェンが中期の傑作3曲の「ラズモフスキー弦楽四重奏曲」作品59 を捧げた ロシア帝国ウィーン大使=アンドレイ・ラズモフスキー が1808年に結成した「ラズモススキー弦楽四重奏団」の第1ヴァイオリン奏者=シュパンツィヒ でチェロ奏者=リンケ であった。「ラズモフスキー弦楽四重奏団」は『世界最古のプロ弦楽四重奏団』であり、シューベルトは1824年3月14日に弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」作品29/D804(1824.02-03作曲)を初演してもらっていた。この演奏が「歌曲と舞曲だけの作曲家で無い本格的器楽曲作曲家」としてのお披露目になったのだ! 1827年11月には生涯ただ1回の1828年3月28日『シューベルト作だけの大音楽会』でラズモフスキー弦楽四重奏団が、最新の弦楽四重奏曲第15番ト長調D887を弾いてくれることも決まっていたことだろう。シューベルトはシュパンツィヒ(とリンケ)のために弦楽四重奏曲を書くのではなく、ピアノ3重奏曲を作曲したのだった。シュパンツィヒとリンケは感動したのだろう、1827.12.26, 1828.01.28, 1828.03.28 と立て続けに演奏会で披露したのだった!
 次につきあいが古いのは、ボクレット である。1825.08 ガスタインにて作曲と書かれた ピアノソナタ第17番ニ長調作品53 D850を献呈されたピアニストである。1825年以降作曲のシューベルト「ピアノ入り室内楽曲」が全て技巧的な訳は、『ピアニスト=ボクレット』を想定していたからである。シューベルト生前に演奏会が間に合った3曲(D895, D929, D934)の世界初演は全てボクレットが弾いたのだ!
 最も新しいつきあいは、ヴァイオリン奏者=スラヴィーク である。ボクレット の紹介でシューベルトと知り合い、「華麗なるロンド」ロ短調作品70 D895,「わが挨拶を送らん幻想曲」ハ長調 D934 の2曲の世界初演者であり、作品70 D895 はスラヴィークに捧げられている。シューベルトの死があと少し先だったら D934 もスラヴィークに捧げられた、と推測できる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2016.01.26新国立劇場「魔笛... | トップ | シューベルト:「魔王」作品1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

作曲家・シューベルト(1797-1828」カテゴリの最新記事