ぱたの関心空間

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硫黄島からの手紙@イオンシネマ久御山

2006-12-25 00:12:56 | 映画感想
重い。予想はしてたけどこんな重い映画を見た事がない。娯楽としての映画にとっては重すぎるくらいだ。

先月、クリントイーストウッドが撮ったもう一つの「父親たちの星条旗」を見てきたが、この「硫黄島からの手紙」もかなり期待して見に来た。
思っていた通りの内容だったにも関わらず予想以上にのしかかる重さ。

2つの映画を比べてどうこう、って話ではないけど、儂からしたら「父親たちの星条旗」はこの「硫黄島からの手紙」を見せる前のジャブに過ぎない。もちろん、「父親~」もいい映画だったし十分に重い映画だったけど、それを観た後の「硫黄島~」は予想を遙かに越える重さであり、深さだったっていう事。誤解されそうだから言っておくけど、決して「硫黄島~」の方がいい、って言ってるんじゃない。「父親~」は比較的知られたエピソードを入り口にまだ卑近で想像できるストーリーであり、直ぐ隣にある人間の禍々しさをまざまざと見せつける重さを持っていた。その一ヶ月後には想像を遙かに越える過酷な環境でありながら、そこにある哀しいほどあたりまえの人間くささという対極を見せつける。クリントイーストウッドは右に振り切っていた針を一気に左に振り切らせた。アメリカ人にとって、もちろん日本人にとってもショックのでかい演出だったとおもう。

演出だけだったら別にそれだけの話だからいいけど、さらにそれぞれの映画が頗る素晴らしいのだから始末が悪いのだ。いや、「硫黄島~」には素晴らしいなんて言葉は当てはまらへん、凄まじい。

そもそも戦争映画、はあまり見ない。
なにしろ戦争がきらいだし、敵味方がはっきりする戦争映画に嫌悪感を持っていた。全ての戦争映画がそうではないだろうけど、少なくとも今まで見た映画にはそういうところが多くて背中が寒くなるのを感じずにはいられなかった。
監督は「二本の映画とも勝ち負けを描くものではない」と言っていた。
そう、映画を見ている間、不思議と敵・味方という意識は少なかった。戦闘シーンでは登場人物にひたすら「死ぬな、お願いだから死ぬな」と思っていた自分がいる。
映画のうたい文句は「日米双方から描く硫黄島」だけど、そのうたい文句はウソだ。
ホントは日本もアメリカもない。そこには生身の人間がいて、得体の知れない国とか、時代とか、エライ(らしい)やつらに徒に翻弄される姿があるだけだ。イーストウッドが撮ったのはそのうち二つの断面でしかない。

二つの映画にはそれぞれ英雄が描かれているように見えるが、本当は英雄は脇役でしかない。「父親~」は英雄に「祭り上げられた」主人公たちを追い、「硫黄島~」の主人公は栗林ではなく、西郷だった。栗林も英雄然とするよりは人として誇り高い人物、というか、とてつもなく人間くさい人物として描かれる。本当は英雄なんてどこにもいない。

映画特有の、テーマの押しつけがましさや嘘臭さが感じられずエンターテイメント性も高いです。こないだ見た「ありがとう」でも思った事やけど、映画という作り物でありながらキチンと伝える事に成功しているというところが大事なところです。

順番をつけるなんてナンセンスだって解っていても、今年ベストの映画に出会えた事に感謝します。

しかし、映画館はあんまり嬉しくないやろな。売店の売り上げが伸びないから。
#ポップコーン頬張りながらみられるような映画ではないです、念のため

硫黄島からの手紙@イオンシネマ久御山の画像



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