ぱたの関心空間

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戦火のランナー @ エージェンシーアシスト(SOCIAL GIFT THEATER)

2023-06-21 00:26:09 | 映画感想
久御山に「アグティ」という清掃事業を手がける会社がある。
「エージェンシーアシスト」という金属加工などをしている会社もある。
この2社が主催して一ヶ月に一度くらいのペースで開催しているのが「SOCIAL GIFT THEATER」

「豊かな未来社会への貢献活動として社会課題について考える上映会を開催します。(HPより)」と、2年前から開催しているらしい。
映画を観て、その後参加者同士で感想など話し合う、という映画会なのだという。
娯楽作品ではなく、社会課題について考える上映会。案内のページにはSDGsの目標のアイコンも並び、その日のテーマもわかる。
参加者同士で話をするってのが良いよね、面白そう!
で、その上映会に初めて行ってきた。

会場はエージェンシーアシストさんの本社。
めっちゃキレイ!(^○^)

でもちょっと面食らう。
他の参加者さんはワイシャツ姿にビジネスマン風、会場は会社の会議室?。一方Tシャツにジーンズの儂、場違い感ハンパない(/ _ ; )
まぁ、主催社がビジネスパートナーの人たちを中心に声をかけているからって事らしい。
儂がこの映画会を知ったのは昨年末の京都新聞の記事。同じように新聞記事で知った一般の人がもっといてもいいような気がするのにな。
担当の方には「いろんな立場の方に来てもらうのがいい」とは言っていただいたので、空気を読まない事を信条とする儂は今後も続けて行きたいと思うわけだが。。。


で、映画である。


南スーダンのランナー、グオル・マリアルさんのドキュメンタリー。
スーダン難民としてアメリカに渡り、ロンドンオリンピックで個人参加として五輪の旗を背負ってマラソンに出場したのが彼。

スーダンは長く内戦の中にあって、8歳の時に両親はまだ子どもの彼をたった一人で村から逃す。彼はひたすら走って逃げる。4年間放浪の末、ようやく難民キャンプに辿り着く。
ぱっとそれだけ聞くと、呑気な日本にいる儂らには疑問符だらけなのだけれど、それが絶えず戦乱の中にある場所での過酷な現実なのだろう。

映画の作りとしては、そんな想像を超える苦境を乗り越えた彼が、走る才能でオリンピック出場まで果たし、独立後も内戦に苦しむ故郷の人たちを勇気付ける、みたいな感動ストーリーとして観ることもできるのだけれど、、、「感動した」なんてそんな安っぽい感想で終わらすわけにはいかないわけで。。。

映画の後に小グループで感想を話し合う中で真っ先に出てきたのは、(広い意味での)戦争について。
やっぱり日本にいる儂らは、未だにそういった紛争の渦中にある国があるという現実、そしてその実情について知らない事だらけなのだ、という事。ここ一年はウクライナとロシアの事に耳目を奪われがちだけれど、戦争をしているのはそこだけじゃないし、スーダンに限らず多くの紛争地では民間人を巻き込んでの民族浄化といった虐殺、誘拐し兵士にするなど子どもへの容赦ない搾取が続いている。繰り返し村を焼き払い、人々を蹂躙する。スーダンといえばジャンジャウィードの本拠地だし、映画の中でグオルを拘束した武装組織も馬に乗っていた。
そんな過酷な現実の中にいた人々のことを、どれだけ儂らがイメージできるか?そこを外してはグオルと彼に期待する同郷の人々の想いには近づけまい。

グオルがアメリカに渡った後、故郷は南スーダンとして独立する。
ロンドンオリンピックに出る権利は得たけれど、南スーダンはまだ独立したばかりで国内オリンピック委員会がない。スーダン代表としてなら出る事はできるがスーダン政府は彼の親族を多く殺し、彼自身を難民にした当事者であり、それはグオル自身が許さない。そこで、IOCは個人での参加という特別な措置で応じる、というのが一つ目の山場。
そして、そこには長い内戦の末なんとか独立したばかりでようやく自分達の国を持てた喜びと、自分達の国の代表と言えるオリンピック選手を初めてロンドンで応援できる南スーダン出身の人たちの熱狂的な姿。自分達の国、と呼べるものをようやく手にした人たちが、国際社会の檜舞台に立つその母国を代表できる英雄を、そりゃぁ応援しない事はあり得ないでしょう?その喜びたるや!そしてそれに応えるグオルの走りだ。
オリンピックなど今となっては所詮国威発揚の為の政治道具でしかない、と否定的に見てしまう儂にだってその気持ちはよくわかる。日本のその場限り感が否めないプチナショナリズムとは根本的に違う、本当に心の底から湧き上がる愛国心がそこにはあるのだろう。
それを単に「感動的だね」なんて簡単な言葉だけでスルーできるほど儂らは薄情ではないと信じたい。

しかし、残酷にも次にやってくるのはすんなり行かない政治の現実と、それとシンクロするかのような英雄の失速でもある。
映画ではそこまでちゃんと描く。南スーダンは独立したものの内戦の危険性を孕み続ける。再び故郷の希望になろうとしたグオルは、リオオリンピックを目指すが、すんなりとはいかない。それでもなんとかオリンピックへの切符を手にし、完走を果す。
それまでの間、故郷の人々の希望を繋ごうと、選手育成に力を入れるグオル選手。彼は南スーダンの子どもたちに希望を与えたいのだと言った。それを具体的な形にして伝え、自身もその象徴でいる事の意味を考えもがく。とても痛々しいほどに。
インタビューで次の東京も目指す、とは言っていた。しかし東京の南スーダン選手団にグオル・マリアルの名前がなかった。残念ながら。

あ、でも映画のHPにグオルさんから日本へのメッセージ動画を発見。
インタビューは2年前とはいえ、未だにちゃんと未来を見据えて希望を失っていない彼の姿は眩しいなと思う。
https://unitedpeople.jp/runner/archives/15755

そして、どうしても考えざるを得ないのは「難民」の事だ。

入管法が改悪されて一週間。このタイミングでこの映画というのは偶然だったにせよ、深く考えてしまう。
もしも、グオルさんを受け入れた国がアメリカではなく日本だったとしたらどうだったのであろうか?
伝え聞くところによると、日本で難民申請を受け付けてもらうには、故郷で迫害されるという客観的な証明資料が必要なのだという。
日本の難民認定率は世界的に見て桁違いに低く1%にも満たない、というのは入管法改悪のニュースで繰り返し周知された現実である。
一人で逃げ惑いようやく難民キャンプにたどり着いた子どもの彼に、そんな資料を用意する事などはほぼほぼ不可能であろう。

難民の問題とはなんだろう?
儂的に言うと、それは基本的人権の問題なんじゃないかな。

国連の定義でも
「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々」
となっている。
いわれなき理由で迫害される人々の基本的な人権を守る為に難民保護条約があるのではないだろうか?

いいや、そんな難しい定義やら意味やら言葉なんか別にどうでもええねん。
国で迫害を受けて困っている人たちにも儂らと同じ人生と未来があるのだ。
難民を認定し、基本的人権を保障し、尊厳を取り戻し、未来を守る。その大義に異論のあろうはずもないでしょう?

日本に来る難民の中にだってグオルがいないと、誰が言える?彼らの未来を踏み潰す権利がこの国にあるというのか?
ウィシュマさんだって、もしかしたらとてもいい英語の先生として、多くの子どもたちを育ててくれていたかもしれない。彼女の幸せな人生があったかもしれない。(まぁ、ウィシュマさんは難民ではなかったにせよ、日本のありえへん入管行政の犠牲者でしょう?)
そして現にこの国は99%以上の人の想い描く未来を門前払いしているのだ。

困っている人たちが目の前にいたら手を差し伸べる。人として当然の感情だと思うのだけど違うのか!!!?
日本人って、そんなに薄情だったのか?とあの改悪された入管法のニュース観て情けなくなくなるのだ。

もちろん、難民申請者を100%認めろなどと乱暴な事を言うつもりはない。
でも、もっと根本的な部分で疑念もある。
なんで、外国人に対しての対応がこんなに厳格なのか?日本人と何が違うと言うのか?国籍とは一体なんなのか?
「お前はアホか?そんなこともわからんのか?」と言われそうだ。

でも正直に言おう。
21世紀、これだけ世界がシームレスに繋がる社会で、外国人をこれだけ(ある意味)特別に扱う理由が儂にはさっぱりわからない。滞在許可のない外国人というだけで犯罪者のように、いや犯罪者にも認められる人権さえ認めない、到底21世紀とは思えないような仕打ちをする非道が罷り通る理由が。
(言っておくけれど、コロナとかへの対応みたいな防疫の話はまた別だからね。混同しないように。)

儂らは偏見を持っている。
こんな事を書いている儂だって無意識の偏見を否定しない(というかできない)。
でも同じ人間なんだ。
アメリカで学校に行くようになったグオルのクラスメート、彼と会ってすぐにいいヤツだってわかった、みたいに言っていたじゃない。
頭っから差別的な対応から入る日本、根本的にダメでしょう?まず同じ目線で付き合ってみるところから始めようよ。
同じ人間なんだよ。

あぁ、なんでこんな当たり前のことを言ってるんだろう。
でも当たり前の事を時々見失うじゃない、儂らは。
だって愚かだからね、儂らは。

だから、それに気づくためにも映画を見よう。
(うん、なかなかいいまとめだ♪)

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