ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

希望の国@シネマート心斎橋

2013-02-07 00:14:45 | 映画感想
もうなんと言ったらいいのか。
胸が詰まって言葉が出ない。
#と言いながらダラダラ書いてます、すいません

#ちなみに写真がさかさまですが気にしません(<直すのが面倒くさいらしい。。。)

園子温監督の作品は、「愛のむき出し」を観て、この監督の作品は見なアカン!と思った筈なのに結局次に観たのはこれ。ダメじゃのぅ。

この作品も、テレビのドキュメンタリーで見て、これは絶対に見なアカン!って思ってたのに、気づいたら京都での上映は終わっていたというorz...
#学習能力なさ過ぎ
というわけで、大阪まで遠征です。

詳しい内容については割愛、というか、必要ないかと。
#あ,でもネタバレはしてるよ
園子温監督も言っていたように、福島で被災した人たちに直接話を聞き、セリフもシーンも、なるべく想像力で書くことはやめて、取材した通りのものを脚本に入れたとのこと。
舞台設定は何年か後の日本の「長島」という架空の県となっているが、そこで展開するストーリーは、まさに二年前の福島で起こったそれだと思っていいと思うのです。

描かれているのは、人々の分断、差別、情報操作によるプロパガンダ、同調圧力、土地と結びついた思い、傷ついた心の救済、家族の絆、愛。
おおよそこの二年間実際に見てきたことが再現されているわけです。フィクションだけどちっともフィクションじゃない。これこそがむしろリアルな現実だと理解した方がいい。

主人公の夏八木勲さんと大谷直子さん演じる夫婦は最後まで避難せず、自分たちの家にとどまるわけだけど、何故強制避難区域になったというのに、避難しないのか。
この、表層的にはわかりにくいけれど、実は根っこの部分で理解されなくちゃいけない根本的な問題を、映画はかなりわかりやすく表現してくれていたと思います。

役場の人が来て説得するシーン。「迷惑なんですよ」といきり立つ若い役人に「郷土愛なんて安っぽいものじゃない」と言って庭の大きな木を見せるところ。そこにあるのは親父からそして祖父から受け継いだ歴史,いや歴史なんて言葉の乾燥したイメージじゃなくて、もっとなんかこう土臭いものだな。生まれ育った場所だから、とか、先祖代々の土地だから、とか、言葉にしてしまうとちょっと違う、もうなんとも動かしがたい大きなものがそこにあることが良くわかるシーンでした。
それでもあえて言葉にするならば「ルーツ」という言葉のイメージでどうでしょう? 根っこ。根っこをそこに残していく事なんてできないんですよ。

いや,なんか大層な事のように感じられるかもしれないけれど、そんな事はないんです。ちゃんと映画の中でも、その後,その若い役人が帰る道すがらの林で,子供の頃にそこでカブトムシを捕った思い出に浸っていたりする。そうなんだよね,そんな感じなんだよね。

#儂の文章だけでは意味が分からないと思うので、願わくば映画見ていただきたい
#見たけどわかんねーよ,という方、いらっしゃったらごめんなさいm(__)m

確かに「郷土愛」という言葉がこの映画の中では安っぽい言葉にみえてしまいました。それ自体は別にわるい言葉ではないのだけどなんでしょうね?
簡単に言うと、もっとも大事な事って結局はもっと個人的なことなんだな、と思うんですね。
「郷土」という自分を含めた大きなものを持ち出す、というのはなんだかちょっとかっこいいように見えるけれど、ちょっと嘘くさい気もしてしまいます。平時にはそんな事は感じないんだけど、非常時にはどうもその偽善ぽさが見えた気がしました。
「郷土」という言葉はまだ泥臭さを感じるけれども、例えばどうですか?自分がずっと暮らし慣れ親しんだこの町<住んでいる市町村<出身県<母国(日本)。広げれば、国単位でも「郷土愛」という言葉が使えます。簡単に言うと大きな「公」(郷土)ともっと個人的な「私」(ルーツ)という概念の対比かもしれません。人によるとは思いますが、「お国のため」ではなくもっと近しい「自分につながるもののため」にこそ、根源的な愛を持つような気がします。

さて,どうでしょう。
震災後、儂ができるだけ心がけているのは被災した福島の人たちはどういう状況下に置かれて、どう考えているのだろうか、どう感じているのだろうか、という事にできるだけ思いをめぐらせる事です。
例えば、福島はかなり高濃度に放射能汚染されているのだから、全員避難すべきだ、とか。せめて、子供たちだけでも離れるべきだ、という主張をすることは簡単です。その考え方自体は道理から言えば正論だとも言えます。でも,実際にはそんな理屈で簡単に割り切る事なんかできない,どうしようもなく大切な繋がりというのが厳然としてあったりするのですよね。
しかし、都市生活者や、儂のように故郷を持たない者にはこういう感覚は言葉だけではなかなか理解しがたいものなのだと思います。それが一つ、福島に生きる人たちとそうでない私たちとの間の壁となっているという事を自覚したい。そんな被災地にくらす人たちの置かれた事情を考慮せず、正論を言うだけで正義を振りかざした顔になる傲慢さにだけは無頓着でいたくない、そう思います。

主人公たちのお向かいさんで、早々に強制避難になった家の息子とその彼女。
彼女の家は海の近くにあり、震災後の津波に襲われ両親ともに行方不明という状況。両親を探しに津波に襲われた実家近くを彷徨するときに出会う幼子二人は、なんの説明もなかったけれど津波に襲われてしまったその魂なのでしょう。もしかしたら、その二人こそ彼女の両親の魂だったのかもしれません。

被災地では幽霊や心霊体験の類の話が多く出ていると聞きます。
これ、どうしても興味本位とか、なんか胡散臭い話のように考えられがちで、ちゃんと真面目な形で取り上げられにくいと思うんだけど、きっと大事な事なんですよ。
儂自身も霊感とかないし、コワい話苦手なクチだけど、そういう類の話としてではなくてね。
突然かけがえのない大事な人をなくしてしまった人たちにとって、そういった形ででも大切な人と邂逅するという事が、きっと魂の救済に(いくばくかは)なる。突然命を失ってしまった魂の側としても、そういった形で現世に残した人に会える事で、己を救っているのかもしれませんし。非科学的な話で恐縮ですが。

映画の中では最後に彼女に彼がプロポーズをします。
家庭を失った彼女に新しい家庭ができる。予定調和っぽく感じるかもしれないけれど、そうやって儂らは傷を癒して次の世代に進んで行くんだな。そこは一つの「希望」なのかもしれない。

幸いなのは主人公家庭の若い夫婦,旦那がちゃんと奥さんの理解者であったという事です。
一時的な避難先で妊娠が判明し,防護服を着たりして放射線への対策をエスカレートさせる為に周囲から疎ましがられる彼女を理解し、最終的には守る事を選択する彼の姿に安堵します。しかし,全ての男性が、そんなふうに世間の目を気にせずにそんな選択ができるかといえば,やはり現実は違う。現実とは違う理想的な展開を見せてくれました。
仮に、放射線への恐れが杞憂であったとしても、夫婦というのはそうであって欲しい。いや、この書き方は誤解を生むな。放射能の話はこの際関係なくて、どんな問題が起きようとも、きちんと相手の考えや気持ちに寄り添って納得のいく結論を導き出せるそんな関係性が大事なんだなと。

映画全体のイメージは、すっきりとそぎ落とした感じでした。
いろいろな問題は孕んでいるものの、できるだけストレートに、と作られたのではないでしょうか?

そんな中で、ちょっと技巧的で、ほんでもっとも印象に残ったシーンでもあるのが、杭が打たれるシーン。杭が打たれた机の映像よりも、その台詞が軽い衝撃でもありました。
そうか、これ(原発事故)は杭の一つなのか。人生において杭は何度でも打たれると。自分の思いや行いに関係なくやってくると。そして抗う事が儂らに求められる勇気なのだと。勇気があるなら逃げることも必要なのだと。
このイメージはちょっと儂にとっては新しいものです、胸にせまってきます。もしかして、呑気な儂ら日本人にとっての大事な警句になるんじゃないのかな。

「希望の国」というタイトルだけど、素直に希望は提示してくれません。二組の若いカップルの行く末に希望的観測として見出すことができるだけ。うんにゃ、否定的な書き方をするのは良くないかな。
やっと安心出来るところまで逃げたと思った矢先になり出すガイガーカウンター。二つの原発事故の為にどうやら汚染されていない場所は無くなってしまったらしい日本。国・マスコミ・医師による情報の隠蔽とプロパガンダ。周囲の無理解。主人公老夫婦の最期。絶望的な状況でも希望は見出すことができる、と考えるべきか。

大谷直子さんの繰り返す「うちに帰ろうよ」という台詞は観終えた後もずっと儂に問いかけてきます。果たして本当に帰る場所は何処なのか?そもそも帰る場所なんてあったのか。自分には帰る場所が作れるのか。
主人公夫婦にとって、汚染されたあの場所も結局帰れる場所ではなかった。いや、なくなってしまったというべきか。

別に言葉遊びをしているわけじゃないです。
現に今日本では(物理的な意味で)何万という人が、住んでいても故郷を汚され奪われ(すでにそこはかつての帰る場所ではなくなってしまっ)たという意味では何百万という人がデラシネになっている。
その事実を想わずにはいられません。

そもそも、儂ら日本人は原発事故以前に心のよりどころとしての帰るべき「うち」を見失ってしまっているのではないか?1億数千万人がデラシネなのではないか、とさえ思えてしまいます。

原発の事故は間違いなく大事(おおごと)です。
これを今日本で描かなくて、何を描く?という状況だと思いますが、注目される園子温監督でさえ資金調達に苦しむというのが日本の現状。
わからないではないけれど、やっぱりおかしな事だよね。
日本は今、目を背けてそれでどうにかなるような、そんな生っちょろい状況じゃないっつーの。

まず、みんなその異常さに気づいた方がいい。

最後に、
夏八木勲さんと大谷直子さんが見せるラブシーン。
ドキドキしました。<ええ、余計なこと書きました♪

公開開始からだいぶ時間がたっているから、まだ見られる映画館がだいぶ限られてきたけれど、チャンスがあれば是非見ていただきたいです。

っていうか、見なきゃダメ(^^)

#うーん、途中まで書いたから最後まで押し通したけど、やっぱり向いてないわ。次回からはやっぱり「だ」「である」調にしよう(ボソ)

希望の国@シネマート心斎橋の画像

希望の国@シネマート心斎橋の画像



最新の画像もっと見る

コメントを投稿