パンダ イン・マイ・ライフ

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音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

死のある風景 吉村 昭 39 

2009-08-16 | 吉村 昭
昨日、菩提寺のご住職がお亡くなりになった。一昨日には息子さんが家に来られ、お経をあげていただいた。
死はいつも生と隣り合わせにあることを実感する。ましてや昨日は終戦記念日。甲子園の高校野球大会時の黙祷は、平和のありがたさを、また、戦争の悲惨さを体言する。
吉村昭は、常に戦争の現実に目を向けてきた。「死のある風景」は、吉村昭の短編集。昭和末期の13年間に書かれた10篇の私小説からなる。平成元年(1989)10月刊行。文庫表紙の入道雲が、印象的だ。

「金魚」。終戦の年3月に中学を卒業した私は、それまで周りの皆が出征していくのを目の当たりにしていた。若者にとって戦争とは。
「煤煙」。戦後間もない東京で、物資不足の中、餓死した屍を横目に見ながら、4人で汽車に乗り、秋田へ米を入手に行く。しかし、米は統制品で売買や交換は禁じられていた。
「初富士」。普段正月を家で過ごす私は、嫂や弟夫婦と富士山近くの菩提寺に参る気になる。住職たちとつかのまの一こま。
「早春」。叔母が私に話があるという。叔父が余命いくばくもないという中、叔母は叔父のいる前で、叔父の女性遍歴を語りだす。
「秋の声」。肝機能の低下で禁酒を余儀なくされる。その私に馴染みの飲み屋の女主人が、子宮ガンで亡くなったと聞く。
「標本」。昭和23年に肺結核治療のため、5本の肋(あばら)骨を切除した。その骨が病院にあるという。
「油蝉」。68歳になる従妹が亡くなった。静岡に葬式に出かける私。従妹の人生と次々に訪れる一族の死と向き合う。
「緑雨」。その昔、同人雑誌でいっしょだったある女性の告別式に誘われた。了解したものの参加するかどうか迷う私。
「白い壁」。耳の病気で入院した私は、そこでさまざまな病と闘う人たちと出会う。元気に退院する後ろめたさと向き合うことになる。
「屋形船」。誘われて花火大会を見に隅田川へ船で出た私。40年前の終戦直後には数多くの死体が漂い流れていた。

「死」は生の行き着くところであり、いろいろな場面で、死は我々に生をいやがうえにも考えさせる。まさにどう生きるか、どう生きているかと直面する。
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