パンダ イン・マイ・ライフ

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天災と人災と 「関東大震災」 吉村 昭 20

2008-08-30 | 吉村 昭
9月1日は、昭和36年に制定された「防災の日」。
もちろん、この日は、今から85年前の大正12年(1923)9月1日午前11時58分、まさに正午を迎えようとしたその時、相模湾を震源とする大地震「関東大震災」が起きた日である。

吉村はこの惨状をさまざまな視点から描く。「関東大震災」は昭和48年刊行の力作である。
大地震は60年ごとに起こるかどうかの学説の対立から紐解き、その日を迎える。
地震は直接には建物の倒壊や津波が人を飲み込み、電車などの交通機関を狙い打つ。
それだけではない。20万人もの人々を混乱と死に追いやったのは、火事による被害でもあった。お昼時であったことに加え、特に学校や研究所にあった薬品がその原因という。また、無責任な情報が流され、避難した人々を火が襲う。荷車や鬢付け油などに熱風が襲いかかり、更なる被害拡大をもたらした。熱さから逃れるために入った池や沼などでの溺死も。

これだけではない、当時の社会情勢や情報手段の不足からデマや暴動が起きる。大津波や富士山爆発といった流言、自警団と称する暴力的な輩の出没、強奪・暴力、朝鮮人来襲説、大杉栄事件といった事件が民心をゆがめ、被害を拡大していく。これは人間がなせる業である。
その後の死体処理や糞尿問題、思わず目を背けたくなるような記述もある。

今年6月には岩手・宮城内陸地震、昨年7月には新潟県中越沖地震、3月には能登半島地震、17年8月には宮城県沖、16年10月には新潟県中越地震、15年9月には十勝沖地震と、最近でも多くの死傷者を出した大規模な地震の発生は枚挙に暇がない。

吉村はあとがきで「両親から聞く人心の混乱に戦慄した。災害時の人間に対する恐怖感が私に筆をとらせた最大の動機である」と記す。
この80年で人間は進歩したのだろうか。簡単に親や子を殺害し、ただむしゃくしゃと社会への不満を理由に見知らぬ人を死に追いやる。現代も狂気と隣り合わせの日々なのか。

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