200年前の1808年12月22日、ベートーベンが37歳(56年の生涯)の時、シンフォニー5番の「運命」は、6番の「田園」とともにウィーンで初演された。
幼い頃からの苦労とともに、音楽を、これまでの宮廷や貴族向けの儀式・行事向けから、一般向けに視点を変えた。そういう面でも苦労人であったベートベン。
フルトヴェングラーは、主兵ベルリンフィルを振った。1947年5月27日、ベルリンにてライブ、モノラル録音。
45年5月にドイツは連合国に無条件降伏。その年2月にフルトヴェングラーはスイスへ亡命する。
戦時下ドイツでの厳しい日々。大戦中にドイツに留まったことによる戦後の演奏禁止令。
これらのつらい日々を経たのち、廃墟のベルリンで、2年ぶりの市民・ベルリンフィルとの再会。
トスカニーニは37年にイタリアを、ドイツからオーストリア・スイスと逃れたワルターは39年にアメリカへ。
まさに数奇な運命に振り回されながらも信念に基づき常に音楽と向き合った人生が、まさに昇華するようなすさまじさとひたむきさ。
「ダ・ダ・ダ・ダーン」。1楽章の運命の動機のつっかえが私は好きだ。緊張の楽章。7:47
2楽章はゆったりと力強く。いつまでも終わりのない、しなやかに流れるよう。緩急も明確。10:57
3楽章はダイナミックなホルンの響き、コントラバスとチェロの低音の波がリズミカルに畳み掛ける。丁寧に作り上げるフルベン。5:47
続けて入る怒涛の4楽章。歓喜と雄大さがミックス。ゆるぎなくクライマックスへ。8:01
さまざまな思いが交錯する32分32秒。
幼い頃からの苦労とともに、音楽を、これまでの宮廷や貴族向けの儀式・行事向けから、一般向けに視点を変えた。そういう面でも苦労人であったベートベン。
フルトヴェングラーは、主兵ベルリンフィルを振った。1947年5月27日、ベルリンにてライブ、モノラル録音。
45年5月にドイツは連合国に無条件降伏。その年2月にフルトヴェングラーはスイスへ亡命する。
戦時下ドイツでの厳しい日々。大戦中にドイツに留まったことによる戦後の演奏禁止令。
これらのつらい日々を経たのち、廃墟のベルリンで、2年ぶりの市民・ベルリンフィルとの再会。
トスカニーニは37年にイタリアを、ドイツからオーストリア・スイスと逃れたワルターは39年にアメリカへ。
まさに数奇な運命に振り回されながらも信念に基づき常に音楽と向き合った人生が、まさに昇華するようなすさまじさとひたむきさ。
「ダ・ダ・ダ・ダーン」。1楽章の運命の動機のつっかえが私は好きだ。緊張の楽章。7:47
2楽章はゆったりと力強く。いつまでも終わりのない、しなやかに流れるよう。緩急も明確。10:57
3楽章はダイナミックなホルンの響き、コントラバスとチェロの低音の波がリズミカルに畳み掛ける。丁寧に作り上げるフルベン。5:47
続けて入る怒涛の4楽章。歓喜と雄大さがミックス。ゆるぎなくクライマックスへ。8:01
さまざまな思いが交錯する32分32秒。